第37話 罠
俺はアンジェラの部屋の扉を気取った仕草でノックする。まあ、向こうからは見えないんだけどな。見えないところに気を遣う。これがモテる男の流儀ってやつだ。中から誰何の声がする。
「どなた?」
「オトールです」
返事をすると艶めいた声に変わる。
「お待ちになって」
扉が開くと濃密な香水の香りと共にアンジェラの笑みが俺を出迎えた。
中に入ると部屋の造りは俺たちの借りた部屋とそれほど大きくは変わらない。ベッドに書き物机、小さなテーブルと椅子が二脚、壁には作りつけのクローゼット。窓にはごつい鉄格子がはまっている。外からの侵入者を防ぐと同時に、泊り客が金を払わずにとんずらするのを防ぐためのものだろう。
アンジェラは部屋の鍵をかけるとランプの乗った小さなテーブルに俺を誘う。テーブルの上にはつまみの乗った皿と酒のボトルとグラス。グラスにはもう酒が注がれている。準備は万端というわけだった。先にアンジェラが手前の席に座る。
「さ、おかけになって」
輝くばかりの笑顔と白い双丘は良い眺めだった。勧められるままに奥側のもう一つの椅子に座る。アンジェラは目の前のグラスを手に取った。
「それでは乾杯しましょう。楽しく長い夜に」
いいねえ。
俺も目の前のグラスを持ち上げる。お互いの目の高さにグラスを掲げた。アンジェラがグラスに口をつけるのを眺めながら、俺もグラスを近づけ、口をつけずにテーブルに置く。アンジェラが不審そうな顔をした。
「あら、召し上がりませんの?」
俺の視線が胸に注がれているのに気が付くとアンジェラは頬を染める。
「紳士はそんなに凝視するものではありませんわ。二人きりとはいえそんなに見つめられると戸惑います。そんなに逸らなくても夜はまだ長いんですのよ。もう少しお話してムードが出てからにしましょ?」
アンジェラの媚を含んだ声が骨髄に響いた。こいつは大したもんだ。俺の全身の血がかっかとする。そろそろ限界だ。
「香水はその胸元に相当振りかけてあるんだろうな。お陰で鼻がほとんど効かねえ。まあ、長い夜になるかどうかはアンジェラさん次第だろうよ。それと、クローゼットでかくれんぼしている誰かさんも関係あるか。盗み聞きとはいい趣味してるぜ」
アンジェラはゲームの続きをすると決めたようで、けげんそうな声を出した。
「オトールさん。何をおっしゃってるの?」
「言ったとおりさ。これの中身はなんだい? 速やかに死に至らしめる毒薬か、体が動かなくなる痺れ薬か。物騒なもんが入っているんだろ?」
俺がコップを指さすと、二人の間を沈黙が支配する。しばらくするとクローゼットの中で何かが動く気配がした。アンジェラは舌打ちをする。
「大人しくしてなさい」
俺は目をアンジェラに注ぎ続けた。背後のやつは後回しでいい。どうせ扉をあけるのにもたつくんだ。
アンジェラは体を弛緩させると背もたれに寄りかかる。
「鼻の下を伸ばしっぱなしだと思っていたんだけど、大した役者ね」
「お褒めに預かり光栄だが、実際、俺は鼻の下を伸ばしていただけでね。相棒のお陰さ」
「あのネコめ。余計な真似を」
うーん残念、減点だな。
「ま、そんなことよりも何が狙いか吐いてもらおうか? 俺のカッコよさに当てられたっていうのは聞き飽きたから他の話で頼むぜ」
「あら? その態度からすると条件次第では交渉の余地があるということかしら?」
「臭い飯を食う期間が多少は短くなるかもしんねえな」
「私のような魅力的な女が若い身空で収監されて朽ち果てていくなんて紳士として気の毒だと思わないの?」
「相手によりけりかな。俺も自分の器量は分かってるんでね。あんたみたいな女は俺の手に余る。無駄話はこれぐらいにして質問に答えろよ」
「答えなかったら? オトールさん。有利なつもりかもしれないけど、こちらは二人なんだから。隙を見て背後から襲われるかもしれないわよ」
「ご忠告どうも。嘘はよすんだな。クローゼットの中は二人いるだろ。まあ、どっちでもいいさ。この部屋を出ることはできないんだから。今頃は外の廊下は兵士で一杯だぜ」
アンジェラの顔色がわずかに変化した。
「見事な連係プレーだわ。あなたがのこのことやって来ている間にネコが兵士を呼んでくるって作戦だったのね。本当に忌々しい」
「そろそろ時間切れになるが、何が狙いか吐く気になったか?」
「あなたが託された手紙よ。今も懐に持っているんでしょ」
「ああ、あれね。服を脱いだ時に落っことしたらまずいんで相棒に預けてあるんだ。だからいくら隙を伺って手紙だけでも奪取しようとしたって無駄だぜ」
アンジェラと俺の間で視線が交錯する。
数瞬の時が流れて、アンジェラは目線を下げた。
「負けたわ」
「それじゃ、ついでに聞くが依頼人は誰だ?」
「さあ。顔を隠していたから誰かは分からないわ。あなたが持っていた手紙を持っていけば大金が手に入るって話に乗っただけ」
この間襲ってきた連中と同じようなことを言っているが真偽は半々てとこか。どうも金で動いているというタイプじゃ無さそうなんだがな。大儀とか正義とかそんなもののために働いている印象がする。そんな面倒な組織の一員ということはすぐには吐かないだろう。
「最後に一つだけ。あんたを襲っていた五人組はどうなった?」
「私が知るわけないでしょう? あの村で私があなたから聞いたのよ。逃げられたって」
「それじゃあ、俺の推理を聞かせてやるぜ。そこに隠れているのか、他のやつかは知らないが殺させてどこかに埋めたんじゃないか?」
「言いがかりはやめて。証拠はあるの?」
「ないな。でも役回りからするとあいつらは使い捨ての駒って感じだろ? 狂言がバレないためには眠らせるってのがいつもの手口なんじゃないか?」
「妄想はたいしたものね。だけど否定するわ。私は知らない」
「あくまでしらを切るつもりだな。まあいいさ。残りの尋問は軍でたっぷりやってもらおう。よし、立つんだ」
俺は素早くアンジェラの後ろに回った。首に腕を巻き付けると後ずさって扉のことろまで行き鍵を開ける。
「オトール。いつまで待たせるんだい?」
「悪いな。これでも大急ぎでやったつもりなんだぜ」
セディが燧石式ピストルを手にして体を滑り込ませてきた。もう片方の手に持っていた紐の一本を受け取ると後ろ手にアンジェラの手首を縛る。
耳元でささやいた。
「なに、俺はあんたと違って殺したりしないから安心しな。さて、隠れているのに出てくるように言え」
アンジェラは観念したようにクローゼットに向かって命じる。
若い女が二人出てきた。どちらも剣呑な目つきをしていたが、暴れることは無い。片方に紐を投げて渡し、もう一人を縛らせる。それから、そいつを俺が縛った。この間、セディが油断なくピストルを構えているので誰も無駄な抵抗はしない。最初のやつの結び目を確認すると俺はセディに頼んだ。
「それじゃあ、詰所まで行って兵士を呼んできてくれないか?」
アンジェラが驚いた声を上げる。
「廊下に居るんじゃないの?」
「待ちくたびれて帰っちまったのかもしれないな」
「騙したわね」
「お互い様だろ」
アンジェラは憤っていたが、俺が言い返すとそっぽを向く。セディが割り込んできた。
「詰所にはオトールが行った方がいいね。その方が話がスムーズだよ」
「そんなことはないだろう」
もう出かけるの面倒くさいんだ。
「なんたって階級持ちだからね、少佐殿」
セディは笑みを浮かべながら早く行っておいでよと催促した。
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