第36話 お誘い

 幸か不幸か、辺鄙な村の宿なので個室はない。男女別の広間に雑魚寝というスタイルだった。片隅に場所を確保すると横になる。小声でセディが話しかけてきた。

「オトール。あんまり言いたくないんだけどさ。アンジェラさんに対して鼻の下伸ばし過ぎだよ」


「しょうがねえじゃん。鄙にはまれな美人だぜ。向こうもその気なんだし、別に問題ないだろ? もうちょっとでかい町だったら、今頃はアンジェラさんの部屋に招待されて飲みなおしてたかもしれねえのにな。くそう、残念だぜ」

 セディが渋い顔をする。


「海神の杖の件があったからもう忘れちゃったかもしれないけど、マルガレートに騙されたのは誰だったっけ?」

 有り金のほとんどを持ち逃げされた女の名前を出されると俺も辛かった。お陰で数日ひもじい思いをしたことを思いだす。


「いや、まあ、俺なんだけども、アンジェラさんは事情が違うだろ。偶然俺たちが通りがかって助けたんだぜ。向こうから声をかけてきてチームを組もうと言ってきたマルガレートとは状況が異なるってもんだ」

「どっちも嫌な臭いがする。同類だよ。男を騙す悪い女さ」

 セディはきっぱりと言い切った。


「臭いって、そりゃ香水だろ」

「男に媚を売るためのね」

「偏見が過ぎねえか」

「オトールよりは私の方が女性を見る目があると思うけどね。ここで考えるから」


 セディは指先で自分の頭をつつく。

「まるで俺が下半身で判断しているようじゃないか」

「実際そうだよね。まあ、いいや。とりあえず、お休み」

 言うだけ言ってセディは寝てしまった。


 翌朝、宿で飯を食っていると村に駐留している臨時雇いの兵士がやってくる。

「オトール殿。女性を襲ったというならず者ですが、今朝見に行ったら見当たりませんでした。確かに縄が落ちており、人が居た形跡はありましたが」

「昨夜のうちに行かなかったのか?」


「人手が足りませんし……」

 五十近くと思われる兵士は申し訳なさそうにしていた。まあ、現役退いた臨時雇いの立場じゃ責めるのは酷ってもんか。

「そうか。そういやマクガティってのはどこのどんな奴だ?」


「この先の町の顔役です。手下は二、三十人ほどでしょうか」

「この村にも影響力はあるんだろうな?」

「いいえ。それほど大きな勢力じゃないんで」

「ふーん、そうかい。朝っぱらから探しに行ったのが無駄足になって悪かったな」


 慰労の声をかけても兵士はまだ立ち去らない。目線で問いかけるとおずおずと口を開いた。

「そのう。上へはどのように報告するんで?」

 なるほど。後でどやされるのを心配しているのか。


「事実をそのまんま報告するしか無いだろうな。まあ、あんたの責任にならないようにするから心配しなさんな」

「よろしくお願いします」

 男は何度も頭を下げて去っていった。


「やっぱり、あのままにしておかず、ここまで引き立ててきた方が良かったかねえ」

 セディが問いかけてくる。

「聞いたこともない一家だし、放置してもいいかと思ったんだが裏目に出たな。さっきの兵士も大したことない連中って口ぶりだったが」


 朝食を再開するとアンジェラがやってくる。髪の毛も綺麗にくしけずってあり、身ぎれいにしていた。

「おはようございます。オトールさん」

 けぶるような笑みを向けてくる。


 アンジェラさんも朝食を終えたところで、先ほど聞いた話を伝える。怯えさせるのもどうかと思ったが、知らせないわけにもいかなかった。少しだけ不安そうな表情を浮かべたがアンジェラはすぐに元の表情になった。

「オトールさんが一緒に居てくださるのだったら心配はいらないですわよね」


 頼りにしています、と媚を含んだ目で訴えかけられる。ちらりとセディの様子を伺ったが、昨夜のならず者連中が自由に動いているという話を聞いたせいか何も言わなかった。俺は胸を張る。

「お任せあれ。あんな連中の十や二十ぐらいならなんてことはありませんよ」


「とっても頼もしいですわ」

 白い両手で俺の手を握った。すぐに自分の行為に気が付いたのか頬を染めて手を離す。

「私としたことが……、お恥ずかしいです」


 身支度をすませるとアールデン方面の馬車に乗って村を出立した。馬車には他に相乗り客も居たので無言で過ごす。夕刻前には少し大きな町に到着した。どうやらここがマクガティとかいうのが根城にしている町らしい。アンジェラさんは周囲に目をやっていた。


 これぐらいの町になれば分隊規模の兵士が駐留している。詰所に一緒に行って報告をした。対応した兵士は首を捻っている。

「確かにマクガティ一家というのは賭場を開帳したり、娼婦の元締めのようなことはやっていますが、そんな犯罪に手を染めるとは思えないんですがねえ」


 セディにも補足してもらいながら、アンジェラさんを襲った連中の人相を伝えると、確かにその特徴に一致する者が居るという。縞パン野郎はトッドという名らしい。あまり本気で取りあおうとしなかったので、責任者を部屋の隅に連れていき、俺の身分を示す金属片を示した。途端に態度が変わる。


 すぐに兵士がどこかに走りひょろっとした男を連れてきた。あっという間に俺の説明に基づいた人相書きが出来上がる。

「写しを作って近隣にも手配します。マクガティ本人にも尋問して報告しますが、オトール殿はどちらにお泊りですか?」


 ついでだということで信用でき、あまり高くない宿を聞いた。若い兵士が案内してくれるという。そこまで手間を取らせるのもと遠慮したが、もし空きが無かったときは別の宿を案内しますので、と言われて了承した。心配は杞憂に終わり、訪ねた宿で二部屋確保できる。


 案内役を務めた兵士は宿の女将に何事か耳打ちをして俺の方を見た。女将は目を見開く。提示された宿代は想定よりも三割ほど安かった。こういうのがあるからあまり身分を明かしたくは無かったんだが、こうなったら仕方ないな。わざとへらへらして女将が委縮しないで済むようにする。


「明朝には進捗を報告します」

 若い兵士は敬礼をして去っていった。一度、それぞれの部屋に荷物を置いてから下の食堂でアンジェラさんと合流する。少し露出の多い服に着替えたアンジェラさんは俺に興味津々という様子だった。


「オトールさんって軍の偉い方だったんですか?」

「いえ。そんなことはないですよ」

「でも、そのお歳で少佐とは見直しましたわ」

 アンジェラさんの目に熱っぽさが加わる。


 各地の事物の話をしながら飲食を楽しんだ。食事を終えてそれぞれの部屋に引き上げようとすると、想像どおり二人で部屋で飲みなおす提案をされる。

「今夜はとても楽しかったですわ。時間が過ぎるのがこんなに早いなんて。まだお話足りないですし、私の部屋でもう少しお酒を飲みながら続きをいかがです?」


 潤んだ熱っぽい瞳が俺を凝視する。

「それとも行きずりの私のような女のお誘いはご迷惑かしら?」

「いえ、そんなことはないですよ。私もこんなに話が弾んだのは久しぶりな気がします。それじゃ、無粋なこれを部屋に一度置いてきますよ」


 俺は腰に下げたままの剣を軽く叩く。アンジェラさんは笑みを浮かべた。

「それではできるだけ早くいらして。女将に追加のお酒と軽い食べ物を頼んでおきますわ」

 部屋に戻るとセディは首を振り振りため息をつく。


「心配するなって、相棒」

「ああ。はいはい。それじゃ、ごゆっくり」

「先に寝ててくれて構わねえから」

 俺は部屋の鍵を手にするとアンジェラの部屋にいそいそと出かけた。

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