第10話 おやっさん

 いよいよ翌日は出発という日になって、渋々俺はオリベッティのおっさんのところに一人で挨拶に出かける。あまり早くに顔を見せると何か他にろくでもないことを命じられる恐れがあるので今まで避けてきた。さりとて全く顔を見せないというのも義理に欠ける。それに後で何を言われるか分かったもんじゃない。


 駐留軍の兵舎の上にある指揮官室でオリベッティは俺を出迎えた。秘書らしき男が俺と入れ替わりに部屋を出て行く。

「いよう、坊主。随分と遅いお出ましじゃねえか」

 煙草けむりくさを詰めたパイプを口から放してオリベッティは俺につきつける。ひでえ臭いだったがちょっと懐かしかった。


「お元気そうでなによりです。少将殿」

 俺のことを坊主呼ばわりするオリベッティにわざと他人行儀で挨拶すると、パイプを吸って煙を吐きかけてきやがる。

「退役したらよそよそしいじゃねえか。以前みたいに、おやっさんで構わねえぜ」

「おやっさん。その安物の煙草いいかげんやめたらどうなんです?」


「そうだった。坊主は煙草はやらねえんだったな。まあ、こっちはやるだろ?」

 オリベッティは机の上から酒の瓶を取り上げた。ありがたく頂戴することにする。酒の趣味は悪くないんだよな、このおっさん。お互いの健康を祝してグラスをあげ、口をつけた。くう、きくねえ。喉を焼くようにしみわたる。


 オリベッティはパイプを咥えると頬髯を歪ませて笑った。

「どうだ? あのベティって娘。なかなかの器量良しだろ? 気に入ったか?」

 俺はため息をつく。このおっさんの困った趣味の一つが部下の仲人口を務めようということだった。現役のときもいくつも見合い話を持ってきたっけ。


「単なる弟子として受け入れただけですよ。それよりもなんでゾッドの件を、ベティに話しちまったんです? 一応秘密にすることになってたはずですが」

「そうだったっけか? まあいいじゃねえか。当のゾッド本人が坊主のことを目の敵にしているっていうのは知ってるやつには知られてんだからよ」

 いや、だから知らんやつに広めるなって言ってるんだが。


 お替りを勧めてくるので遠慮なくもらう。

「それに俺は詳細は話しちゃねえぞ。ゾッドが仇って話が出たからな。お前があの野郎の目を斬ったってことだけ教えてやったわけよ。兄の敵討ちだなんて健気じゃねえか。坊主の手助けで本懐とげりゃ、白馬の王子様ってなるんじゃねえの」

 気色悪い声を出すのはやめてくれ。


「健気はいいんですがね。急に話題に出されるこっちの身にもなってくださいよ。いつも通りに酒の席での刃傷沙汰って話にしておきましたがね」

「公式にはそうなってるんだからな。まあ、斬られた当のゾッドもそう思ってるんじゃねえか」


「なんで俺に斬られることになったかの理由を知ってるかどうかはともかく、あいつが俺を恨んでるのは間違いないですよ。そんな俺に弟子ができたら面倒なことに巻き込まれるって分かってるでしょうに」

「そうだなあ。となりゃあ、坊主もそろそろ本気出して正面から返り討ちにしようって気になるだろ? いい加減叩き斬っちまえ。金一封ぐらいは出すぞ」


 やっぱりそういうことか。

「あの時はお互いベロンベロンだったから、まぐれで勝てたってことになってるんですよ。素面で立ち会って勝ったりしたら、さすがに俺の名が広まって、色々と面倒なのがやってくるでしょう? 俺は気ままに生きたいんです」

「有名になっても自由に生きることはできるぜ」


「怪しいもんですね。少将はともかく、他のお偉いさん方に無理やり軍に復帰させられて東部戦線に放り込まれるに決まってるでしょうが」

「そうかもしれねえし、そうじゃないかもしれねえ。まあ、俺が東部へ異動になったら首に縄をつけてでも呼びつけてやるよ」

 勘弁してくれよ。冗談に聞こえねえ。


「で、東部に行ってるとばかり思っていたおやっさんが、こっちに張り付けられてるってのは、やっぱりダナンの私掠船のせいですか?」

「おう。俺がここにいて不満か?」

「不満はないですけどね。素敵な弟子も押し付けて頂きましたし」


「そう言うなって。坊主には綱つけとかねえと、どこかにプイッと居なくなっちまうだろ? 話を戻すと、ダナンの私掠船だが、サマラーンを始めとして友好国がかなり被害を受けてる。アガタ王家としても覇権国として放ってはおけんというわけさ。それに今後のことを考えると、小うるさく蠢動されたら東部に全力振り向けられねえってとこだろうよ」


「まあ、挟撃とまではいかないでしょうけど、後方に不安は残したくないでしょうね」

「だろ? ダナンにも頭のいい野郎はいるんだな。ちょっと違うか。勝てばいいっていう性根の腐った野郎か」


 このおっさんは戦争は軍人同士でやるもんだというロマンチストだ。民間人に危害が及ぶのを極端に嫌っている。軍に属していたゾッドがとある反乱を鎮圧した際に、無理やり協力させられていた住民相手に乱暴や略奪を行った。それを耳にしたオリベッティが舞台をお膳立てして、俺にゾッドへのお仕置きをさせたというわけ。二人しか知らない真相だ。


「おやっさん。じゃあ、なんでさっさとマローンを撃破しないんです?」

「主戦力を東部に振り向けてんだぞ。こっちは船もボロけりゃ、正規の海兵も少ねえ、ベテランの船員も居ないんじゃお手上げさ。資金だけ寄越されてもどうしようもねえんだよ」


「まあ、一瞬で船ができるわけじゃないし、訓練はもっと時間かかりますからね」

「それにぶっちゃけ俺も海戦はさっぱりだしな。マローンが慢心して上陸してのこのこやってくりゃまだやりようはあるが。それでな、さっき話題に出たゾッドだがな、マローンのところの世話になってるぞ」


 さりげなく、とんでもねえ情報出してきやがった。

「それは間違いない情報なんでしょうね?」

「ああ。つい最近の話だぜ。俺も昨日聞いたばかりだ」

「まさかと思いますが、俺にまとめて退治させようとか企んで無いでしょうね?」


 オリベッティはガハハと笑った。

「そうして貰えると助かるが、坊主はともかく相方は海が苦手だろ」

「膝上が浸かる場所には行こうとしないですね」

「海は深いからな。まあ仕方ねえ。船を沈めろとは言わねえが、代わりに陸の上でちょっくら遊んでやってくれや」


 まったく。このいかにもガサツそうで豪放磊落な見かけに騙される奴が多いんだが、オリベッティ少将は実は頭がいい。常に二手・三手を先読みするタイプだ。こんな後方でこそこそ何かを企んでいるのだとすると狙いは何だ? 軍を辞めちまっているので情報が足りねえが、本気で宝探しをさせるつもりなのか?


「まあ、宝探しの途上で出会えばそれなりに歓迎するつもりで人は集めましたが、相手にされない可能性の方が高い気もしますがね」

「それは無いな。何しろ、潮の流れや風向きを自由に操れるっていう海神の杖だぞ。他人に使われたら、商売あがったりだろうが。実質的に無力化されるんだからな」


「伝説の五神器の一つですか。他のに比べれば割と効果が地味ですが、本物が見つかったら海の男にとっちゃ死活問題かもしれないですね。ダナン本領の海軍も困るでしょう」

「だろ? だから絶対に手に入れようとするはずだ」

「しかし、伝説上の品ですよ。本当にあるかどうかも分からない」


「だがな、わざわざサマラーンの巫女でもある女王が手に入れるように依頼しているんだ。女王の不思議な能力については耳にしたことぐらいあるだろう? 今までのヨタ話とは信憑性が段違いだぜ。少なくとも海賊連中は色めき立ってるらしいぞ」

 そうは言ってもなあ。


「おやっさんが正規兵動かした方が早いんじゃないですか?」

「兵士は戦うのは得意だが、宝探しはそうでもない。坊主はそういうのも得意だろ?」

 俺はそっと立ち上がるとオリベッティに合図をする。

「まあ、若い頃はあちこちふらふらして遺跡巡りもしましたがね。あまり稼ぎは良く無かったですよ。だから仕方なく軍に入ったわけですし」


 声を小さくしながら扉に近づきさっと引き開けた。出て行った秘書が能面のような顔で立っている。事務的な口調で告げた。

「そろそろ会議のお時間ですが……」

 この様子だと、立ち聞きをしていたのかどうかがはっきりしねえな。


 オリベッティはパイプを俺の方に付きつける。

「俺が坊主を女王に推薦したんだ。顔に泥を塗るような真似はするんじゃねえ。きっちりお宝を見つけて来い」

「せいぜい頑張りますよ。ご馳走様」

 俺はグラスを秘書に渡すと部屋から退散した。

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