第3話 弟子希望者ベティ

 ベティは目をパチクリとさせた。

「テストですか……? はい。頑張ります」

 俺がセディに視線を向けるとやれやれというように頭をふる。それでも両腰から引き抜いた腕よりは少し短い長さの棒を俺に投げて寄越した。


 俺は立ち上がるとそのうちの一本をベティに渡す。

「俺がこの棒を持って立っているから、横から力いっぱい打て。もし、棒が動いたら弟子にしてやる」

 それほど酒場に客がいるわけじゃないが、俺が立ち上がると、何が始まるのかと注目を集めた。


 最初は周囲の視線に戸惑っていたベティも何度か握りを確かめると表情を引き締め身構える。呼吸を整えるとベティは俺の目を見つめてきた。まっすぐな視線は少々眩しい。何度か胸郭が膨らみしぼんだ。ゆっくりと棒を握った腕が肩まで引き上げられ、ベティは俺が垂直に立てている棒をびゅんと横から力一杯引っぱたく。


 キン。鋭い金属音が響くが俺の棒はこゆるぎもしない。もう一度、と言って再度叩いたが結果は変わらなかった。

「ということだ。残念だが不合格だ。諦めな」

 俺は頑としてベティの懇願をはねつけ、借りた部屋に戻る。


 セディはえんじ色のチョッキを脱ぎ、ベッドの端に腰掛けながら俺に向かって含み笑いをした。

「なんだよ?」

 俺の問いに黙ったままだ。


 セディは大きな口を開けて欠伸をする。真っ赤な舌が見えた。慌てて手で口を覆う。

「おっと。失礼。私としたことが」

「それで、その目はなんだよ?」

「せっかく弟子にしてくれって言うんだから認めてあげれば良かったのに、という目さ。いいことずくめだと思うよ」


 セディは指折り数える。

「これから野営のときに美味しい食事がでてくる。しかも、魚が出てくる。魚だよ」

「魚は分かったから。それだけか?」

「ヒト族として、なかなか魅力的な子だった」


「そうかもな。だからなんだってんだ? 魅力的ってのはそれだけでトラブルの元だ。それともアレか? お前が面倒を見るってのか?」

「私に弟子入りしてきたわけじゃないからね。切った張ったは好きじゃないし。ああ。もちろんオトールの弟子になったのなら、それなりに気は配るつもりだよ」


「随分としつこいじゃねえか。何でそこまで、あの娘に執着するんだ?」

 セディは自分の鼻を触る。

「私は鼻が利くからね。あの子からは嫌な臭いがしなかった。性格も良さそうだし、オトールのパートナーにぴったりじゃないかと思っただけさ」

「は?」


「ほら、あのマルガレートって娘に比べたらずっといいと思うよ。そりゃあ、君たちヒト族の男へのアピールは控えめかもしれないけどね。だけど、マルガレートは私が警告したとおり、食わせ者だっただろ? 最後の最後に横から稼ぎを全部かっさらわれたのをまさか忘れたわけじゃないよね?」


 俺は不承不承同意する。マルガレートは確かにいい女だった。まあ、男なら一晩お願いしたいという気持ちは分かって貰えると思う。濡れたような蠱惑的な瞳に、ぷっくりと官能的な唇、布地を押し上げるでっかい胸に細い腰。おまけに呼びかけてくる声の甘いことといったらなかった。それを思い出して思わず頬が揺るむ俺にセディの言葉は続く。


「それと、町でいかがわしいお店に行くぐらいなら特定の相手を見つけた方がいい。オトールもいい歳じゃないか。そろそろ次世代のことも考えた方がいいね」

「俺の世話を焼くが自分はどうなんだ?」

「私たち人猫族は長命だし、君たちほど頻繁に性衝動に駆られるわけでもないからね。行動様式はエルフ族に近い」


「そりゃそうかもしれねえが、お前だってそんなに若くもねえだろ。ま、もう済んだ話だ」

「そうだねえ。ベティさん、最後はすっごく怒っていたからね。それだけ切迫した事情があるんだと思うよ。せめて、話だけでも聞いてあげれば良かったんじゃないかな」

「聞いたら断りづらいじゃねえか」


「なんで断る前提なのさ。いつもはだいたい緩いのに弟子の話になるととたんに堅苦しくなるんだから。オトールがそうまで言うなら仕方がないけどさ。でも、逃した魚は大きいかもよ」

「あのなあ。なんか弟子の話と女の話が混ざってねえか」

 

 セディは笑って寝支度をすると横になる。

「君たちヒト族はすぐつがいになるからね。しかも師匠と弟子の関係だよ。ああいうタイプは情が深いと見たんだけど」

「そんなことより飯の心配しねえと。仕事をどうする?」

 セディはニヤッと笑ってひげを震わせる。


「急に仕事熱心になったのはいいことだね。そうだねえ、どこかの隊商の護衛でも引き受ける? まあ、それなら弟子を取りながらでも出来そうだけどね」

 いい加減しつこいとばかりに俺は枕を投げつけ、セディは難なくキャッチして抱きかかえた。

「お休み。良い夢を」


 枕が無いと寝にくいが仕方ない。セディは相棒としちゃ最高だが、時々お前は俺の母親か? と思うことがある。少々世話焼きすぎるのだ。まあ、でも、俺にはかけがえのない相棒だ。俺も横になると向こうからふわっと枕が飛んでくる。

「夢にベティさんが出て来るかもね」


 翌朝は寝覚めが悪かった。セディが寝る間際に余計なことを言うから、予言通り、ベティが夢に出てくる。俺が断るならと、ベティはよりによって、昨日絡んできた三人組に弟子入りするとか言いだした。必死になって翻意するように説得しているところで目が覚めたという次第。まったくひでえ夢だ。


 セディの方を見ると一分の隙も無く身支度を終えていた。俺と違って洒落者なのだ。ピンと張ったひげに触ると目をぐるりと回す。

「随分とうなされていたようだけど大丈夫かい? 今夜からはこれを枕元に置いておくといい」


 木製の輪から数本毛糸が垂れているものを俺に手渡した。

「悪夢除けの護符だよ。誰かの呪いかもしれないし、用心した方がいい。昨日の三人組とかオトールを恨んでるのは多いだろうからね」

 夢見が悪かったのは誰のせいだと思ってるんだよ、という言葉を俺は飲み込む。急いで身支度を済ませることにした。


 鉢に水をそそぐ。揺れが収まるとオレンジと赤の中間の色合いの髪をした寝ぼけ眼の男が見返してくる。表情を引き締めてみた。そこそこの顔立ちだと自分では思うのだがどうだろう?

「なに百面相しているのさ?」

 セディに声をかけられ、急いで手で水をすくって顔を洗った。


 口入れ屋に出かけて仕事のあっせんを頼む。なかなか希望の条件に合うものがなかった。そのへんでくっちゃべってる一団から何かのお宝とかいう単語が聞こえてくる。仕方なく比較的マシなものを受けるかセディと話をしていると、向こうから依頼がやって来た。

「お話のところいいですかな?」


 声をかけてきたのは良く日焼けした初老の男性。脳裏に引っ掛かるものがあったので記憶を探ると思いだした。昨日見かけたフードを被った人物の護衛役と思われる一人と人相が一致する。

「今日は護衛をしてないんだな」


「どうしてそれを?」

 男の目が細くなる。こっちを有能と思わせておけば価格交渉で有利だと思って言ってみたが、単に不審に思わせただけのようだ。

「なに。昨日見かけたのを思い出しただけさ。三人で小柄な人物を守ってたろ?」


「ふむ。なかなかの観察力と記憶力がおありのようだ。私はダッチ。主の依頼で人を集めている。主は今日は宿で休んでいるのでね」

「そうか。俺はオトールで、そっちが相棒のセディ。で、用件は?」

「昨日拝見したが、お二人は相当腕が立つのでしょう?」


「まあ、それなりにな」

 ダッチはずいと身を乗り出す。

「我らはサマラーン国から来た。そこにある我らの町を守ってくれる勇士を探しているのだ。力を貸してくれぬか?」


「守るって何からだ?」

「海賊だ。近隣の海を荒らしまわっている連中でね。ガレオン級を四隻所有して横行しているんだ」

 聞いていたセディの顔が曇った。


 まあ、無理はない。それだけの規模になると海賊ってレベルじゃねえ。アガタ王国は陸軍国だというのもあるが、この西部に配属している艦隊よりも大規模ときてやがる。海賊の戦闘員も総員で二千程度はいるだろう。

「個人で請け負うにはちょいと相手が多くねえか?」


「何も殲滅して欲しいというわけじゃない。海賊連中を退ける宝具を探してくれればいいんだ。まあ、海賊の妨害もあるかもしれんがの。オトール殿が中心となって人を集めてはもらえぬだろうか?」

 なんだよ、その胡散臭い宝探しは。俺は断りの言葉を考え始めた。

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