第51話 残ったもの

「お話は終わったの?」


 そんなキリルの様子にイルムヒルデが楽しそうに声を掛ける。


 どうやらご丁寧にキリルたちのやり取りを見守っていてくれたらしいが、キリルにはそんなことはどうでもよかった。


 目の前にいる敵を倒す、今はそれだけで十分だ。


「……これで終わりにする」


 イルムヒルデをきつく睨みつけたキリルの低い声に、彼女の表情がわずかに変わる。口元は笑みをたたえたままでいるが、瞳はまったく笑っていない。


「たぁぁああ――――っ!」


 キリルが勢いよく床を蹴って飛び出すと、すかさずイルムヒルデも構え術詠唱を始めた。


 これまでの攻撃はすべて氷系の魔法だった。おそらくそれが彼女の最も得意とする攻撃魔法なのだろう。


 だとすればまた氷系の魔法が来る可能性が高い。もちろん他の攻撃の可能性もあるが、もしそうならば先程の攻撃で三回も続けて氷系の魔法なんて使うだろうか。


 いな、自分ならば使わない。


 そう考えたキリルは一か八かの賭けに出ることにした。


 イルムヒルデの様子に注意して走りながら、キリルは同時に左腕にも意識を集中させる。


 キリルに術詠唱は必要ないが、残念ながら圧倒的に魔法の訓練が足りないせいで物理障壁はとても頼りないものしか出すことができない。それはきっと魔法障壁でも同じだろう。


「――よし!」


 だが、魔法障壁の発動は思ったよりもスムーズにいった。どうやらラウラとの戦いで物理障壁を発動させた時に少しだけではあるが勘を取り戻していたらしい。集中力が高まっていたことも成功した要因のひとつだったと思われる。


 キリルの左腕に、薄い橙色の盾のような障壁が生まれる。エリオットが使うような大きなものではないが、キリルはあえて魔法障壁の大きさを小さくすることで強度を上げたのだ。


 これならば数回程度の攻撃ならば耐えるかもしれない。


「そんな小さな盾でどこまで持つのかしら。――貫け、氷のつるぎ


 嘲笑を向けるイルムヒルデの鋭い声にも構わず、キリルはそのまま彼女の方へとまっすぐに突っ込んでいく。


 やはり思った通り、氷系の魔法が来た。


 最初に放たれた氷の刃より一回り以上も大きなものがいくつも飛んでくると、キリルは反射的に左腕を顔の前にかざし、防御の体勢を取った。


 だが、足はゆっくりになっても止めることはしない。


「キリル様!」

「キリル!」


 思わずニールたちが叫んだ。


 瞬間、キリルの魔法障壁の盾に直撃した氷の刃がたちどころに消滅していく。それは欠片すら残すことを許さない。


「まさか! あの魔法障壁に炎をまとわせてたの!?」


 イルムヒルデが信じられないとでも言いたげに大声を上げる。


 彼女の言う通り、キリルは魔法障壁の上からさらに炎の魔法をかけていた。


 瞬時の判断だった。


 イルムヒルデが術詠唱を終え、氷の刃を出した時に閃いたものだ。


 氷の魔法を何度も連続で食らえば障壁はきっと持たない。ならばすべて蒸発させてしまえばいい。


 ただそれだけのことだ。


 そこですぐさま魔法障壁の上から炎の魔法、つまりファイヤーボールを出してそれを纏わせた。もちろん、ファイヤーボールは特大サイズをぐっと凝縮させて温度を上げたものである。それに温度を上げれば炎の色も目立たない。


 魔法障壁を発動させることができた時に、ファイヤーボールも上手くいくのではないかと薄々思っていた。


 まさかこのような使い方になるとは思っていなかったが、結果的には上手くいった。


 キリルはそのまま足を止めることなく、さらに速度を上げる。


 その間も次々と氷の刃が向かってくるが、すべてキリルに届く前に蒸発して消えてしまう。


「――――っ!」


 確実に自分へと迫ってくるキリルに、ついに為す術がなくなったのか、イルムヒルデが短剣を取り出した。


 しかしそれよりも早くキリルが彼女の懐に入り込む。


「これで終わりだ!」


 すべての力と思いを込めて、キリルはその左胸に一気に剣を突き立てた。


 部屋の中が静寂に包まれる。


 ややあって、


「……えい、え……ん、の……」


 イルムヒルデの口からそれだけの言葉が零れた。瞳からは徐々に光が消えていく。力を失った手は短剣を持つことすらできなくなり、手から離れたそれは乾いた音を立てて床に落ちた。


 彼女の身体がぐらりと傾くと、キリルの剣を胸に刺したままでその場にゆっくりと倒れる。


「…………」


 完全に動きを止めた身体は徐々に真っ白な灰へと変わり、音もなく崩れていった。


 キリルは空になった両腕を力なくぶら下げ、その様を黙って見ていた。


 灰となったイルムヒルデの上に最後に残ったのは、纏っていた黒いマントとローブ、そしてキリルの剣と数枚の紙切れだけ。


 片膝をついたキリルが悲し気に目を伏せ、紙切れを手に取る。ほんの少しの間、それをじっと見つめるとひとつ息を吐いた。


 そして破り捨てる。


「キリル! まだ内容を確認して……!」


 思わずエリオットが声を上げると、その声にキリルが振り向き、俯きがちに首を横に振った。


「……これでいいんだよ」


 そう。きっと内容は知らない方がいいし、これから先も知る人間が現れてはならない。


 キリル自身の安全だけでなく、未来のことも考えた上での行動だ。


 破られた紙切れが小さな花びらのように、灰となったイルムヒルデの上にはらはらと静かに舞い落ちた。


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