第50話 キリルの決意
「キリル! ニール!」
エリオットが声を張り上げる。ユリウスとローベルト国王も蒼白な顔でキリルたちの様子を見守っていた。
氷の塊が落ちた場所からほんのわずかに離れた場所で、キリルはニールと共に倒れていた。
「……う……っ」
呻くような声を上げてキリルが身じろぎすると、エリオットたちは揃って安堵の溜息を漏らす。
「……痛っ」
どうやら床に倒れ込んだ時に打ったらしく、キリルの身体中が痛んだ。だが、軽い打撲や擦り傷程度で、そこまでひどいものではないようだ。
氷の塊からはどうにか逃げられたらしい。
キリルはまだ派手に脈打つ胸を押さえながら、大きな息をひとつ落とす。そこで自分を救ってくれた人物のことを思い出した。
「っ、ニール!?」
隣で倒れているニールの姿が目に入り、キリルは起き上がると同時に大声を上げた。
その声で意識を取り戻したのか、倒れたままのニールがゆっくり目を開く。
「……キリル様、よかった……」
そう言って小さく微笑むと、ニールは身体を起こそうとする。キリルがその身体を支えようと彼の右腕に手を回した時、異変に気が付いた。
ぬるりとした感触。
慌ててキリルが自分の手を見ると、その手のひらにはべったりと赤い血がついていた。
「……ああ、きっと氷が
ニールは気丈に言うが、この血の量は掠ったなんてものではない。そんなことはキリルにもすぐわかった。
視線を巡らせば、彼が倒れていた場所には血だまりができていた。腕からはずっと血が止まることなく流れ、床へと滴り落ちている。
キリルがすぐさま傷口を確認する。
右の上腕部、そこに痛々しいという言葉では到底言い表せないほどの大きな傷があった。
これは『掠った』ではなく、『
苦悶の表情を隠すように微笑を貼りつけた顔も青白く、痛みを堪えているのが誰の目に見ても明らかだった。
キリルはエリオットの名を呼んだ。
「エリオット兄さん! ニールの手当てを!」
「わかりました!」
即座に反応したエリオットがニールの方へと駆け寄ろうとするが、それをニールは顔を背けることで拒む。
「俺は大丈夫です。今はユリウス様と国王陛下を守ってください」
「ですが……!」
「利き腕をやられてしまいましたが、まだ左腕は使えます」
エリオットの方には視線を向けず、イルムヒルデを見据えたままでニールは言う。
確かにニール程の人間ならば左手一本でも戦えるのかもしれないが、利き腕ではない腕で、しかも片手で剣を扱うなんてことは普通しない。
そんなニールをどうにかして止めることはできないものかとキリルが思案していると、不意にニールが真剣な表情でキリルの方を向いた。
「キリル様にお願いがあります」
どんな内容かはわからないが、キリルは大きく頷く。
「何?」
「左腕が使えるとは言っても、これでは足手まといになって前線で戦うことができません。だから、キリル様に前線を任せてもいいでしょうか? 俺はキリル様の後ろで援護に回ります」
援護すら本当はさせてはいけないとキリルは思ったが、ニールにはいくら言っても聞く耳を持たないだろう。あまりしつこく言えば、『だったら俺も前線に出ることにします』と、逆に怒り出すことになりそうだ。
ならばニールに言われた通り自分が前線に出て、できる限り早くイルムヒルデを倒す。そしてニールへの負担を最小限に抑え、その後すぐエリオットに治癒魔法であるヒールをかけてもらうべきだとキリルは考えた。
あの出血量だ。長引けばそれだけニールも危険になるだろうし、自分の体力を考えればイルムヒルデに対して不利にもなってくるだろう。
とにかく速攻で片を付ける。
これがキリルの出した答えだった。
「……わかった」
ニールの目をまっすぐに見て再度頷くと、キリルは視線をイルムヒルデに移した。
彼女は相変わらず妖艶な笑みを絶やすことなくこちらを眺めている。目当てのキリルではなかったにしろ、それでもニールに大怪我を負わせられたことで少しは満足しているのだろう。
だが、あくまでもイルムヒルデの目的はキリルを殺すことだ。
これからの攻撃のすべてがキリルに向かってくると思っていい。
もしかするとその逆をついて後方のエリオットたちを狙うことも考えられるが、エリオットはキリルよりもずっと優秀な魔法使いだからほとんど心配はいらない。
むしろ自分の心配をしなくてはいけない。
剣も魔法も中途半端。そんな自分が前線に立って一人で戦うのは少しどころか、かなり無理があるのかもしれない。
それでもこれは自分の生死に関わる問題でもあるし、何より初めてニールに託された戦場だ。
自分がやらなくて一体誰がやるというのか。
キリルは改めて決意すると、床に落ちていた剣を拾い上げる。それを両手で強く握ると一歩前へと進み出た。
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