第39話 現実となる予感

 的確なアドバイスをもらってキリルの心が決まった後、ニールは『随分長話をしてしまいました』と頭を掻いて謝りながら自分の部屋へと戻っていった。


 時計を見ればとっくに三時を過ぎている。


 結局キリルはニールに『嫌な予感』については話さなかったが、今はそれよりも自分のこれからのことが楽しみで仕方がなかった。


 ベッドに潜り込み、布団を頭から被るとニールの言ったことを思い出す。


(どっちも手に入れる……っ!)


 それは何だかとても楽しそうなことのように思えた。小さな子供が新しい玩具おもちゃをもらった時のような、そんな感覚によく似ているだろう。


 早速、明日から訓練を始めたい。いや、今からでもいい。そう思うくらい胸が弾んでいた。


 あまりに興奮しすぎて今夜は眠れないかもしれない。


 そんな時だった。

 また、不意に『嫌な予感』が胸をよぎる。


 キリルは一瞬で現実に引き戻されると、冷静さを取り戻した。


(あの人の言葉……やっぱり、これからまだ何かが起こりそうな気がする)


 キリルはごそごそと布団から顔を出すと、枕元に置いてあった短剣を鞘ごと手に取った。念のため、それを懐に忍ばせておくことにする。


 そして今夜はできるだけ起きていようと決めた。



  ※※※



 それからしばらくして、起きていようと決めたにも関わらずキリルが布団の中でうとうとし始めていた時だった。


 とても静かではあったが、確かに扉の開く音がしてキリルは目を覚ました。咄嗟に息を呑んだが、すぐにそれを押し殺して眠ったふりをする。


 できれば『嫌な予感』は外れて欲しかったが、どうやら無理だったらしい。しかもこんなに早く起こるなんて。用心しておいてよかったと心から思う。


 キリルが眠っていると信じ込んでいるのか、誰かが自分に向かってまっすぐに近づいてくる気配を感じた。


 小さな足音は迷うことなくキリルのベッドの側までやって来ると、ぴたりと止まる。


 剣を鞘から抜く音が聞こえた。音の長さからして長剣だろう。


 そして、ついに剣が振り下ろされる気配。


「――――っ!」


 瞬間、キリルが思い切り布団を翻し、飛び出す。


 剣は跳ね上げられた布団を真っ二つに切り裂き、中に詰まっていた綿が派手に舞った。その隙間から見えたものにキリルは確信する。


 月明りの中で視界に捕らえたのは金色の長い髪。思っていた通り、よく見知った顔だった。


「やっぱり、ユリウス兄さん……っ!」


 どうにか剣をかわすことに成功したキリルが広いベッドの上を後ずさりながら、睨みつける。


「気付いていたのか」


 キリルを見下ろすユリウスの冷徹な声音には、いつもの優しさが微塵も感じられない。表情はわずかに微笑んでいるようにも見えるがそれは口元だけで、双眸は笑みをたたえることなくじっとキリルを見据えていた。


「ずっとおかしいと思ってた言葉があったんだよ……!」

「言葉……? 特におかしいことを言った記憶はないけれど」


 ユリウスには剣を収める気配はない。


 キリルはどうにかこの状況を打破できる方法を考えるだけの時間が欲しかった。


「おれが初めてエミリアに会った時、ユリウス兄さんは『まずは父上を元に戻すのが先決だ』って言ったけど、あれはエミリアのことは後だ、って意味じゃなくて、『まずは』父さんを元に戻すのが先だ、って意味だよね!?」

「ああ、そんなことを言ったかもしれないね。でも……それが何だと?」

「つまり父さんを元に戻した後にも何かがある、ってそういうことでしょ!?」

「よくそんな細かいところに気が付いたね。さすが、【救国の王子】だけはある」


 キリルは変わらずに睨み続けるが、ユリウスの様子に変化はない。


 少しでもいいから話を引き延ばしたい。その一心でキリルは口を動かした。


「そして反乱が起きようとした! どうしてそんなことを……っ!」


 キリルの声にユリウスが一瞬だけ目を見開く。そして小さく溜息をついてみせた。


「あれは私の計画にはなかった。だって、反乱が起きてそれが成功してしまったら私たちデルニード王家の人間は最悪処刑されてしまうからね。だから反乱だけはどうにか収めないといけなかった。でも、キリルが動いてくれたおかげですべては上手く行った。父上のことと共にとても感謝しているよ。でも、もう【救国の王子】は必要ない」


 言うや否やユリウスが長剣を振りかぶる。今度はキリルが目を見開く番だった。


 まだこの状況をどうにかする方法を思いついていない。


 しかしとにかく今はユリウスの一撃をかわさなくては。


「――っ!」


 キリルは咄嗟に左手の下にあった短剣を抜いて、ベッドの上でユリウスの剣を両手で受け止める。金属同士のぶつかる音が室内に響いた。


 ユリウスの一撃は重く、キリルの両手が痺れるほどのものだった。


 もしかしたら剣の腕はニールとほぼ互角なのではないか。だとしたら、こちらに勝ち目はほとんどないのかもしれない。


 そんなことをキリルは頭の片隅で考えた。


 ユリウスは本気で自分を殺そうとしている。


 怖い。まだ死にたくない。


 死の恐怖がキリルの心を支配し、身体は今にも震え出しそうだった。だが、それをどうにか奮い立たせようと懸命に歯を食いしばる。


 今はどうにか攻撃を凌いで、隙を見つけなければ。隙がなければ逃げることも、助けを呼ぶこともできない。


 次の一撃が迫ると、キリルはベッドから後ろ向きのまま飛び降りることでユリウスの剣をかわし、同時に距離を取った。


 その後もユリウスは容赦なく斬りかかってくるが、キリルはそれを必死に短剣で受け止めては弾く。ひたすらその繰り返し。


 まだ死にたくない。いや、まだ死ねない。


 ユリウスの剣、そして恐怖のふたつが今のキリルの敵だった。


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