第37話 真夜中の来客

「…………」


 部屋の隅の棚に置かれていたティーポットを前に、キリルはただ黙って立ちすくんでいた。


 ティーポットに手を伸ばしてはすぐに引っ込める。そんなことを何度も繰り返していた。


 初めての来客に紅茶でも出そうかと思ったのだが、これまで淹れるどころか、ユリウスたちに会うまで飲んだことすらなかった。


 そんなキリルに紅茶の淹れ方がわかるはずもなく、どうしようかと思っていた時だった。


「俺がやりましょうか?」


 キリルの肩越しに顔を覗かせたニールが言う。


「い、いや! べ、別に紅茶の淹れ方がわからないわけじゃなく……!」

「はいはい。わかりましたから向こうで座っててくださいね」


 ニールは笑いを噛み殺しながら、必死に言い訳をするキリルの背を押してソファーの方へと向かわせる。


 キリルが大人しく座ったのを確認すると手際よく紅茶を淹れ始めた。


 しばらくして温かい紅茶を二つのティーカップに注ぐと、それをテーブルまで運ぶ。そこには申し訳なさそうにソファーで身体を縮こませているキリルがいた。


「……ごめん」


 ここ数日この部屋に泊まらせてもらっているが、あまりここで過ごすことがなかったので紅茶を自分で淹れることもしなかった。それが今になって悔やまれる。これではどちらがお客様なのかわからないではないか。


 そんないたたまれない気持ちでいるキリルの前に、ニールは微笑みながら静かにティーカップを置いた。


「別に気にすることはないですよ」


 そしてキリルの隣に腰を下ろすと、早速本題を切り出した。


「もしかして、何か悩んでますか?」


 その言葉にキリルが弾かれるようにして顔を上げる。


「……何で、それを……」


 まさに今悩んでいるところだった。


 ニールには敵わないな、とでも言いたげに苦笑する。


「……魔法のことで、ちょっと……」


 キリルはそう呟くと、また顔を俯かせた。


「エルデの洞窟でのことですか?」

「……うん」

「俺には魔法の素質がないんで詳しくはわかりませんが、ラウラ様とエリオット様が言ったことはきっと正しいんだということくらいはわかります。彼らは魔法に詳しいですから。だから言っていたように、訓練すればまだまだ伸びるんだと思います」

「……本当かな」


 まだ信じられないと言いたそうなキリルの様子に、ニールはさらに続ける。


「だったら、まずは少しだけでも訓練してみてはどうですか? 別に訓練したところで損するものでもないですし」

「……!」


 キリルがニールに向けて驚いたような表情を見せる。


 目から鱗が落ちたようだった。


 確かにニールの言う通りだ。自分は試すこともしないで、ただ『生活には困らないから』という理由で逃げようとしていたのではないか。言われて、初めて気が付いた。


 試しに訓練するだけなら誰にも迷惑は掛からないし、だめだったらその時に諦めればいいというだけの話で何かが減るわけでもない。強いてあげれば訓練に充てた時間を少し損するくらいで、他に失うものはないだろう。


「……そうだよね……!」


 もやもやしていたキリルの心の中に一筋の光が差し込む。


「あ、でも……」


 しかしすぐにその顔は曇ってしまう。魔法だけでなく、悩んでいることがまだ他にもあるのだ。


「……剣術のこと、ですか?」


 ラウラとの戦闘の件以降、ニールはずっと触れずにいたことを口にした。


 この部屋をわざわざ訪ねてきたのにもちゃんと訳がある。


 ずっと謝ろうとは思っていた。しかし、もし自分の発した言葉でさらにキリルを傷つけるようなことになってはいけない、そう考えるとなかなか切り出せないでいた。


 だが、そろそろキリルはこの城から離れるかもしれない。そうなる前にきちんと話して、謝っておきたかった。


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