第11話 王女エミリア・1

 突然、激しい音を立てて応接間の扉が開く。それは扉が粉々に壊れてしまうのではないかと思う程のものだった。


「お兄様方ったらここにいましたのね! お部屋にいなかったから随分と探しましたのよ!」


 次には甲高い声が部屋中に響いた。


「エミリア! ノックもなしに入ってくるなんて……」


 声の主の姿を認めたユリウスがすぐさま立ち上がり窘めようとするが、エミリアと呼ばれた、頬を膨らませている少女はその言葉を華麗に無視してさらに続けた。


「一緒にお茶をする約束だったじゃありませんか! ユリウスお兄様もエリオットお兄様も約束を忘れているなんて!」

「それは、その……」


 しまった、とでも言いたげにユリウスとエリオットが顔を見合わせる。

 その時だった。


「……こちらの方は?」


 彼らのやり取りを呆然と眺めていたキリルの姿に気付いたエミリアが誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。膝まであるドレスの裾を軽く両手で持ち上げると、キリルに向かって足早に近づいてきた。目の前まで来るとようやく足を止め、瞳を覗き込むようにして見上げる。


 思わずキリルは息を呑んだ。


 先程までの言動はひとまず置いておくとして、彼女は一目見た者を惹きつけるだけの容姿を持っていた。それは呼吸や瞬きをすることすら憚られるほどのものだ。


 大きな緋色の瞳は良く動き、背中まである銀糸の髪の毛は緩くウェーブがかかっていた。部屋の明かりを受けてきらきらと輝く、その美しい髪には瞳と同じ色の大きなリボンをつけている。小柄でとても可憐な少女だ。

 年齢はおそらくキリルとそれほど変わらないだろう。


 これまでのユリウスとのやり取りで、彼女が王女様なのだろうということはすぐにわかった。


 それにしても、この謎の状況を一体どうしたものか。


 キリルはただ黙って瞳を宙に彷徨わせ、立ち尽くしたままで悩んでいた。しかしそれに構うことなく、エミリアはキリルの瞳だけでなく頭のてっぺんからつま先までも、まるで値踏みでもするかのようにじっくりと眺めている。


 キリルはエリオットの時と同じように、また何か気に障ることでもしてしまったかと不安になるが、今回はまだ挨拶すらしていない。勝手に向こうから近づいてきただけだ。


 それなのに、どうしてこんな目に遭わないといけないのか。


 柔らかで花のような良い香りを間近で感じながら、そんなことを考えているとまたエミリアが顔を覗き込んできた。そして初めてキリルに向かって口を開く。


「わたし、エミリアと申します。貴方のお名前は?」

「キリル……です」


 丁寧に紡がれた言葉につい反射的に答えてしまう。いまだにエミリアが何を考えているのかさっぱりわからないでいると、次に彼女はとんでもないことを言い放った。


「わたし決めましたわ! この方を婚約者にします!」

「はい!?」


 エミリアの高らかな宣言に、思わずキリルの口からおかしな声が出た。


「いや、でもキリルはお前の……」


 これまでの様子を心配そうに見ていたユリウスがしどろもどろに言うと、


「もう決めましたの。ね、キリル様」


 そう言って彼女はキリルの腕を取り、嬉しそうににっこり微笑む。


「だから、その、キリルは……」

「身分なんて関係ありませんわ!」

「いや、身分がどうこうではなく……」

「もちろんキリル様も気にしないでしょう?」


 ユリウスの制止しようとする声もまったく届かず、エミリアはさらに強引に話を進めようとする。そんな彼女はもはや誰にも止めることはできなかった。


「えーっと……エミリア様……?」

「エミリアと呼んでください!」

「……はい」


 もちろんキリルにもどうすることもできず、ひたすら固まったままで突っ立っていることしかできない。一体自分のどこを見て、どう気に入ったというのか。彼女の言動は謎だらけだった。


 だが、そんな混沌とした雰囲気を一気に破ったのはニールだった。


「エミリア様! 今は大事な話をしているところですから!」


 大きく息を吸ったニールがエミリアに向かって怒鳴ると、その声に驚いた彼女が目を見張り、部屋の中にようやく静寂が戻ってきた。そして彼はすかさずエミリアの背後に回ると、半ば無理やりに彼女の背中を押して扉の方へと追いやっていく。その間、エミリアは黙ってされるがままになっていた。


 多分ではあるが、ニールがこのように怒鳴ることは相当珍しいのではないかとキリルは推測する。まだ会って間もないが、実際にここまで大きな声を聞いたのは初めてだったし、ユリウスとエリオットも呆然としていたからだ。


 それにしても王子の世話係だという彼が、目上の者である王女に対してあのような態度でいいのかとも思ったが、何かあってもきっとユリウスとエリオットが何とかしてくれるのだろう。そう考え、そのことは心配しないことにした。


「……ふう」


 やっとのことでエミリアを部屋から追い出したニールが額を手の甲で拭いながら一息つく。一仕事終えた充実感からか、とても爽やかな表情を見せていた。


 そんな彼とは対照的に、キリルたち三人は眉をひそめ、彼だけは絶対に怒らせないようにしようと固く心に誓ったのだった。


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