第3話 始まりの日・3

 近くの茂みから物音がして、キリルは思わず音のした方を振り返った。


 もし騎士団の人間だったら早く逃げなければならない。だが、座り込んでいる今の状況ではそんな簡単に逃げられるとは思えない。


 そんなことが一瞬で頭の中をよぎり、身構える。そのまま茂みを睨みつけていると、また音がした。


「怪しい者ではありません、キリル様」


 言いながら現れたのは甲冑姿の人間ではなく、黒髪に若草色の瞳を持った軽装の見知らぬ青年だった。


 年齢はキリルより四、五歳くらい上だろうか、長身の彼は腰に立派な長剣をぶら下げていた。しかしそれを手にすることなく、両手を肩の高さくらいにまで軽く上げている。どうやら敵意がないことをアピールしているらしいが、まだ騎士団の人間ではないと決まったわけではない。そもそも、この状況で『怪しくない』と言われたところで、そう簡単には信用できないだろう。


(どうしておれの名前を知ってるんだ……?)


 キリルは自分の名前を呼ばれたことに疑問を抱き、青年に訝し気な視線を投げつけた。

 そんな警戒した様子に気付いたのか、青年が真面目な顔で言う。


「俺はオフェリア様との約束を守るため、ここに来ました」


 また自分のよく知った名前が出てきて、キリルは目を見張った。


「どうして母さんの……」

「詳しい話はあとで。まずはここから逃げましょう」


 言葉を遮ると、青年はキリルに向けて右手を差し伸べる。キリルはそれを一瞥すると手の甲で弾き、自力で立ち上がろうとした。


「――っ!?」


 しかし突然の足首の痛みに、またその場に座り込んでしまう。

 これまでは逃げることに必死で気が付かなかったが、どうやら途中で足を捻っていたらしい。


「こんな時に……!」


 痛めた左足首をさすりながら吐き捨てるように呟く。そんな様子を見ていた青年が心配そうに膝をついた。


「どこか怪我でも?」

「ちょっと足を捻ったみたいだけど、平気だから」


 キリルは冷たい口調でそれだけを返すと、再度自力で立ち上がろうと試みる。が、結果は同じだ。


「でも……」

「いいから」

「怪我したところを見せてください」

「平気だって!」


 二人でそんないつまでも終わりの見えない押し問答をしているところだった。


「ニール!? どうしてこんなところに!」


 キリルたちの声が聞こえたのだろう、いつの間にか近くまで様子を見に来ていた招かれざる客――一人の騎士が青年の姿を認め、驚いた声を上げた。


 その声を合図にするかのように、ようやく押し問答が終わりを告げる。


(やっぱり騎士団の人間だったのか)


 今は隣にいるニールと呼ばれた青年に、キリルはちらりと睨むような視線を投げた。


「お前もユリウス様の命令でここに来ていたのか? 派遣されているのはユリウス様直属の騎士団である俺たちだけだと聞いていたが」


 ニールよりひと回りくらい年上に見える騎士にそう問われると、


「違います。俺は、俺の目的のためにひとりでここに来ました」


 ニールはそうきっぱりと言い切り、キリルをかばうようにして左腕を上げた。


(この人は騎士団の人間じゃない……のか?)


 ならば、このニールという青年は一体誰なのか。


 母オフェリアを知っている口ぶりだったということは、知り合いだったのか。もしそうならば十年以上も前の話だから、彼がまだ子供の頃のことになるだろう。


 それに自分の名前も知っていた。これは母が自分の話を彼にしたことがあるということだろうか。


 そしてもっと不思議なのは、一国の王子がわざわざ自分を探す理由についてだ。当然だがこれまでに面識なんてあるはずもなく、向こうが自分を探す理由がわからない。


 次から次へと疑問が湧いてくるが、今はそれどころではない。


「……」


 ニールと騎士団員のやり取りを黙って見守りながら、キリルは木の幹を支えにして何とか立ち上がる。


 気付けば、周りはぐるりと騎士たちに囲まれていた。この状況を何とか打破しようにも、今の足の状態では歩くのがやっとで逃げることはまず不可能だろう。


 それでも何とかならないものかとキリルが思案していると、ニールと話していた騎士が首を傾げた。


「目的……?」

「……」


 騎士の問い掛けに、ニールは口を閉ざしたままで何も言おうとはしない。


「ニール! ちゃんと言わないとわからないだろう。目的って何だ?」

「……」


 改めて騎士が問うが、やはり答えない。

 その問いの答えはキリルも知りたいところだが、おそらく今の彼はひたすら無言を貫くつもりなのだろう。


「……はぁ」


 これではどうにもならない、と騎士が大きな溜息をつき、肩をすくめた時だった。


「ならば、二人一緒に城まで連れて行け!」


 キリルから少し離れた背後から年配の男の声がした。振り向くと、顔に大きな傷のある大柄な男がこちらへ向かって歩んでくる。口調や態度で、この男が騎士団長なのだろうとキリルは推察した。今まで黙って様子を窺っていたが、業を煮やして出てきたといったところだろう。


 騎士団長の言葉を合図に、キリルたちを囲っていた円が徐々に小さくなっていく。最後には手の届くところにまで騎士たちが詰めてきていた。


「……っ」


 さすがに多勢に無勢のこの状況ではどうにもならないと悟ったニールは、ややうつむきがちにキリルを見やる。そして心底申し訳なさそうな表情を見せ、それまで上げていた腕をゆっくりと下ろした。


(じいちゃん、ばあちゃん、ごめん……)


 キリルは悔しそうに唇を噛むと、静かに目を閉じた。


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