キツメにギュッ!

佐藤いふみ

キツメにギュッ!

 今日は3月31日、日曜日。神奈川県南部で開花の予想だ。城桜高校の裏庭で、一本桜は今年も咲いているだろう。あの子は必ず桜の下で待っている。俺の1年間の準備の、今日は決行の日だ。



   ◆◆◆



 去年の3月31日は土曜日だった。俺は春から通う校舎を見物しようと高校へ足を運んだ。校舎の間に細い道を見つけて入り込むと、湿った土の道の先に三分咲きのソメイヨシノが立っていた。


「綺麗だな」


 突然現れたピンク色に、俺は柄にもなく見とれてしまった。


 ふと見ると、小振りな枝が折れて垂れ下がっている。俺はもとに戻らないものかと思い、枝に手を伸ばした。


「阿呆ぉが!」


 手首に手刀をくらい、同時に右ふくらはぎを蹴り落とされて、地面に転がった。腹に追い打ちの、かかと蹴りがめり込む。


「ぐあうっ!」


「『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』と云う」


 視線の先で制服姿が仁王立ちになっていた。えらい美少女だ。長い黒髪が桜色に輝いて見える。パンツは、ぎり見えない――おしい!


「聞かんかっ!」


 靴のかかとが内蔵にめり込む。


「ぐええっ! やめろっ!」


「桜は傷つけるとそこから腐ってしまう。そんなことも知らんかっ!」


「わかった、わかったから!」


 少女は鼻を鳴らして足をどけた。


「誤解なんだ」


 俺はわき腹を押さえて事情を話した。


「……すまなかった」


 美少女はそっぽを向いて言った。


「分かってくれればいいよ。俺は上原春。あんたは?」


「なぜ?」


「せっかく知り合ったんだし、俺、今年からこの高校に通うんだ。先輩か?」


 まあ、下心丸出しだったろうよ。


「キツメだ」


「キツメ……さん? 名字? 名前?」


「どっちでもいい」


 珍しい響きに戸惑ったが、名前を教えてもらえて満足だった。楽しい高校生活になりそうだ。桜の向こうに広がる空がやけに青かった。


「じゃあさ、キツメ――あれ?」


 目をもどしたとき、桜色に輝く髪の美少女はいなくなっていた。




 俺は毎日、キツメに会いに行った。彼女はいつも桜の木の下にいた。そして、初めて会ってから1週間経った日、俺は告白した。


「つき合うとは?」


 それが返答だった。


「恋人になってくれってことだ」


「無理だ。ここは寒い。来年も現れるか、わからんよ」


 キツメは随分寒がりで、両手で体を抱いては「寒いな」と呟いていたが、言い訳にはなっていないと思った。へたな誤魔化し方だ。


 俺は一度で諦めるつもりはなかった。でも、それっきり、キツメは消えてしまった。桜は、すっかり散っていた。



 ◆◆◆



 あれから1年、桜の木の下に――やはりいた。


「よう、久しぶり」


「なんだ、春か」


「覚えててくれたんだな」


「両親に感謝しろ。名前が良い」


 キツメは相変わらず両手で体を抱いている。


「まだ寒いのか」


「ん? ああ、今年は一層な」


「お前は俺の告白を断った。覚えてるか?」


「答えは変わらんよ。わたしはもうここに居られない」


「覚悟しろ、お前の正体はとっくに分かっている」


 屈強な男たちが校舎を回ってやってきた。手には太い縄とゴザと、そして鉈を持っている。


「何をするつもりだ?」


 声をふるわせるキツメに、俺はにやりと笑って見せた。


「おう兄ちゃん、この桜だな」


 髭もじゃの棟梁が言った。


「はい、やっちゃって下さい!」


「まかせとけ!」


 男たちが桜の木を取り囲む。キツメは体を抱いて後ずさった。


「貴様、振られて逆恨みなぞ、男の風上にもおけんぞ!」


 男たちは桜の幹にゴザを巻き、太い縄で、ぐいぐいと締め上げた。


「やめい! やめんか!」


 男たちの鉈が、縄を一撃で断つ。


「ふっふっふっ、ははははは!」


 俺は春の空に笑った。


 作業は終わり、桜の木はゴザと縄で緊縛された。


「じゃあな、兄ちゃん」


 男たちは去り、キツメと俺だけが残された。俺は養生された幹に触れた。


「キツメ――木、ツ、女――桜。ばればれだっつうの」


 キツメは自分の体と桜の木をかわるがわる見た。


「もう寒くないだろ?」


 地元の植木屋さんに保全のための作業を頼んだのだ。費用を準備するのに1年間バイトに明け暮れた。


「ありがとう」


 キツメはそっぽを向いて言った。


「じゃあ、もう1度言うぞ。俺はお前が――」


 キツメは滑るように動いて、俺の唇にキスをした。


「これから家に来るがよい。茶でも出そう」


「は?」


「すぐそこだ。ニースのオリーブもある。土産に買ってきた」


「お前、桜の精じゃないの?」


 キツメの目の中に、散っていく花びらがSの字を描いた。ドSのSだ。


「だって名前が――それに、時代がかったしゃべり方――」


「名は祖母がつけた。しゃべり方も祖母の影響だ。お前、わたしを桜の精だと思っていたのか? こりゃあ傑作だ! 早速、祖母に報告しよう!」


 キツメは俺の手を引いて、校舎の間の湿った細い道をずんずん歩いて行った。


「あの桜は祖母との思い出の桜だ。あっちの学校が始まったらニースに戻るが、遊びに来い。祖母に紹介しよう。フランスなぞ12時間で着く」


 俺の初めての恋愛は、いきなり地球規模の遠距離になった。




   了

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キツメにギュッ! 佐藤いふみ @satoifumi123

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