コミカライズ記念番外編 野人皇妃 十話

 その後、天気が回復したので私達は船に乗った。アリエスはまだ寝込んでいたので寝かせておいた。船はちゃんと船室もある大きなもので、帆を上げると流れに逆らって上流にも上れるのだという。


 船の甲板から、三日間暮らした中州を名残惜しく眺めながら、私はセルミアーネに尋ねた。


「まずは宿泊場所に戻るんでしょう?」


 しかし、セルミアーネは首を横に振った。


「いや、このまま帝都に帰る」


 私は驚いた。


「え? ダメよ。まだ仕事が終わっていないもの! 代官が不正していた証拠を例の港町に行って押さえなきゃいけないんだから」


 しかし夫は穏やかな笑顔のまま首を再び横に振った。


「大丈夫だ。『もう片付いた』筈だから」


 ……ちょっと怖い笑顔だったわね。しかし私は食い下がる。


「私の仕事なんだもの。最後までちゃんとやりたいのよ! 何かあったのなら説明してよ!」


 私がギャーギャーと抗議すると、セルミアーネは仕方なさそうに溜息を吐いた。


「『問題が大きくなり過ぎた』……その事は分かるね?」


 それは、まぁ、その通りだ。


 代官が不正して蓄財していたというだけなら兎も角、法主国との不正貿易に加え帝国の重鎮たるハイサイダー侯爵までがこれに関わっていた疑いまで出て来た。ハイサイダー侯爵領から法主国までは距離もあるから途中で寄港する領地もあるだろう。そこの領主も関わっている問題なのかもしれないのだ。


 それに加えて皇妃遭難事件である。もしも私が河に呑まれて死んでいたら一体どうなっていたことか。しかも皇帝陛下が自らお出ましになり、騎士団を全員連れて来て捜索を指揮した。これだけでも大事件と言って良い。


 皇妃遭難の原因が不明であったとしても、その「現場」になったというだけでこの地域の代官は全員罪を負ったことになる。もしも不正に侯爵や他の貴族が関わっていた場合、皇妃遭難の原因と見做されるからこれも同じく罰せられる事になるだろう。


 つまり事態は帝国貴族界を揺るがす大問題に発展してしまっているということである。ちなみにこの場合「罰する」は処刑とほぼ同義で、侯爵でさえ処刑を免れ得ないだろうという。それくらい皇妃遭難と皇帝が自ら動いたという事態は大きいのである。


「しかし、私としては問題を大きくするのは避けたいと思っている。君も無事だったしね」


 もしも見つからなかったらこの辺り一帯を炎の神のお力で焼き尽くして灰にする所だったが、とセルミアーネは真顔で呟いた。危ない危ない。


「なので私は君の捜索と同時にハイサイダー侯爵に使者を送った。『侯爵が不正に関与していたのか否か』とね」


 私は呆れた。


「そんな事を言ったら否定してくるに決まっているじゃないの」


 犯罪を犯したのかと聞かれて素直に「はい」という貴族はあんまりいないと思うの。


「そうだね。勿論否定するだろう。だけど、否定した後不正の証拠が見つかったらどうする?」


 その可能性はある。密貿易港を捜索して貿易商人を捕まえて捜査すれば、もしかしたらハイサイダー侯爵の関与が証明されるかも知れない。


「まぁ、証拠が見つからなくても、もしも君が怪我でもしていたら、私が腹いせにハイサイダー侯爵を厳しく罰する可能性はあっただろうな」


 まして死んでいたら間違いなく打ち首だっただろう。


「そういう状況で私に詰問されたハイサイダー侯爵はどうすると思う?」


「……証拠隠滅に走るでしょうね」


「そういう事だ」


 この場合、ハイサイダー侯爵がもしも無実でも、怒りに燃えた皇帝陛下の八つ当たりで有りもしない証拠をでっち上げて罰せられる可能性は十分にあった。それを避ける為には「証拠」をまったく、徹底的に、跡形もなく消してしまう必要があったのである。


 ハイサイダー侯爵はセルミアーネの書簡を受け取り、同時に状況を知って恐れおののいた。侯爵はセルミアーネに自分の無実を訴える書簡を出すと共に、自分の領地代官に命じて軍を出させ、密貿易港を襲撃させた。


 密貿易港はあわれ大炎上して跡形もなくなくなったそうである。同時に侯爵は関わったであろう交易商人を捕まえて片っ端から処刑してしまったそうだ。お陰で当地の交易商人組合は壊滅してしまい、ハイサイダー侯爵領の交易はしばらくの間停滞する事になってしまったらしい。


 そういう状況は交易の中間拠点になっていた港がある領地でも同じで、領主達は大慌てで不正交易に関わっていた交易商人を罰し、暗黙の了解で見逃されていた法主国方面の不正貿易を厳しく取り締まったのである。こうして、直轄領と法主国を繋いだ不正交易は一掃されたのであった。色々うやむやにしてだけどね。


 領主貴族でその有様である。皇帝直轄領の代官達には更に過酷な処分が待っていた。


 直轄領南東部には計十一人の代官がいたのであるが、この全員が処刑された。勿論であるが、妻子含めてである。この際には一切の弁明が許されず、しかも全財産は没収された。この中には当然、不正交易に関わっていなかった代官もいたと思うけど、問答無用で処刑された。なぜなら罪名が「皇妃を危険な目に遭わせた罪」だったからだ。


 私としては自分は死んでいないのだからそこまで苛烈な処分は必要無いのではないかと思ったのだけど、相手が上位貴族でも今回のような事態を招いた時には重大な処罰の対象になるのだそうだ。例えば社交で貴族の屋敷に皇妃が出向いた時に、何か事故があって皇妃が怪我でもした場合、当主に自裁が命じられる事になるだろうとの事。まして男爵に過ぎない代官の命など、皇妃の身の安全に比べれば紙のように軽い。


 これに加えて本来ならその領民にも罪は及ぶのだそうで、処刑や強制労働などの罰が検討されたらしい。


 しかしこれはセルミアーネが止めさせたのだそうだ。


「ラルは平民まで罰せられる事を望まないだろう?」


 私はホッとしたわよね。領民達は代官の不正に苦しめられていたのだ。それなのに代官の罪に巻き込まれたら可哀想過ぎる。私は後で逆に捜索に協力してくれたお礼として、当地の税率を少し下げてあげた。勿論、新たに任命した代官達には平民を虐げないように厳しく指導しておいたわよ。


 これらの処置はこの時は勿論まだ終わってはおらず、ハイサイダー侯爵の密貿易港襲撃なんかは進行中だったわけだけど、既にセルミアーネには事態が思い通りに進行している事は分かっていたのだろう。それで「片付いた」と言ったのだ。


 とにかくセルミアーネは一刻も早く帝都に帰りたがっていた。騎士達に交代で精霊魔法を使わせて、風を帆に吹かせていたくらいだからね。それは忙しい皇帝陛下の事だ。帝都を長く留守にしたくはないのだろうけど……。ちょっと待ってほしい。何か忘れられてはいないだろうか?


 私は恐る恐る夫に言った。


「ねぇ、その、私、宿泊地の近くの森で狩りが出来る予定だったんだけど……」


 さすがのセルミアーネもそっぽを向いて返事をしなかった。聞かなかった事にするという意味だろう。ですよね~。こんな事態になって、当事者の私が何事もなかったようにのんびり狩りを楽しめる訳がない。分かってはいるのだ。


 狩りの代わりに十分に野性的活動をしただろう、と言われればその通りなんだけど。ううう、あの地方の森にはヒョウだとか顔が大きな大猿だとか白黒熊とか、魅力的な獲物がまだいた筈なのに! カルシェリーネのお土産の鳥もまだ狩ってないのに! しかし、この私でもそれはちょっと言い出せなかった。セルミアーネにも他のみんなにも大迷惑を掛けたという自覚はあったからね。


 船は途中、離宮のある港町に停泊し、私とセルミアーネは一泊した。そこにはマルメイラを始めとした私の侍女達が待っていた。それはもう彼女達は涙を流して私の無事を喜んでくれたわよね。その様子を見て私はちょっと罪悪感を覚えた。私的には中州で呑気にサバイバルを楽しんでいただけだったからね。


 ただ、侍女達にしてみれば生きた心地がしなかった事でしょうね。もしも私が見つからなければ責任を問われて彼女の命はなかった事だろうから。その場合、恐らく彼女達の実家も含めて厳しい処罰が下ったと思われる。本当は、私が遭難した時点で彼女達は最低でも解任の上で貴族身分剥奪くらいの罰が下ってもおかしくはなかったのだけど、私が止めたのだ。同時に、護衛の騎士達の罪も不問にしたわよ。


 離宮でお風呂に入って着替えて、さすがの私もホッとした。柔らかいベッドが何ともありがたい。心配性のセルミアーネは寝る時も私を抱き締めたままで、寝心地はあんまり良くはなかったのだけどセルミアーネの気持ちも分かるから彼のやりたいようにさせておいた。熟睡は出来たわよ。


 翌日朝に船を出して、その日の夕方前には船は帝都に到着した。帝都南門に近接した港に船を着けて、思わぬ皇帝と皇妃の登場に喜ぶ市民達の大歓声に手を振りながら、私達は馬車に乗り込み、騎士達に守られながら帝都の厚い城壁を潜ったのである。


 あーあ、帰って来ちゃった。馬車の中で私はちょっと、残念な気分になっていた。今回の視察は色々ハプニングがあって、完全に当初の目的を達成したとは言い難かった。もう少しちゃんと最後までお仕事をして、そして最後に開放的な気分で狩りをしてから帰りたかったのだ。


 それにあんな遭難事件まで起こしてしまったら、周囲の者に止められてもう今後二度と帝都の外に出ることは叶わないかもしれない。ただでさえ皇妃は忙しいのだ。休暇もままならないくらいには。そういう意味でも、もう少し視察旅行を続けたかったのである。


 そんなわけで馬車の中で少し不機嫌になっていた私の正面で、セルミアーネが苦笑気味な表情を浮かべながら言った。


「そんな顔をしないでくれ。機会を見付けてまた視察に行けるように考えるから」


 え? 私は思わず顔を上げて夫の顔をマジマジと見詰めてしまった。


「君の視察は有意義だったと、大臣達もちゃんと認めているよ。不測の事態が起きてしまったとはいえ、ラルはよくやってくれた。直轄地は広いし、問題はこれからも多々起こるだろう。そういう時、君に出向いて問題を解決して貰えると助かる」


 ……とかなんとか言って、当然だけどこれは私に皇妃生活の息抜きをさせてくれようという皇帝陛下の配慮だろう。セルミアーネは本当に私の事をちゃんと考えてくれているのだ。これは新婚の頃からまったく変わらない。


 私は嬉しくなり彼の手を取った。ただ、この人は私の事は気遣ってくれる癖に、自分の事には無頓着なのだ。そこは他ならぬ妻である私がしっかり見て上げなければいけない。でないと一人で何でも抱え込んで無理をするんだからね。この人は。


「分かったわ。でも、次はミアも、リーネも一緒に行きましょう。たまには家族で羽を伸ばすのも良いと思うの!」


 セルミアーネは私の手を握り返して嬉しそうに微笑んだ。それからムッと顔を引き締め、しかし少しおどけた口調で言った。


「こらこら。皇妃よ。あくまで視察は仕事であるぞ。そこを勘違いしないように」


 私もぺろっと舌を出した。


「あ、そうでございましたわね。皇帝陛下」


 私とセルミアーネは次の瞬間吹き出して、二人で大きな声で笑ったのだった。


  ◇◇◇


 帝宮に入り、内宮に入るとカルシェリーネが「かーさま」と、よちよちと歩いてきて私を出迎えてくれた。私は満面の笑みを浮かべながら息子を抱き上げる。


「ただいま。カルシェリーネ。良い子にしていましたか?」


 約束した鳥の羽は持って帰って来れなかったけど許してほしい。代わりにこれを持って来たから。私は彼にお土産を渡した。


 それは大ワニの歯だった。小さ目の歯を一本だけ記念に持ってきていたのだ。あの大きさのワニだから小さ目の歯でも私の指の長さくらいあってなかなか迫力がある。勿論、入念に洗ったわよ。


 カルシェリーネは渡されたワニの歯を見て目を丸くしていたけど、直ぐに嫌そうに顔を顰めてワニの歯をぺいっと投げてしまった。気に入らなかったらしい。やっぱり鳥の羽が良かったみたいね。


 グズり始めたカルシェリーネを乳母に任せて、私はソファーにえいやっと座った。やれやれ、やっと帰って来たわー。という気分で。


 そうしたらたちまち雷が落ちた。


「妃陛下! なんですかその無作法は!」


 ひぇ! ビックリして声の方を見ると、そこではヴェルマリアお姉様とエーレウラが目を三角にしてこちらを睨んでいた。まずい。私は慌てて姿勢を正した。えーっと、優雅な座り方ってどうやってやるんだっけ?


「お、お姉様。お久しぶりで」


「ご無事で何よりと言いたいところですけど、やっぱり懸念していた通りでしたね。社交が始まる前に来て良かったわ」


 お姉様はズンズンと歩いてきて腰に手を当てながら私を上から見下ろした。


「な、なんの御用でしょう? お姉様?」


「エーレウラに頼まれたのですよ。どうせ妃陛下の事だから、視察中羽目を外してお作法など放り投げ、すっかり忘れて帰ってくるに違いない。戻って来たらお作法をもう一度たたき直して貰いたいと」


 ……流石は私の侍女長である。私の事をよく分かっている。


「い、いやあねぇ、お姉様。忘れてなんていないわよ。お、おほほほほ」


「そんな真っ黒に日焼けしたお顔で、そんな姿勢で、そんな感情丸出しのお顔で言っても説得力はありませんよ。それでなくても皇妃になってから忙しいのもあってかお作法が崩れがちだと思っていたのです。ここはエーレウラと二人で一から鍛え直してあげますからね。ラルフシーヌ」


「え、ええええ!」


 という訳で、せっかく帰って来て、遭難の疲れを癒やすためという名目で休暇を貰ったにも関わらず、私はヴェルマリアお姉様とエーレウラにみっちりとお作法の復習をやらされる羽目になったのだった。とほほほ。



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活き活きとしたラルフシーヌがとっても素敵だから是非読んで下さいね(*゚▽゚)ノ

コミックス第一巻は十一月一日発売です!買ってねー!


 

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貧乏騎士に嫁入りしたはずが! 宮前葵 @AOIKEN

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