コミカライズ記念番外編 野人皇妃 九話

 残る武器はもう石斧とへなちょこ弓矢だけだ。私は石斧を握り締める。まだ炎の神の御力が残っているので、石斧に赤い炎が宿る。私が握っている限りはすぐに燃え尽きてしまう事はないようだ。


 私は大ワニを睨み付ける。背中にダメージを負った大ワニはさすがに痛そうに身体を捩っていたが、すぐに私の事を煌々と光り輝く金色の目で睨んだ。視線が交錯する。


 次の瞬間、大ワニは地面を震わせて突進してきた。早い! そしてクワッと大口を開いて私を丸呑みにしようとした。


 私は砂を蹴って横っ飛びに飛んで牙を避ける。そして走って大ワニの横に回り込むと石斧を振り上げた。


「こんにゃろー!」


 目を狙ったのだが外れた。炎の石斧はワニの側頭部にヒットする。爆発的な炎が噴き上がった。


 しかし、浅い。とにかくこのワニの皮膚は岩のように硬くて厚いみたいなのだ。事によったら竜の皮膚と同じくらい硬いんじゃないかしらね。


 炎で燃やされても大して効いたようには見えない。やはり口の中か目、せめて腹側に攻撃しないとダメージを与えられないだろう。


 炎の神の御力がいつまで有効か分からない。多分その前に石斧が保たなくなるだろうね。もう無駄打ちは出来ない。


 大ワニは再度の私の攻撃に警戒心を強めたようだ。大きく尻尾を振って私を跳ね飛ばそうとする。私は飛び退いて躱したのだが、そこへ大口が襲い掛かる。く、小癪な! フェイントを使うなんて意外に知恵あるわよこのワニ!


 私は地面を転がって大口の攻撃を避け、更にジャンプして大木のような尻尾を避ける。


 なんとか避けられているけど、このままではジリ貧ね。どうにかしてダメージの通る攻撃をしないと。それにはやはりこの硬い皮膚を避けて、大ワニの柔らかい部分に攻撃を当てなければならない。


 私は地面に転がっていた石を取り、大ワニに向けて何個も投げ付けた。炎の神のお力で石つぶては火の玉になる。


 もちろん、大ワニの攻撃を避けながら適当に投げているだけだから、ほとんどがワニの巌のような鱗に阻まれて何の痛痒も与えられない。しかし何個かは腹側に当たった。そこは皮膚が破れて血が流れ出す。


 私はその傷口を狙って石斧攻撃を仕掛けた。セルミアーネと先帝陛下が竜と戦った時に使った戦法だ。相手の一部分に向けて攻撃を集中するのだ。


 炎の石斧の連続攻撃で大ワニの脇腹に大きな傷口が出来る。赤い血が吹き出し、地面にボタボタと落ちた。もちろん、大ワニは怒り狂い、躍起になって私をその大顎で噛み砕こうとする。土が吹き飛ばされ砂塵が舞い、私の銀髪を何度もワニの牙や尾が掠めた。


 私は攻撃を集中しながら機会を伺う。傷口を大きくしていけばワニを失血死、あるいはそれを恐れての逃亡を選択させる事は出来ると思うけど、それまで石斧と炎の神の御力が保つかどうか分からない。


 一撃で大ダメージを与える必要がある。それにはやはり、弱点に一撃必殺の攻撃を加える必要があるだろう。つまり、口の中か目玉だ。


 ワニは攻撃の際に口を開くだけなので、意外に口の中は攻撃しづらい。近接武器しか無い今の状況では尚更だ。なので目標は目一択。大ワニの目の位置は私の目線よりもかなり上にあり、跳躍して攻撃しないと当たらないだろう。


 飛び跳ねて攻撃すると無防備になる。牙にも近い位置だしね。慎重にタイミングを図らなければいけない。私は大ワニの攻撃を避けながら機会を待った。


 そして、私の脇腹への攻撃に、大ワニが痛みを感じたか大きく身を捩った瞬間、ワニが足を滑らせた。顎の位置がガクンと下がる。……好機!


 私は一気に地面を蹴って全力でダッシュして、大ワニに襲い掛かった。跳躍して炎の石斧を振り上げる。


「くらえー!」


 私は全力の魔力を込めて石斧を上段から振り下ろした。大ワニの目に向けて。


 カッと閃光と炎が炸裂し、同時に石斧が限界を迎えて燃え尽きた。しかし炎の一撃は確実に大ワニの目に吸い込まれた。


「よし!」


 私は快哉を叫んだのだけど、喜ぶのがちょっと早かった。跳びのこうとする私に大ワニの尻尾が凄まじいスピードで襲い掛かってきた。空中の私は避けようがない。私は咄嗟に身体を丸めた。


 私は手鞠のように跳ね飛ばされた。激突の瞬間全力で魔力を発散したのでダメージはそれほどなかったけど、その瞬間に炎の神の御力は尽きてしまった。身体に纏っていた炎が消える。


 地面に叩き付けられて息が詰まってしまう。しかしのんびり寝ているわけにはいかない。私は痛みに耐えて飛び起き、飛び退いた。その位置に大ワニの巨大な顎が襲い掛かり、噛み合ってガチンと音を立てる。


 見ると大ワニが、一つになってしまった金色の瞳を爛々と輝かせて私を見下ろしていた。戦意喪失などとんでもない。むしろ目を失った怒りをオーラとして煌々と発散していた。


 ……おのれ小癪な!


 私は歯噛みするものの、もう武器も炎の神のお力もない。攻撃の手段が何もないのだ。せいぜいただの石をぶつけるしかない。絶望的な状況。


 ……絶望? 私は思わず歯を見せて笑った。諦めるなんて言葉は私の辞書にはないわよ! 私は拳を握りしめて構える。


 こうなったら大ワニの口の中に飛び込んで胃の中に潜り込んで、内側から攻撃して内臓を引き千切ってやるんだからね! 


 それには、牙に噛まれたら動けなくなってしまうから、自分から大ワニの口の中に突撃する必要があるだろう。大ワニの攻撃のタイミングに合わせてね!


 私は腹を決め、大ワニを赤い瞳で睨み付けた。大ワニも目を逸らさない。視線が激突して火花を散らした。


 次の瞬間、大ワニは地面を震わせて突進してきた。一気に私の方に迫ってくる。来い! 来い! 私は全身に魔力を巡らせて身構える。そして、怒濤のように接近した大ワニが私を丸呑みにせんと大口を開いた。


 ……行け!


 私がワニの口に飛び込もうとした、その瞬間だった。


 私の肩が優しく、しかし力強く抑えられた。へ? 私が思わず動きを止めると、鋭い声が発せられる。


「仕掛け弓、撃て!」


 間髪入れず私の後ろで弓が弾かれる音が響き、私の横を通り過ぎて何本もの矢が飛んで大ワニの口の中に飛び込んだ。機械で巻き上げる仕掛け弓は、人間の引く何倍もの威力の矢を放つ事が出来る。それが柔らかな口の中に何本も飛び込んだのだからたまらない。


 大ワニは名状し難い悲鳴を上げてのたうち回った。その隙を彼は見逃さない。


「第一隊攻撃せよ!」


 彼の号令で十人ほどの鎧を纏った騎士が「おう!」と気合の声を上げて、槍先を揃えて突入した。騎士の集団攻撃の威力は絶大だ。正面からぶち当たった大ワニは大きく顎をのけぞらせる。


「第二隊、側面より攻撃せよ!」


 もう一つの騎士隊が飛び出すと、大ワニの側面から襲い掛かる。そして槍を刺すというより体当たりして大ワニを吹っ飛ばす。大ワニはバランスを崩して仰向けにひっくり返った。


「よし! 総員油断せずに攻撃せよ!」


 騎士達は一斉に大ワニに槍や剣を突き立てた。暴れながら起きあがろうとする大ワニの脚を切り付け動きを封じ、何人かはロープで大顎を縛りに掛かっている。流石は帝国の誇る騎士団だ。見事な連携である。


 わ、私も! 一歩踏み出そうとした私は肩を掴んだままだった手で止められた。いつの間にか私の身体には大きなマントが羽織らされている。


「その格好で戦われては困るよ。ラル」


 ……彼が言わんとする事は分かる。私の格好は元々ほとんど下着姿だったのだが、炎の神の御力の影響で燃えてしまい、いまやほとんど全裸だったのだ。申し訳程度に布切れが局部にこびりついているだけ。この格好で人前に出る訳にはいくまい、私にだって羞恥心はある。私は大きなマントを自分の身体に巻き付けた。


「ずるいわ。貴方だけ。ミア」


 彼、私の夫である帝国皇帝セルミアーネは苦笑した。


「散々戦っただろう? 止めは私に任せてくれ」


 そしてセルミアーネは自分の長剣を抜き放った。祈りの言葉が朗々と紡がれる。


「天にまします全能神と、炎と浄化の神よ。この剣に御力を宿らせたまえ!」


 すると、セルミアーネに炎の神の御力が降臨した。長剣が真っ赤に輝き出す。


「総員! 道を開けよ!」


 セルミアーネの叫びに騎士たちは即座に応じた。セルミアーネの前に大ワニに続く道が開ける。仰向けになったまま緩慢に足を掻く大ワニに向け、セルミアーネは剣を突き付け、目にも止まらぬ速度で一気に飛び込んだ。


「はあぁああ!」


 気合の声凄まじく、振り抜かれた長剣は、一太刀で大ワニの首を半ば両断した。次の瞬間、その傷口から炎が吹き上がる。


 大ワニはその瞬間、尻尾を高々と振り上げたが、やがてそれは痙攣し、力なく地面に横たわった。「おお! やったぞ!」「さすがは皇帝陛下!」「竜殺しの次は大ワニ殺しだ!」などと騎士達から大歓声が上がった。


 大ワニの絶命を慎重に確かめると、セルミアーネは剣を鞘に戻した。同時に魔力を抜いたからか身体に纏った炎が消える。紅茶色の艶のある髪に、秀麗な相貌。深い青の瞳がニコッと細められた。しかし私は不満顔だ。


「……私の獲物だったのに」


「さすがに徒手空拳で叶う相手ではないだろう?」


「口の中から飛び込んで、ハラワタを食い破るつもりだったのに!」


 そう言って怒る私にセルミアーネは苦笑した。


「奥さんに人間を止めてもらう訳にはいかないな。間に合って良かったよ」


 まぁね。確かにそんな作戦、成功しなかった可能性が高い。丸呑みに呑まれて食べられてしまっただろう。彼が来てくれて助かったのだ。


「……ありがとう。ミア。助かったわ」


「どういたしまして」


 セルミアーネはそう言って私を抱き寄せ、私は夫に勝者に贈るキスをしてあげたのだった。


  ◇◇◇


 セルミアーネは私の行方不明の連絡を受けた瞬間に、全ての仕事を上皇様に丸投げして帝都を飛び出したらしい。いても立ってもいられなかったのだそうだ。まぁ、私だって彼が行方不明になったら同じ事をするだろうね。


 騎士団を全員連れて、騎士団用の船でアリステル河を降って一昼夜でこの地方に到着し、ベックたちが手配した地元の漁師達と協力して大々的に捜索をしたのだそうだ。


 ただ、アリステル河の下流域は幾つもの流れに枝分かれしていて、捜索は極めて困難だった。セルミアーネは全能神に祈りを捧げ、神託を何度も受けて捜索方面を絞り込んでいったのだそうだ。全能神の神託を受けるには魔力の奉納が必要だから大変だっただろう。しかもあれはかなり漠然とした指針を頂けるだけだから、結局は最終的にはセルミアーネの勘がものを言ったのではないだろうか。


 しかし今日のこの悪天候で捜索は難航していたらしい。セルミアーネも焦ったが、彼が二重遭難してしまっても大変だから騎士たちに総出で止められて、セルミアーネは碇を下ろした船から動けず、ジリジリとただ焦りを深めていたらしい。


「その時、空に突然光の球が輝いたんだ」


「光の球?」


「そう。光の精霊魔法、いや、あの大きさは輝きの神の御力かもしれない」


 私達がいた中州の上に大きな光の球が輝いていて、遠くからもよく見えたのだそうだ。セルミアーネがその光を目指して駆け付けると、中州があり、光の下にアリエスがいたのである。


「アリエスが光の魔法を空に放っていたんだ」


 つまりアリエスは私に逃がされ中州の反対側に行ったのだけど、そこで輝きの神に祈って空に光の球を生み出したのだろう。光の球で救援に来ているであろう騎士団を呼び寄せる烽火の効果を狙ったのだ。


 狙いは見事に成功し、真っ先に上陸したセルミアーネにアリエスは私が大ワニと戦っている事情を説明した。それでセルミアーネは騎士団に装備を整えさせてから、私の救援に駆け付けたという訳だった。


「アリエスのお陰だな。地元の漁師もこの中州の事を知らなかったから」


 私達が流れ着いたのはどうも複雑な流れの中にある中州だったらしく、漁師の小さな船では接近するのが危険な陸地だったようだ。


「アリエスは?」


「力尽きて気を失ってしまった。船の中に回収して救護員に手当を受けさせているよ」


 アリエスの魔力で神々に祈る大魔法を使うのはかなり無理がある行為だっただろう。しかし彼女のおかげで助かったことは事実だった。起きたらうんと感謝しなくちゃね。でも、役立たず呼ばわりした事を怒ってるかな? まずは謝罪からかしらね?


 流れが速くて船を動かすのが危険だという事で、騎士団がテントを設営して私とセルミアーネはその中で休息を取っていた。雨が止んで流れが緩んだら船を出して街まで引き上げる予定だ。テントは私が即席で作った寝床とは大違いで完璧な防水だったし木の簀の子の床で、立派なベッドまであった。流石は皇帝陛下仕様の野営所である。


 で、私は裸にマントを巻き付けられたままセルミアーネに抱き締められていた。ベッドに腰掛けたセルミアーネの膝に乗せられて、背中側から覆い被さるように彼の両腕に包まれていたのだ。もうそのまま二時間くらいそうしているんじゃないかしら。えーっと。ミア? 私も着替えてさっぱりしたいんだけど……。


 とはちょっと言い出せる雰囲気ではなかった。私だってたまには空気を読む。彼は私を後ろから羽交い締めにしたまま何度も大きな安堵の溜息を吐いていたからね。


 それはね。私だってちょっと、かなり、無茶苦茶に彼を心配させてしまった自覚はある。後で聞いたら捜索に当たったこの三日間、彼は一睡もしなかったし水しか飲んでいなかったらしい。あんまりにも彼が安堵して身体を震わせて私に無事を喜んでくれているのを感じて、私はさすがに罪悪感を覚えた。


「……ごめんなさい。ミア」


「いいよ。絶対君は無事だと信じていた。一刻も早く君を助けたかった。無事で、本当に良かった」


 暖かく、優しく、人物の大きな旦那様。ちょっと私は自分の夫の寛容さに甘え過ぎているかもしれないわね。普通の夫なら妻がこんな無茶したらお説教の一つもする所だと思うのに、彼は一言も私を責めなかったからね。


「……君の無事を確認したら、お腹が空いてきたな」


 セルミアーネがようやく私を抱き締めるのを止めて言った。私は目を輝かせる。


「なら、あの大ワニを食べない? 調味料はあるんでしょう? 一匹捌いて食べたんだけど、塩もないから美味しくなかったのよ。調味料と料理を工夫すれば美味しく食べられると思うの!」


 私が熱弁すると、セルミアーネはさすがに呆れた様に目を丸くした。


「あれを食べたの? 随分と楽しんだようだね。ラル」


 私はニッコリと笑って言った。


「ええ。とっても楽しかったわよ!」 


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活き活きとしたラルフシーヌがとっても素敵だから是非読んで下さいね(*゚▽゚)ノ

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