わらしべ長ねこ

いずも

にくきゅースタンプ

 吾輩は猫である。名前はまだない。


 いつもひんやりとした軒下が好きで日がな一日眠ることもしばしば。

 しかし、流石に腹が減っては昼寝もできぬというもの。

 見つからぬようこっそりと、忍び足で軒下を抜け出――


「おいで。おいで」


 ――せなかった。


 このジョコーセーという人間は吾輩が根城とする家主の娘らしい。

 そして、どうにも勘違いされているのだが吾輩をこの家の飼い猫だと思い込んでいる。だからこうして食事を運んでくる。くるのだが。


 吾輩の目はごまかせない。どう見てもその牛乳の賞味期限は切れている。

 この間なんぞ腐りかけの煮干しを持ってきた。

 猫を残飯処理班か何かと勘違いしてはいまいか。


「あっ……行っちゃった」


 吾輩は誇り高き猫である。自分の食い扶持は自分で探す。

 こうしていつものように町へと繰り出していく。決して逃げるわけではない。



 さて、どこへ向かおうか。

 今日はいつもの魚屋は定休日である。同じ食うなら腐っても鯛といきたかったが仕方ない。たまにはのんびりと探索するのも悪くない。


 公園へ向かうと何やら騒がしい。


「えーんえーん。あたしのくつがー」

「くっそー、ぜんぜんとどかねー」


 見れば二人の子どもが必死に木にしがみついている。木の上には、なるほど靴が挟まっていた。

 往々にして人間の子どもというものは靴を宙に飛ばして木に引っ掛けるものである。

 しかし吾輩には関係のないこと。


「えーんえーん」

「なくなよー……おれまでかなしくなるじゃねーか」

 吾輩には関係のないこと。


「えーんえーん」

「……うっ、ううっ」

 吾輩、に、は……。


「えーんえーん」

「えーんえーん」


 吾輩は激怒した。

 ええい、こんなところに靴があるから子どもたちは喧しいのだ。

 稚児ややこのように泣きじゃくる人間どもを黙らせるために一目散に木に登り、靴を蹴り落とす。


「わぁ、ねこさんありがとー」

 礼などいらん。飯をくれ。


「これやるよー」

 差し出されたのは靴を取るのに使っていた棒きれである。飯じゃないのか。


 これでは腹の足しにならん。木の根っこを食わされたとされる捕虜にされたアメリカ人と変わらぬではないか。

 吾輩は棒切れを齧りながら再び街を練り歩く。



「くっそー、あと少しなんだけどなー……届かねー」

 若者が地べたを這いずっている。何だ、そこはひんやりしているのか。だったら吾輩と代わるのだ。


「んっ、なんだお前……ちょうどいいもん咥えてるじゃーん」

 そう言って人間は吾輩から棒切れを奪い、再び這いつくばる。だから代わってくれって。


「よっしゃー百円取れたー。助かったぜ、飲み物買おうとしたらお金落としちゃってさー」

 礼などいらん。飯をくれ。


「何が出るかお楽しみ自販機~……って、なんだこりゃ」

 往々にして人間という生き物はギャンブル好きである。なぜ無難な選択肢を選ばずに安いからと言って謎の商品に手を出してしまうのか。安いということにはそれなりの理由があるのだ。


「うーん……もういらないや。そうだ、お前にやるよ」

 吾輩は不思議な飲み物を押し付けられた。


 何を隠そうペットボトルのラッパ飲みは得意である。どこか落ち着ける場所があれば吾輩の特技を披露するのも吝かではない。

 ふらり歩いていると河川敷に休憩用のベンチがあることを思い出す。


 ほら、丁度いいベンチがあるではないか。先客がいるが気にしない。

 どれ、吾輩の特技を――不ッ味ッッッ!!!


「おや、それは」

 先客の老人が筆を止めてこちらを見る。


「ほほう、これは貴重なペ○シもんじゃ味ではないか。あまりの不味さにリアルゲ○の味がすると言われすぐに販売中止になった。○プシコレクターのワシでも手に入らなかった幻の商品がなぜここに」

 往々にして人間は馬鹿なの?



 吾輩はしばらくその人間の作業を眺めていた。どうやら絵を描いているらしい。芸術への造形も深い吾輩から見てお世辞にも上手いとは言えぬが味がある。長年の趣味であろう。


「ああ、これか。次の個展に向けて描き下ろし作品をと頼まれてな。しかしどうにも納得のいく作品が描けぬのだ」

 この絵の特徴は見覚えがある。町のいたる所にポスターが貼ってある。確か世界的に有名な天才画家が生まれ育った町で戻って個展を開催するという触れ込みだったはず。

 まさか、この老人が? ……そう言われると良い絵に見えないこともない。


「そうだ」

 この男は吾輩の肉球に絵の具を塗りつけキャンバスに押し当てる。


「はっはっ、これは良い」

 吾輩の前足は筆代わりにされている。にゃんだこれ。


「いやあ、こいつはいい絵になりそうだ。ありがとう」

 天才の考えることはわからぬ。あと礼などいらん。飯をくれ。もしくは著作権を折半してくれてもいいぞ。


「足が汚れてしまったな。これで拭いてくれ」

 使い古されたハンカチの上で吾輩は足をふみふみした。


 吾輩は売られた喧嘩と恩はきっちり返す猫である。汚れてしまったハンカチを咥えて川に向かう。

 じゃぶじゃぶと洗濯していると、人影がすっと我輩を覆う。

「あら、そのハンカチ……」



「やっぱりケンちゃん!」

「もしかして、カオリちゃん!?」

 先程の天才作家と今しがた現れた貴婦人。吾輩はただ事の次第を見守っている。


「このハンカチ、部活中に汚れたからって貸してくれたまま、ずっと返せずに使い続けてしまっていて……申し訳ない」

「まあまあ、そんな謝らないで」

「あの時君が褒めてくれたから絵を描き続けることが出来た。本当に感謝してる」

「ふふ。こんなすごい人が誕生するきっかけになっただなんて嬉しいわ」

「ああ――そうか、その左手。結婚、しているんだね」

「……ええ」

「あれからもう50年。取り返しのつかないことばっかりだ」

「……ケンちゃん……」


 吾輩は何を見させられているのだろう。

 ただお腹が空いただけなのに。



「そうだ。その猫お腹が空いているかもしれない」

 なんだこの天才。エスパーか。


「君と食事には行けないけれど、ワシの代わりにその子に腹いっぱい食べさせてやってくれないか」

「……ええ、わかりました」

 嬉しいんだけど重くない?

 吾輩、メロドラマは胃もたれするんで苦手なのだが。



 かくして。

 吾輩は見知らぬ貴婦人の家に招かれて至れり尽くせりの対応を受けたがどうにも性に合わない。

 どうやら根っからの庶民派猫らしい。

 途中で抜け出してやったのだ。



「あ。おいでー。おいでー」

 見慣れた軒先で見慣れた人間が手招きしている。

 今度こそ賞味期限の切れてない食べ物であろうな。



 吾輩は猫である。名前はまだない。


 名前を付けられない限り、決して飼い猫ではない。

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わらしべ長ねこ いずも @tizumo

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