猫材派遣の猫手堂さん

春海水亭

猫の手、貸します

 猫材派遣の猫手堂は、時代に置き去りにされたみたいな商店街の中で、文明開化にも置き去りにされたみたいな店構えをしています。

 昭和とか平成初期とか、そのあたりのレトロな建物が並んでいる中に江戸時代から来たみたいな建物があった――と言ったらいいでしょうか。

 初めて見た人はちょっとぎょっとするような建物です。

 そんな猫手堂には『堂手猫』という右から左に読む立派な看板がかかっていて、江戸時代には横読みの看板ってあったかしらんと余計に首をひねってしまうのです。


 果たして何の店なのでしょう。

 猫手堂の店主は晴れの日はいつも店頭に出ていますが、威勢よく声をかけたり商品のアピールをしたりはせず。ただ心地よい陽の光を浴びて、うつらうつらと眠っているのだか店番をしているのだかわからない有様です。


「あの、すいません」

 そんな猫手堂の店主さんに、声をかける女の子が一人。

 その手にはチラシを持っています。

『困っている人、猫の手、貸します 猫手堂』と書かれているチラシです。


「はぁい」

 猫手堂の店主さん、起きているのだか、眠っているのだか、よくわからない細い目のまま言いました。


「あの、なんだか私の郵便受けにこんなチラシが入ってて」

「うん、ウチのチラシですねぇ」

「私、猫の手も借りたいほどに困っているんですのよ。あのですね……」

「ああ、大丈夫です」

 店主さんは女の子の用件を聞かずに、マタタビを渡しました。


「私はただの猫材派遣、後はそのマタタビに惹かれてやって来る猫の方に全てをお任せなさい」

「えーっと、お代はいくらなんでしょう。私お料金払えるかしら」

 そう言って、女の子は小さい鞄からぷっくり太った豚の貯金箱を取り出しました。

 店主さんは目を細めたまま、豚の頭を撫でた後、鞄の方に押し返しました。


「お代も結構、猫の方に聞いてください」

「そうなんですか?」

「そうなんです」

「いろんなコトは気にせずにお家に帰りなさい、その途中で猫の方が寄ってきます。後はその猫に全てをお任せすれば良いのです」

「はぁ」

 女の子は猫というか狐につままれたような顔をして、マタタビを持ったまま家に帰ります。

 その途中で塀の上に黒い飼い猫がいることに気づきました。


「この子が猫の方かしら」

 女の子はマタタビを振って尋ねました。

 黒い飼い猫は大あくびを一つして、言いました。


「俺は正社員登用の猫だよ」

「まぁ、猫って喋るのね」

 そして女の子は思わず口を抑えました。

 猫とお話しているところを見られたら、お友達に何か言われたりしないかしら。

 黒い飼い猫の方を見ると、何故か彼もしまったなぁという顔をしています。


「猫が喋るっていうのは内緒なんだ」

「じゃあ私が猫と喋ったことも内緒よ」

「じゃあ、お互いに内緒だなぁ」

 黒い飼い猫はそう言うと塀を飛び降りて、どこかに行ってしまいました。

 派遣猫はどこにいるのでしょう。


 溝の中をとことこと歩く親子のキジ猫。竹やぶの中の白猫。公園のベンチでおじいちゃんの膝の上で丸まっている三毛猫。

 どの猫も派遣猫のように思えましたが、しかしどの猫も違うようです。

 結局派遣猫には出会えないまま、家の前にたどり着きました。


 今日で二回目の猫ならぬ狐につままれた気分です。

 すると玄関扉の足元のところで、ニャオンという声を聞きました。

 小柄なブチ猫です。毛は黒と白が入り混じっていて、胴は真っ黒なのに足元の部分は靴下を履いたように真っ白です。


「お待ちしておりました」

「まぁ、喋る上に丁寧な猫ちゃんなのね」

「それだけではなく、私はせっかちな猫でもあります。貴方の持ってきたマタタビのことを思って、お先にここでとろんとなっていたのです」

「あらまぁ、随分せっかちなこと」

「さぁ、貴方のお困りごとは私が解決してみせましょう」

 靴下猫はそう言って、勇ましくニャオンと鳴いた後、女の子を見上げました。


「そうね、私が玄関を開けないと貴方、家に入れませんものね」

 女の子は靴下猫を抱きかかえて、玄関の扉を開けました。

 そして、自分の家に招き入れたのです。


「それでお困りごととは何でしょう」

 女の子は自分の部屋に靴下猫を上げると、牛乳を皿に入れて渡しました。

 靴下猫はぴちゃぴちゃと猫なりの上品さで牛乳を飲んでいきます。


「実はおばあちゃまの指輪をタンスの下に落としてしまって」

 おばあちゃまの指輪というのは、女の子のおばあさんが持っている婚約指輪のことです。女の子のおばあさんの指はすっかり細くなってしまったので、今更指輪をはめるようなことはしませんが、時折タンスの中から取り出して、遠い日のことを思い出すようにうっとりと眺めるのです。

 おばあさんにとっての宝物である指輪は、女の子にとっても宝物でした。

 きらきらと綺麗で、可愛くはないけれどとっても素敵なものです。

 そんな素敵なものなのだから、こっそりと着けてみたいと思うのも当然のことで、家に誰もいない隙を見計らって、女の子は時折タンスの中から取り出しては、自分の指にはめてみるのです。

 ところがある日、女の子が指輪をはめている最中にお母さんが帰ってきて、女の子は慌てて指から抜いた指輪をコロコロとタンスの下に転がしてしまいました。

 タンスの奥の方に行ってしまった指輪はいくら女の子の手が小さくて細いといっても、届きそうにはありません。

 指輪がなくなればおばあちゃんは悲しむし、女の子は叱られるし、良いことなしです。


「それで猫の方に助けてもらおうと――あら」

 ですが、靴下猫は非常にせっかちだったので、女の子が全部話し終わる前に女の子が指輪を落としたタンスの下ににゅるんと潜り込んでしまいました。

 まったく不思議なことです。猫は骨が無いみたいな動きで、狭い隙間にも悠々と潜り込んでしまうのです。

 そしてホコリまみれになりながら、女の子のために指輪を取ってきたのです。


「取ってきました、指輪です」

「まぁ!」

 女の子は口を両手で抑えて驚きました。

 なんというせっかちで優秀な猫なのでしょう。

 しかし猫の手というのは忙しい時に借りるもの、そんな時に借りたい猫ならせっかちで当然かもしれません。


「お礼をしなければなりませんわね」

 女の子は改めて丸々太った豚の貯金箱を取り出そうとしましたが、靴下猫は前足で貯金箱を制します。


「猫はお金を使えません」

「まぁ、それもそうね。私、猫がレジに並んでいるところを見たこと無いもの」

「ですので――」


 それから数日後、猫材派遣の猫手堂に女の子が再びやってきました。


「おや、この前のお嬢さん」

 猫手堂の店主さんは起きているんだか、寝ているんだかわからないような細い目で女の子を見て言いました。


「この前の猫の方はお役に立ちましたかねぇ」

「えぇ、とってもお役に立ちましたわ……でも、借りるどころか、今となっては私の家で暮らしています。店主さんはそれで良いのでしょうか」

 そうです。借りるだけだったつもりの靴下猫は、報酬として今は女の子の家で立派に飼い猫をやっているのです。


「まぁ、いいんじゃないですかね。本猫がそうしたいなら……別に、貴方はいいんでしょう?」

「えぇ、猫の手というか……大きな借りですもの」


 というわけで大人しくないせっかちな借りてきた猫は、今日も女の子の家で過ごしている。

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猫材派遣の猫手堂さん 春海水亭 @teasugar3g

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