愛に呪われ生きていく

田藻茂(たもしげる)

愛に呪われ生きていく

「愛してるよ」

テレビや映画ではよく聞く台詞だ。でも実際に生の声で聞くのは初めてだった。

「何だって?」

彼女は恥ずかしげもなく言う。

「だから、愛してるって。私は君が大好きだ」

まるでこの世の全ての光を彼女に当てたかのような明度最大の笑顔をしていた。俺には眩しすぎる。



                  *



 月城まりあに出会ったのは高校一年生のときだった。同じクラスだったから当然といえば当然ではあるけれど。

 俺が通っていた高校にはいくつか他校と違う特色がある。例えば、入学してすぐに宿泊行事がある。だけど俺はその行事に参加できなかった。その日に限って高熱を出したからだ。

 その行事はクラスメートや他クラスとの交流が目的だった。無論、参加できなかった俺は誰とも交流できず自宅のベッドで苦しんでいた。

 宿泊行事が終わった次の登校日、体調が回復した俺は少し緊張していた。クラスに受け入れてもらえるのか?そもそも俺のことを覚えている奴はいるのか?

 教室の前まで来るとザワザワと中での話し声や笑い声が聞こえてくる。大丈夫、深呼吸、深呼吸。

 ガラガラと戸を開けたその刹那、中にいる全員の視線がこちらに向き、音が止んだ。その静寂はどのくらいの時間だったのだろう。俺にはすごく長く感じた。やがて、何事もなかったかのようにザワザワがまた始まる。

 俺は察した。誰も話しかけてこない。手を上げる挨拶や会釈すらない。俺はこのクラスで三年間、このまま一人で過ごすのだろう。そう、この高校は三年間クラス替えというものが存在しないのだ。

 さらに、この高校のいくつかある特色の一つが「班作業」だ。教室内で行うほとんどの授業を少人数のグループに分かれて、調べ物をしたり話し合いをして班としての結論を出したりする。

 この班は、席が近い者同士で組まれるため余りが出ることはない。しかし、その班の中で友人ができるかといえば、そうでもない。わからないことは尋ねてくるし、意見も求められる。が、授業に関係の無い話はしない。宿泊行事に行かなかったハンディキャップはあまりにも大きいものだと思い知らされた。

———まあ独りは慣れているけどさ。

俺はずっと独りだった。両親は共働きで家にいることは滅多になく、食卓の上に食事のためのお金が置かれる。誕生日すら祝ってもらうことはなく、ただ食卓に置かれる金額がいつもより多いだけ。ケーキに蝋燭を刺して、歌を歌ったりなんかして火を吹き消すこともない。

 小中学校でも友達と呼べる人は皆無で、本が友達の代わりだった。どうやら高校生活も同じことになるらしい。



                  *



 ある授業中、班員の一人が誰に言うわけでもなく呟いた。

「この学校つまんなくね?」

他の班員は反応しない。声の主の方へ目をやると真っ直ぐ俺を見ていた。

「それ俺に言ってますか?」

「他に誰がいるのよ。今目が合ってるでしょ。それに敬語キモイからやめて」

「…じゃあなんで来たの?」

「ん?」

「なんでこの学校に入ろうと思ったの?」

「ああ。第一志望落ちちゃったんだよねー。ここは滑り止め」

「なるほど」

この高校の偏差値は五十台中盤で、滑り止めの候補としてよく挙げられる。俺は大して勉強ができなかったから、ここが第一志望だったけど。

 咳払いをして、その人は言う。

「私は月城まりあ」

「何、その突然の自己紹介」

「だって話すことないし、それに私も君もこのクラスで浮いてるからね」

この人も浮いているのか。というか、わかってはいるけど人から浮いていると言われるのはあまり良い気がしない。それに、無理に話す必要もないじゃないか。

「で、君の名前は?」

口で言うのはなんだか気恥ずかしくて、ノートに書いてある名前を見せた。

「とううんよう…?え、外国人?」

ああ、バカだこいつ。全部音読みで読む奴いるかよ。仕方なく口で言う。

「しののめ、ひなた」

「ほぇ、難しいな読み方。私漢字苦手なんだよねー。私の名前、ひらがなでありがたいわ」

彼女は両手を合わせ拝む真似をした。

 これが俺と月城まりあの出会いだった。それから高校三年生になるまで、班が一緒になったりならなかったりを繰り返しながら、仲を深めていった。深めたといっても、授業とは関係のない話をする程度だけど。

 俺は部活動や委員会には全く興味がなく、最終下校時刻ギリギリまで図書室で本を読むのが日常だった。

 ある日、いつものように図書室で本を読んでいるとドアが勢いよく開き、大きな声が聞こえた。

「あーいたいた。探したよ陽」

まりあだ。司書さんに静かにするよう注意されながら、こちらに向かってきた。

「何か用?」

「なんだよその言い方、冷たいなぁ。友達だろ?もっと歓迎しなよ」

内心では嬉しかった。三年生だというのに校内で話しかけてくれるのは、彼女か教師しかいない。だけどそんな気持ちはおくびにも出さず俺は言う。

「ようこそ図書室へ。そして儂の安息の地へ。君はここを荒らしにやってきたのかな?それとも何か他に用があるのかい?」

彼女がニヤニヤしながら応える。

「ああ申し訳ありません。あなた様のお邪魔をするつもりは一切ありませんでした。どうかお許しください」

こんなやりとりができるくらいには、俺たちは仲良くなっていた。

「で、何の用なの、本当に」

「陽に本を何冊か見繕って欲しくてさ」

「自分で選びなよ」

「いやほら、私漢字苦手じゃん?だから滅多に本読まなくて、選び方もわからないんだよね」

「そこに司書さんがいるけど?」

やれやれといった表情で彼女は口をとがらせる。

「もー、分からず屋だなぁ。陽に選んで欲しいんだよ」

「はいはい。ジャンルは?」

「任せるよ。あ、だけど漢字は簡単なやつにしてね。東雲とか陽とかやめて」

「了解。適当に選ぶよ」

俺は読んでいた本を閉じ、まりあでも読めそうな本を探す。当てはあった。小学生の頃に読んだ本を一冊、中学生の頃に読んだ本を二冊、計三冊を探し出し、まりあのもとへ向かう。

 ふと疑問に思うことがあった。なぜ、彼女は急に本を読もうと思ったのだろうか。

「なぁ、どうして…」

ここまで言い掛けたがやめた。彼女は机に突っ伏し、すぅすぅと寝息をたてている。よくもまあこの短時間で気持ちよさそうに寝られるな。少し呆れながら、彼女の横に本を置き、俺は図書室を出た。



                  *



 次の日、朝のホームルームが始まるギリギリにまりあが教室に入ってきた。寝起き全開という感じだ。

「おはよう陽」

「おはよう。眠そうだね。まさか図書室で一夜明かした?」

「んなわけないでしょ。てか、私を置いて帰るなんてひどい」

「頼まれごとをちゃんとやったんだから良いでしょ」

それにあんな風に気持ちよさそうに寝られてたら起こしづらい。

「それはそうだけど、一声掛けてほしかったな。あ、そうだ君は冒険したいの?」

「冒険?」

「うん。なんていうか、どこか遠くへ行きたいって思ってたりする?」

「何、藪から棒に」

「いやほら、君が選んでくれた本をさ徹夜して読んだわけよ。全部旅をする話だったから、なんとなくそう思ってさ」

まさか一晩で三冊も読んだのか?だからこんなに眠そうなのか。

「そんなこと意識してなかったな」

「ふうん。ま、でも無意識でそう思っているのかもね。閉ざされた空間から出たいとか、自分の殻を破りたいとか」

図星だった。俺はいつも閉じこもってばかりだ。学校内では、まりあ以外とは誰とも交流せずに本を読んでいるし、休日も家の周辺の本屋や映画館にしか行かない。だから、小説や映画の登場人物が旅に出て、いろいろな景色を伝えてくれるものを好むのかもしれない。

「私、漢字は苦手だけど人を見る目はあると思うのよ。猫をかぶって良い子ぶってるこの学校のほとんどの生徒と陽は真逆の存在だと思ってる。君は、無関心や冷静さを装っているけれど、本当は優しくて誠実で真面目だ」

「真面目って、案外悪口というか、相手に良くない印象を与える言葉だよ」

「そうかもね。でも、真面目だよ君は。辞書的な意味で。だから私は君が」

そこでチャイムが鳴った。ホームルームが始まる。

ニヒッと笑い、彼女は言う。

「続きはまた後で」



                  *



 放課後、俺とまりあは学校の屋上にいた。屋上を指定したのは彼女だった。話す内容からして屋上が相応しいから、だそうだ。

 「陽は進路決まった?」

彼女はフェンスごしに校庭を眺めている。校庭では硬式テニス部が活動していて、ボールを打つ音、掛け声が聞こえてくる。

「文学部の哲学科かな」

「ふうん。なんかつまらなそうだね」

「同感。でもやりたいこととか無いし、明るくてうるさい人種が少なそうだから」

「私はね、心理学部に行こうかと思ってる。みんなが何を考えているのか知りたいんだ。いじめっ子の心理とか。どうして君や私のように浮いてしまう人間がいるのか、そこにどんな心理があるのか知りたいんだ」

「朝話してた分析みたいなものは、そこからなんだ」

「まあね。でも本の内容からじゃあまり人の考えてることはわからないよ。君を知るには三冊じゃ少なすぎる」

「俺のこと知りたいの?」

「そりゃそうでしょ。なんで私と仲良くしてくれるのかわかんないし、私の他に友達を作ろうとしないのもわからない」

まりあと仲が良くなったのは、彼女がきっかけだと思うけど。そういえば、彼女が他の生徒と話しているのを見たことがない。

「それは、まりあも同じじゃない?」

「ううん。私は友達を作ろうとした。けど失敗して浮いちゃってる」

「それは初耳だな。まりあならすぐに友達できそうなのに」

「一年生の時の宿泊行事。あれで全てが決まったんだ。どうやら私はこの学校の生徒には受け入れられないような性格らしい」

「それはなんていうか、残念だね。見る目がない」

「それな。陽に対してもそうだよ。私知ってるんだ」

「何を?」

「陽は陰ながらクラスに貢献していること。誰よりも真面目に掃除をしたり、ずれた机や椅子を整えたり、物が落ちていたら拾って適切な対処をする。本来なら日直がやるべき仕事も、日直が忘れていたら君が率先して行動する」

驚いた。こんなに見られていたのか。彼女は続ける。

「それをみんな知らないんだ。知っていたら、君への評価が変わるかもしれない。暗くて地味な奴だと思われていても、友達になろうとしてくれる人がいるかもしれない。だけど君は、自分から誰かに声を掛けることはないでしょ?どうして?」

「いいんだ、別に。友達なんかいなくても。いたら楽しいだろうなとは思うけど、小さい頃からずっと独りだから慣れてるし。しかも今更じゃん。俺らもう高三で、あと少ししたら卒業だよ」

「ふうん。陽はクールなのか臆病なのか、どっちなんだろうね」

「さあね」

でも、と俺は続ける。

「実はさ、初めてだったんだよ。こんなに話しかけてくれる人がそばにいるっていうのは。最初まりあに話しかけられたときすごく驚いたんだけど、嬉しかったな」

彼女は微笑を浮かべながら首を傾げる。

「陽が誰にも相手にされていないのが可哀想だと思ったから、話しかけたんだよ」

だとしても。俺は正直な気持ちを口にした。

「もうすぐ卒業で、寂しいんだ。まりあと会えなくなるのが。初めての友達と別れるのは。ははっ、だから卒業式のときみんな泣くのか。どうして泣いているのかわからなかったけど、今ならわかるような気がするよ」

言ってから後悔した。ちょっとくさいなと恥ずかしくなって下を向いた。長い長い自分の影が彼女の方へ伸びている。

 しばらく彼女は黙っていた。テニス部の掛け声の他に吹奏楽部のパート練習の音、下校する生徒たちの喧騒がよく聞こえる。

 彼女にねぇと呼びかけられた。彼女と目が合う。そして彼女は、思ってもみなかったことを口にした。

「愛してるよ」

テレビや映画ではよく聞く台詞だ。でも実際に生の声で聞くのは初めてだった。

彼女の声は、はっきりと聞こえていた。だけど、もう一度言って欲しくて。

「え、何だって?」

彼女は恥ずかしげもなく言う。

「だから、愛してるって。私は君が大好きだ」

まるでこの世の全ての光を彼女に当てたかのような明度最大の笑顔をしていた。茜色の空と夕陽に照らされオレンジがかった彼女の顔はよく似合い、眩しかった。

「それって、もしかしてだけど、告白?」

「違うよ。あ、いや違くはないんだけど、これは恋じゃない。ごめん。説明が難しい」

「なんだよそれ…」

「なんて言うかな、恋愛感情のような冷めるかもしれない愛ではなくて、絶対的な愛だよ。私は死ぬまで君を愛すよ。もし私が誰かと付き合っても、大好きと愛してるとは決して言わない。約束する」

よくわかんないな、本当に。俺はなんだかおかしくて笑った。

「そんな約束されても困るよ」

「いいの。私が一方的にする約束だから」

それって約束というのだろうか。

 まりあは大きく伸びをして、言う。

「さ、帰ろうか」

俺は首を振る。

「図書室で本を読んでから帰るよ」

彼女は最初目を丸くして、次に目を見開いて、そして大きな声で言った。

「はあ!?え、一緒に帰る流れじゃん。いつもより親密に、何か話しながら歩く流れじゃん!」

「そうかな」

「そうだよ!ほんと分からず屋なんだから。もういい!一人で帰る」

彼女は足早に屋上の出入り口へ向かう。ドアノブに手をかけ、振り向いて言った。

「じゃあ、また明日ね」

怒らせてしまったかなと思ったけど違ったようだ。彼女は変わらず笑顔だった。

 彼女が帰った後、俺は結局図書室には行かず、屋上で夕陽を眺めながら高校生活を振り返っていた。初めて友達ができ、初めて愛されることを知り、初めて明日が楽しみに思えた。俺の人生で、間違いなく今日が一番幸せだ。



                  *



 それから俺たちは、希望通りの進路に進むことができた。

 高校を卒業するとき、互いに連絡先を交換し「いつかまた会おう」と軽い挨拶をして別れた。

 まりあから月に二度くらいの頻度で「今から話せる?」とメッセージが来た。話す内容は、お互いの近況や講義の内容、最近観た映画の感想などだ。そして通話を終えるとき、彼女は必ず「愛してる、おやすみ」と言った。初めの頃はそれがちょっとだけ嫌だった。

「なんかさ、外国の家族じゃないんだからその挨拶やめてくれない?」

「いいじゃん。ほんとなんだしさー」

と言って彼女はやめなかった。俺も回数を重ねるにつれ慣れていき、「うん、おやすみ」と返すようになった。

 大学三年生の五月以降、彼女から連絡が来ることはなくなった。就職活動やゼミで忙しかったのだろう。

 俺も卒業論文を執筆するため、つまらない文献や書物を読み漁っていた。



                  *



 大学四年の卒業を控えた三月のことだった。一年振りにまりあから連絡があった。彼女の進路はどうなったのだろう。進学か就職か。はたまた留学すると言い出すかもしれない。

 久しぶりの「今から話せる?」から始まって「愛してる、おやすみ」で終わる会話が楽しみだった。

 だけど、違った。登録名『まりあ』からの連絡ではあったけれど、送り主はまりあではなかった。

 方々に送っているのだろう。定型文のようだった。

【月城まりあの母です。昨日まりあが息を引き取りました。葬儀式は以下の通りに・・・】

 まりあが死んだ?嘘だろ?まるで時間が止まったような感覚だ。思考ができない。

 手からスマホが滑り落ち、足の甲に当たった痛みで正気に戻る。通夜は今夜で、明日が葬式と告別式。式場は自宅から少し距離があるため、急いで準備をして家を出た。

 道中、まりあのことと、この先の自分のことをずっと考えていた。彼女はなぜ命を落とした?死因は?誰にも愛されることがなくなった俺は、生きていく意味はあるのか?まりあのいないこの世に未練はない。

 電車に揺られながら、この後の予定を立てた。今日明日の葬儀に出た後、俺も死のう。飛び降りや飛び込みはダメだ。大勢の人に迷惑がかかる。

———どうせ死ぬのに周りのことを考えるなんて馬鹿らしいな。

 病院のトイレで首を吊るか。蘇生される可能性もあるかもしれないが、上手くいけばその後の手続きが早くていいだろう。



                  *



 式場に到着し中に入る。真っ先にまりあの遺影が目に飛び込んできた。記憶の中の彼女と少し違う。大学生の彼女なのだろう。少し大人びている。

「良い笑顔でしょう」

ぼーっと遺影を見ていると、四十代半ばくらいの女性に声を掛けられた。

「一番良い写真を選んだのよ。まりあらしい素敵な写真を」

たしかに遺影のまりあは笑顔だ。だけど。あの時の、高三のとき初めて彼女が「愛してる」と言ったときの笑顔とは比べ物にならない。

「あっ、突然ごめんなさい。まりあの母です。あなたが東雲陽君ね」

「はい、そうです」

まりあから聞いていたが、この女性は彼女の父親の再婚相手だ。彼女を産んだ母親ではない。

「まりあには友達が少なくて、あなたがすぐに東雲君だとわかったわ」

あたりを見渡してみると参列者は少なく、俺と同年代は見当たらない。

———大学でも友達作りに失敗しちゃったのかな。

「別に預かっていたわけではないけれど、遺影の写真選びをしているときに偶然見つけたものよ」

まりあの母はそう言って手紙を俺に差し出した。宛名は「東雲陽様」となっている。

「今読んでも?」

「もちろん。私は他にやることがあるから失礼するわね」

 俺は手紙が破れないように封を丁寧に切る。何が書かれているのだろう。まりあの死に関係しているのだろうか。

 彼女が好きだと言っていた水色の便箋で、カーネーションやブルースターが描かれている。彼女が自分で描いたのだろう。彼女は意外と絵が上手い。

 そういえば、式場には水色のものや彼女が好きな花が無い。死者が好きだったものを供えたり装飾したりすることは、あまりないのだろうか。それとも、彼女が好きだったものを誰も知らなかったのか。だとしたら、なんて悲しいのだろう。

 両親すらも知らない彼女が好きなもの。それを俺は知っている。なんだか誇らしかった。まるで二人だけの秘密のようで、素敵じゃないか。俺は息を吐くように笑った。

 俺の好きなもの、まりあに話したことはあったっけ。考えてみれば、話しているのはいつも彼女の方だった。俺はただ聞いて相槌を打っていただけだった。

 俺が話したとしても、俺には友人がいないだとか、両親に愛されていないだとか、マイナスなことしか話せなかった。もっと、もっともっと楽しいこと、話せたら良かったな。

 そんな後悔をしながら文章を読み始める。懐かしい彼女の字だ。

【陽へ。手紙の冒頭って何を書けばいいのかな?私、時候の挨拶とか全然わかんないし。まあ前略、ということで(笑)さて、陽がこの手紙を読んでいるということは・・・】



                  *



 さて、陽がこの手紙を読んでいるということは、私は陽にちゃんと伝えられたみたいだね。愛してるって。不機嫌そうな顔や声をしているけど、私の話をちゃんと聞いてくれる。そんな人今までいなかったんだ。小さい頃から友達作りに失敗しちゃう私は、いつもひとりぼっちだった。私の両親の話はしたよね?私を生んだ母親は、私が小さい頃に家を出て父はすぐに再婚した。父は私よりも再婚相手の方ばかりに愛情を注いでいた。私はお荷物みたいな存在で、自分から父や義理の母と距離をとっていた。そんな中、陽と出会った。周りは両親に愛されている子ばかりだったけれど、陽は私と同じような境遇だった。これは勝手な憶測だけど陽も両親に愛されていなかったんじゃないかな。私と同じ目をしていた気がしたから。だから友達になれる気がして話しかけようと思った。少なくとも分かり合えると思って。それからしばらく陽を観察してたんだ。本当に私と同じなのかなって。案の定陽はクラスで私と同じように浮いていたし、友達もいなかった。だけど意外だったのが、陽はクラスの誰よりも優しいということだった。本で読んだんだけど、両親から十分に愛されていない子どもや虐待を受けている子どもは非行や自傷に走りやすいんだって。でも陽はそうじゃなかった。見えないところで、クラスのみんなが知らないところで、クラスに貢献していたよね。私はそれを知ったとき、陽は誰かに愛されなくちゃいけないと思った。そして、愛せるのは私しかいないとも思った。愛って何かよくわからないけど、それでも愛してる。本当に。抱き締めたいくらいに。この手紙を読んで、変に私に対する態度を変えたり、私を愛そうなんてしないで。陽は陽らしく生きて欲しい。ありのままの陽が大好きだから。だからね、陽は自分が誰からも愛されていないなんて思わなくていいよ。私が愛してるから。じゃあまた近いうちに会おうよ。



                  *



 なんだよ。ただのラブレターじゃないか。

 大粒の涙が手紙を濡らす。

———まるで俺を死なせないための呪いじゃないか。

なあ、まりあ。もう一度「愛してる」って口に出してくれよ。もう忘れちゃいそうなんだよ。まりあの声を。抱き締めたいくらいに愛してくれていたのなら、そうしてくれればよかったのに。

 足に力が入らず膝から崩れ落ちた。手紙を強く握ってしまってぐしゃぐしゃになる。

 俺は今も愛されているんだな。ただ、聞こえないだけなんだよな。ただ、触れられないだけなんだよな。

 この手紙さえあれば俺はまりあに愛されていることを実感できる。愛されている限り生きていられる。今すぐに彼女の後を追うのはやめよう。

 俺は俺らしく独りで、いや、この彼女からの手紙と共に生きていこう。彼女の顔や声はもうすぐ忘れてしまうだろうけど、字と気持ちは残り続ける。きっと長く待たせてしまうと思うけど、俺がそっちに行ったら、抱き締めて「愛してる」と言ってくれ。

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愛に呪われ生きていく 田藻茂(たもしげる) @tamo_shigeru

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