私だけ(不可知)のヒーロー
眞壁 暁大
第1話
昔、クルマに轢かれそうになったことがあるらしい。
自分にはその頃の記憶がない。
母と手を繋いででかけていた時に急に車道に飛び出してそのまま轢かれるかと思いきや、クルマが急停車して事なきを得たという。
事あるごとによく聞かされた話だった。
自身が覚えているので一番古い危機一髪の記憶は、小学生の時。
木登りをしていて落下した際の記憶だった。
校舎の窓よりも高いところまで登れたが、腕力の限界で枝から滑り落ちたところは覚えている。
自分が落ちているのではなくて、枝のほうが遠ざかっていくように見えた。
背中から地面に落ちたものの衝撃はほとんどなかった。
こたつで寝落ちした時にそのまま布団へ抱きかかえられて移される時のような感覚だった。
違和感を覚えたのは、それほど大きな危険ではなかったものの、雨の中、友達と登校中の出来事だった。
水溜りに突っ込んだクルマの水しぶきをマトモに被った私たちはずぶ濡れになった。
なったのだけれども、私はほとんど濡れなかった。たまたま運が良かったことになったけれども、私と並んで歩いていた子の方が濡れていた。
車道側を歩いていたのは私なのに。
気になりだすとあれもこれも、なにかおかしい気がしてくる。
そうやって過去の記憶を引っ張り出そうとする気になったのは、一本の動画を見せられたからだ。
「この人のこと、知ってますよね」
動画投稿者を名乗る男たちが私に見せたのは知らない人だった。
知らないというか、ピンぼけでそもそも輪郭がぶれている。男の人だというのは何となく分かるが、正面を向いているわけでもない横顔。
これで誰かと聞かれて、分かるはずがない。
そう伝えると男たちは「速すぎて撮れないんだよ」とぼやき、「動いてるところ見れば少しわかりやすくなるかな」と動画を見せてくれた。
が。
「あ、バカ。それじゃないだろ」
そう言って男たちの一人が制止する前に再生されてしまった動画で、私は胸が悪くなった。
駅のホームに高速で進入してくる電車。それだけであの日のことを思い出して固まった。
私よりも進入側に立っている人影が突然駆け出して……この先のことは知っている。
この目で見たのだ。
駆け出した男は電車の側面で弾き飛ばされてホームに跳ね返り、そこで私の近くに立っていた人にぶつかった。
はずだったのに。
動画の中では、弾き飛ばされた男がホームに跳ね返ってきた時、その飛んで行く先に行くのは、私だった。
身じろぎもせず固まったままの私の前に影が差す。
人の形を取ったそれが腕を振ると。
私にぶつかるはずだった、電車に跳ね飛ばされた男はひしゃげた格好になって……
私の近くに立っていた人にぶつかった。
「ホントは看板落っこちてきた時の動画出そうかと思ってたんだけど。こっちのほうがわかりやすいんじゃない? 知ってるよね」
リーダー格らしい男の声が耳に響く。
私は首を横に振った。こんな人知らない。
「そっかぁ」
動画投稿者の男はガッカリした様子。しかしすぐに気を取り直して
「まあいいか。キミを張ってればまた必ず現れるから」
と言った。
いったい何が現れるのか。
過去の記憶を遡る。
水溜りの泥水を被らなかったのは、誰かが庇ってくれたからではないか。
木から滑り落ちて怪我をしなかったのは、誰かが抱き止めてくれたからではないか。
そういえば、木から落ちた時に私の周りだけ丸く枝や落ち葉が取り払われていたのはなぜなのか。
そして。
「クルマは停まってくれたわけじゃなかったんだね」
事故に遭ったときのことを話すたびに母の表情にうっすら影が差すのに、私はようやく気づいた。
今までは気をつけるように、という母の小言を鬱陶しいくらいに感じていたのだが、それだけではなかったことを、今の私は知っている。
気になって轢かれかけた日のことを報じた記事を縮刷版で確認して、私は知った。
あの事故で轢かれかけて命拾いしたのは、私だけだった。
母が急停車したと言っていたトラックは、記事によれば「弾け飛ぶように砕けた」。
当然ドライバーは無事であるはずもない。
そして私の前で急停車するのではなく、 爆発でもしたかのように砕け散ったクルマの破片は周囲に飛び散り他に死傷者を出している。
関連する記事であの事故が
「飛び出そうとした子供(私)を避けようとしたクルマがハンドル操作を誤り歩行者に突っ込んだ」
という形で処理されていることも知った。
運転席がまるごと消えるほどの砕け散り方をしていても、そうなるらしい。
不思議に感じたが母が
「おまわりさんも誰も信じてくれなかったし、気が触れていると思われたよ」
とため息を吐いたのでそういうものなのだろう、と思った。
「ママが見たのって、こんな人?」
「あら、写真なんてあったの? そうそう、たしかこんな感じの人だと思うけどちょっと写真が悪いわね。自信がないわ」
動画投稿者の男から渡された不鮮明な横顔でも、母には見覚えがあるらしかった。
「ちょっと前の電車の事故もだけどさ」
母が声色を少し落としていう。「アンタはまず大丈夫なのは間違いないんだけど、他の人が迷惑するから気をつけなくちゃダメよ」
自室に戻ると、私はベッドに仰向けになった。
不鮮明な横顔の写真を取り出し、もう一度眺める。
私の知らない顔だった。どれほど記憶を遡ってもすれ違ったかもしれない、そう思うことすら出来ない顔。
照明にかざして見ると、逆光でまるで何も映っていないように見える。
今の私のようだった。
この私のヒーローは、何度も私を救ってくれたみたいだ。
母も、あの動画投稿者も、そしてその動画を見た多くの人たちも、その男が私のヒーローだと知っている。
なのに、私には見えない。どこにいるのかも分からない。
後光があまりに眩しすぎて見ることすら適わない。
(そんな神様のような存在なら)
いっそ居てくれないほうが気が楽なのに、私はそう思った。
私だけ(不可知)のヒーロー 眞壁 暁大 @afumai
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