現実との向き合い方
宵埜白猫
小さな幸せ
私が大学に進学した時から住んでいた大阪のマンション。
そこから電車に揺られること4時間。やっと私の地元に到着する。
昼過ぎに出たのに、空はもう茜色だ。
普段なら億劫に感じるこの距離も、今の私には丁度いい気分転換になった。
小さな木造の駅舎を出て徒歩20分。2階建ての木造建築、私の実家に辿り着く。
これまで挫折なんて一度もしたことの無かった平穏な人生。そんな私の初めての失敗が就職だった。
セクハラやモラハラ上等の先輩たちに、サビ残なんて当たり前のブラックな職場そのうえ薄給なのだからやっていけない。
思い切って辞められただけ幸運だったのだとは思うが、そこで私は燃え尽きてしまった。
あぁ、実家に帰るときはもっと楽しい気持ちで帰ってくると思ってたんだけどな……。
「ただいまー」
力の抜けた声でそう言うと、土間のすぐ隣りにある工場のドアが開き、祖母が出てきた。
「おかえりー」
今年70歳を迎えた祖母だが、腰もしっかりと伸びて元気そうだ。
階段の上からはペットの猫が覗いている。
こんな賑やかな光景も懐かしくて、私は頬がふっと緩むのを感じた。
祖母と軽く言葉を交わして2階に上がる。
「お帰り、優花」
「ただいま……」
朗らかな笑みを浮かべて迎えてくれた父さんに、胸の奥がチクリと痛んだ。
昔憧れていた、まるでヒーローみたいになんでもできる父さん。私もそんな大人に成れなかったうしろめたさが、私の心を刺したのだ。
「元気にしてたか?」
「うん。元気だよ」
「そうか」
久しぶりに会えたのだから、もっと明るくしたいのに、どうにも上手くいかない。
母さんとも挨拶をして、まずはお風呂に入ることになった。
「はぁ~」
就職してからは忙しすぎてシャワーだけになっていたけれど、こうして湯船に浸かると一気に疲れが取れていくのが分かる。
体だけでなく心もほぐされるようなこの感覚がずいぶん懐かしい。
久しぶりの実家のお風呂をゆっくりと堪能して、両親の待つ2階に戻った。
「お待たせ」
すると両親よりも先に、ニャンと可愛い声に出迎えられる。
私は彼女の頭を撫でて、棚のちゅーるを差し出した。
ウチの猫様もこいつには敵わないらしい。
「今日はお好み焼きよ」
母さんがホットプレートとタネを準備しながら言う。
私が粉もんが好きなことを覚えてくれていたみたいだ。
向こうに居た時はほとんどコンビニ弁当で済ませていたから、手作りのご飯も久しぶりだ。
「優花も焼くか?」
父さんがフライ返しを差し出して聞いてくれたが、今日はそういう気分ではなかったので断った。
お好み焼きは数分で焼き上がり、父さんが私のお皿に1枚乗せてくれた。
「ありがとう。……いただきます」
ソースとマヨネーズ、青のり、鰹節をかけて、私は箸を取った。
お好み焼きは家によってかなり味が違う。干しエビの入ったこのお好み焼きは私の好物だ。
「美味しい……」
そんな私の様子を見て、父さんも母さんも、安心したように笑っていた。
久しぶりに満腹になった気がする……。
ご飯の後、私はリビングで猫を膝に乗せながら、テレビを見た。
有名な芸人たちが面白おかしく話しているのを見て、久しぶりに声を出して笑った。
「優花、ちょっといいか」
父さんの声に、体が緊張する。
「父さん。……うん、いいよ」
失望させていないだろうか。父さんみたいに上手くできなくて、呆れられていないだろうか。
そんな心配ばかりが頭を巡る。
「実はな、父さんも新卒で入った会社を辞めてるんだ」
「え?」
一緒に住んでいた頃は挫折の影なんて微塵も感じなかった父さんのそんな言葉に、思わず声が漏れた。
「それだけじゃないぞ。学生時代のバイトなんて5回も辞めてる」
「嘘でしょ……」
「本当だ。……優花、仕事はな、確かにしんどくても踏ん張らなきゃいけないこともある。だけど、理不尽なことを、我慢する必要は無いんだ。優花が持ってる、人として当然の権利を奪われそうになってまで、そこにいる必要は無い。もちろんみんながみんなスパッと辞めれるわけでは無いだろうけど、優花には帰る場所があるんだから」
予想外の言葉に戸惑う私に、父さんが続ける。
「だから、優花の選んだ答えは間違ってないと、父さんは思うよ」
こんなことを言われたら、泣いてしまう。
もう成人もして、私もちゃんと大人なのに。
「父さん……」
みっともなく、涙がこぼれた。
「そうだよ優花、辛い時は泣いてもいい。楽しくないのに、無理に笑う必要は無い。それは子どもも大人も関係ないんだ」
「ありがとう、父さん」
そう絞り出すのがやっとだった。
ずっと、心のどこかで、大人になるのは完璧な人間になる事だと思っていた。
愛想笑いをして、涙は誰にも見せずに、やりたくないこともやる。
それが大人だと思っていた。
……だけど、そうじゃないんだ。
父さんが失敗してたみたいに、大人も子どもも、違いなんて無いのかもしれない。
「私、まだここにいてもいい?」
「当たり前だろ。何歳になっても、優花は父さん達の子なんだから」
あるいは、お風呂に入ったりご飯を食べたり、そういう小さな幸せに気づけるようになるのが、大人になるってことなのかも。
そういうことも含めて、やっぱり私にはまだヒーローが必要らしい。
何でもできる万能なヒーローじゃなくて、悩んで迷って、それでも堂々と前を歩いてくれる、私だけのヒーローが。
「ありがとう、とうさん!」
現実との向き合い方 宵埜白猫 @shironeko98
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます