その窓を語り継ぐ

暁太郎

1

 ガラスの屈折率は1.5程度だと聞いたことがあるが、私の部屋の窓にとってはそんな事は知ったことではなかった。

 事実に気がついたのは、引っ越して半年ぐらい経った頃だった。春から大学生になり、アパートで一人暮らしを始めた頃だ。北の雪国が生まれ故郷の私は、初めての生活の中でホームシックになった。

 地元では冬になると必ず雪が降り積もり、家の周りの除雪に家族総出でかかったものである。鬱陶しいものと思っていたが、いま暮らしているここでは雪が降る事自体が珍しく、冬になっても全く衣替えをしない街の景色にノスタルジーを刺激されてしまった。

 半ば反対を押し切って実家から出た為に、ノコノコと帰るわけにもいかず、泣きたい気持ちになりながらアパートの自室に帰ると、部屋の窓の外が一面の銀世界となっていた。

 雪一粒すら落ちてこない道を帰ってきたのに、その光景に驚いた私はすぐ窓を開けたが、目に映ったのは相変わらずの無味乾燥だった。

 あまりに故郷が恋しくて幻覚でも見たのか、と思い窓を閉めると、今度は見間違いなく、窓の外の雪景色を確認した。

 どういう理屈かはわからないが、窓が私に見たい景色を見せている、らしかった。

 それがわかるや否や、私の心に覆いかぶさっていた幕が、取り払われたかのような気分になった。

 私の部屋の窓は、私にとっての秘密の英雄となった。

 彼は自分で何かを話したりはしないし、要求もしない。

 ただ、私が本当に必要と思う景色を窓に映し出してくれる。

 豪雨が降った夜に、私は窓辺でお月見をした。

 春が過ぎて桜が全て散ったのを惜しく思うと、窓の外ではずっと桜吹雪が舞っていた。

 こういう事もあった。

 ある日、サークルの飲み会に参加して夜遅くに帰宅した私は、そこで部屋に忍び込んだ泥棒に出くわした。

 あまりの出来事に身動きが取れないでいると、泥棒はナイフを突きつけて脅してきた。

 流石に、これはまずいと理解しながらも、恐怖で身体が言うことを聞かない。相手は興奮しているようで、どんな目に遭うのかわからない。

 これで終わりか、と覚悟を決め、偶然窓に目をやった時だった。

 あっ、と私は思わず声を上げた。泥棒もつられて後ろを振り向くと、そこには一人の警察官が、毅然とした目をこちらに向けながら立っていた。

 泥棒はその姿に驚き、一目散に逃げていった。

 私は警察官にお礼を言おうと窓に近づいた。警察官は私にニコりと笑みを浮かべたかと思うと、フッとその姿は幻のようにかき消えた。

 そこで、私はようやく窓が私を助けてくれたのだと気がついた。

 何の変哲もないアパートの一室が、私はとても誇らしく思うようになった。

 しかし、そんな日々も突然終わりを告げた。

 三回生の冬。大学の講義を聞いていた時だった。

 突然、地面が大きく揺れ、それはかなり長く続いた。机の下に隠れた私は、物が倒れる音や壊れる音に怯え、ただその災いが過ぎるのをずっと待っていた。

 ようやく揺れが収まり、はっと気づく。家の窓の事を思い出すや否や、私は一目散に帰路を駆けていった。

 家が壊れ、塀が崩れ、道路には亀裂が走っている。凄惨極まる街の様子に不安が募る中、たどり着いたアパートはどうやら無事だった。自室の鍵を開け、部屋に入った私の目に映ったのは、砕け散り、ばら撒かれた親友の姿だった。

 私は崩れ落ち、その場で他の住人に部屋から引きずり出されるまでずっと放心していた。

 後日、何とかまだ欠片として残る彼をかき集め、それを保管した。

 彼の事については何も知らなかったが、アパートの窓を作り直しても、もう元には戻らないだろうという確たる直感があった。

 そう思うと、今まで自分だけの秘密として自慢に思っていた彼の勇姿を、私だけしか知らない事が、何だか許せなくなっていた。

 なにか、出来る事はないだろうかと考えを巡らせて、私はある事を思いついた。

 知り合いの業者に頼み込み、ガラスの破片の角を削り、丸くして、手のひらサイズの小さな丸い窓をいくつか作った。

 私はそれを手に、まだ復興の目処が立たぬ街を歩く。

 倒壊した家の前で、一人の男の子が涙を堪えながら立ちすくんでいるのが見えた。

 声をかけ、話を聞くと、これは祖母の家なのだという。

 幸い家族は無事だったが、思い出が詰まった家が無残な姿となった心の内は計り知れない。

 私は、その子に「彼」のうちの一つをあげた。

 男の子が丸いガラスを持ったまま首を傾げていると、私は「家に向けて覗いてご覧」と言った。

 男の子が言われたとおりにすると、そのガラスの向こうには、在りし日の家が映っていた。男の子は驚き、ガラスと私を交互に見る。

 私は「大事にね」とだけ言うと、その場を去った。男の子は姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。

 傷跡が深く残る街を見渡し、私は景色を奪われた人々の事を想う。

 私は、箱いっぱいの中の「英雄」を与え、語り継ぐ為に歩き続けた。

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