【閉ざされた子供部屋】それでも手を伸ばし、扉を開ける

 約束の日、約束の場所に三人が集まった。

 彼氏と彼女。それから彼氏の友人。


「…………」

「…………」

「…………」


 早朝のファミレスだというのに空気が重い。

 テーブルには水の入ったコップが二つと、緑色の炭酸飲料が入ったコップが一つ。彼だって状況は分かっている。それでもなお、この状況でドリンクバーに行けてしまう彼は後の英雄だろうか。


「……はぁ、それで? 話って何かな?」

「そのねユカリン…………なんだっけ?」


 話があると呼んでおきながら何も話せずにいた彼氏陣営に退屈した紫が話し始めたが、どうやら彼氏は緊張で何を話すか忘れてしまったようだ。もちろん紫は分かっている。彼がそういう人間だと。

 対して彼氏の友人はまだ分かっていないようだ。


「なんだっけサトチン」

「大城君!? ほら、一緒に作ったメモは?」


 佐藤の言葉で勇気はメモの存在を思い出し、紫に一言断ってからカバンの中を探し始める。


「どうしよサトチン、家に忘れてきたかも」

「ええぇっ!?」

「ふふっ、君らしいな」


 彼らの様子に思わず笑ってしまう紫。

 笑う紫を見て恥ずかしそうに笑う勇気。


 そんな二人の様子に、佐藤は大城の友人として二人の関係性を感じた。

 素敵な二人だ。二人であることが素晴らしく、そして個人でも素晴らしい人間なのだと佐藤は思った。

 だからこそ不思議だ。どうして二人の心はすれ違ったのだろう。


「えっと佐藤君だっけ?」

「はい、その……紫さんの話は大城君からよく聞いてます」

「そうか。彼はよく私をいい意味で誇張するだろう? 本物を見てがっかりしたかな?」


 意地悪な紫の質問に佐藤が戸惑っていると、すぐさま勇気が割って入る。


「僕は本当のことしか言ってないよ? ね、サトチン」

「う、うん。本当に……その、大城君が言う通りのお美しい方で……凄くビックリしてます」


 そう言うと佐藤は顔を真っ赤にして恥ずかしがり、俯いた。

 モジモジとまともに紫の顔を見られない佐藤の姿に思わず紫も少し恥ずかしくなってくる。日頃ストレートに『カワイイ』だとか『綺麗』だとか言われ続けた分、紫は少し遠回しな褒められ方に弱かった。

 結果、両者ともに恥ずかしくなって口を閉ざす。全員の口がゆっくりと閉じ、沈黙が訪れるのかと思ったが、勇気がいきなり立ち上がり……


「思い出した!」


 大声でそう言った。

 比較的静かな早朝のファミレスに彼の声が響き渡る。店内の衆目が集まる感覚を受けた紫は勇気を黙らせるべく、口と肩を掴んで無理矢理座らせた。


「勇気? 落ち着こうね」

「う、ごめんユカリン……」


 静かな圧に大きく二度深呼吸する勇気。

 そして、今日三人が集まった理由がようやく語られる。


「ねぇユカリン。ユカリンは僕のこと好きって言ってくれるけど、最近わざと距離を置いてるよね? どうして?」


 彼らしい真っ直ぐな言葉が紫に向かう。


「またその話? 前にも言ったけれど、大切だからこそ傷つけたくない。それだけ」


 それを紫は刀の側面を軽く押すように、言葉の矛先を変える。

 よくも悪くも真っ直ぐにしか進めない勇気にとっては会話拒否とも思える返答。紫としては素直すぎる彼氏に最も理解しやすく話しているという建前であり、これ以上質問させない返答なのだが、今回ばかりはそうもいかない。


「紫さん、それじゃあ半分しか答えてないですよ」

「…………そうかしら?」


 今日で友人の苦しみを終わらせる。

 そのための作戦であり、そのために何度も勇気と会話を重ねた。今日でこのカップルのいざこざを終わらせるために。


「大城君は上手に伝えられてないですけど、アナタなら分かるでしょう?」

「私が普段の距離で無いから、彼が傷ついている。言葉と行動が違うって?」

「分かってるならどうして――」

「それでも言えない理由があるの」


 ここまではっきり言われると、もう佐藤は追及できない。

 だが、こうなれば次は彼の出番。


「う~ん……教えてユカリン。お願い」

「…………」


 互いが互いを支えあう。

 理論でも感情でも逃げられない状況。紫には、もう答える以外の選択肢がない。


「お願いユカリン」

「……………………」


 それに加えてこのあざといお願い。

 我慢していた分、紫の精神防御は一瞬で瓦解した。


「分かった。分かったから、そんなに見つめないでくれる……かな?」

「うん」


 互いに愛らしくお願いした結果、互いに恥ずかしくなって目を背ける始末。

 二人のイチャイチャに挟まれている佐藤の心が少しだけモヤモヤしたのは言うまでもない。

 同時に佐藤は気づいた。

 二人の、互いを思いやる心に。だからこそ不思議ではある。紫がどうして勇気と距離を置こうとしているのか。


「あのね、勇気……君と居ると、正直安心する」

「うん……」


 その答え。


「でも、その安心は君が無害なペットだから……そう思ってる自分の心に気付いたんだ」


 どうしようもない真実。

 安心の正体。恐怖の原因。


「君は……その、はっきり言って考えが足りない。でもそれが君の良さでもある。私はそんな君が好きなんだ。他の人間みたいにジロジロ粗さがしをしたり悪意やそういう妄想を抱かない君が好きだ」


 話すつもりなど無かった。

 いつも自分を美しいと褒める彼にこんな醜い部分など知られたくなかった。


「結局私は私自身が一番大切で、君が一番私にとって都合がいいんだ……。それに、君は前に私が昔使っていた部屋を開けたろう? あの場所には、私のトラウマがある。もしそれが君にバレたら……そう思ったら何もかも信用できなくなったんだ」


 自分しか知らない心の闇。

 自分にしか見えない深淵の恐怖。

 もしもそれらが大切な人に知れてしまったら。ノートに書いた恨みと呪い。玩具や壁についた暴力と残虐性の名残。それらを彼が感じ取ってしまったら。そこまで考えが行きついてしまったら。

 考えれば考えるほど紫の恐怖は大きくなった。


「……それで、私は……君を……大切な君がいなければって……!」


 突然泣き出す紫。

 無理もない。恐れが生み出した精神に潜む悪魔に囁かれたとはいえ、確実にあの瞬間、紫は勇気を消そうと考えた。一度でも考えてしまった。


「ユカリン……」


 拭えぬ罪悪感が彼の顔を、その笑顔を見るたびに積み重なった。

 毎日、毎日、毎日。気づけばいつも彼の事ばかり考えている。もちろん、悪い意味でだ。


「すまない。私は、君に相応しくないんだ。君のように真っ直ぐで、善い人間には、もっと良い人が――」


 落ち着きを取り戻した紫が俯く。

 俯いて、自分に言い聞かせるように話す。


「ユカリン」

「……!!」


 ただ、彼女の言葉が最後まで紡がれることは無かった。

 最後まで言い切ってしまう前に、反対側に座っていた勇気が彼女の横にいって抱きしめたからだ。


「ユカリン、正直に話してくれてありがとう」


 勇気の少し高い平熱が、不安と緊張に凍える紫の指先からゆっくりと伝わり、足先までポカポカさせる。そして思い出す。この温かさが紫の世界に対する敵対心を和らげ、安心を与えた。

 今にして思えば、幸せを願っていたのに、いつの間にか幸せを恐れていた。

 活動の根源にして自分の武器とも言うべき獰猛な牙を抜かれるのではないかと不安になっていた。


「実はね、ユカリン。僕も一つだけユカリンに言ってないことがあってね……実は僕、あんまり料理得意じゃないんだ」


 全く、本当の大馬鹿者はどっちなのやら。


「最初から知っている。あぁ……全く、私は愚か者だな」


 俯いたままの紫。

 抱きしめ返さぬ紫。

 紫はまだ迷っている。

 きっと彼ならばすべてを許してくれる。

 紫の為に彼はすべてを失える。紫の為の道具に成り下がれる。

 そんな紫の『だからこそ』を敏感に感じ取った勇気は、ダメ押しの一言を彼女の耳元で囁いた。


「君の傍にいられるなら、僕はペットでもいい」


 彼の言葉に紫の顔が上向く。

 直後、彼女の油断を逃すまいと勇気が彼女の唇に自らの唇を軽く重ね、畳みかけるように言い放った。


「君が安心するためなら、僕はユカリンのお布団でもいい」

「ぷ……ハハハハハ! あ~あ、私の負けだ」


 思わず吹き出してしまった紫は、それから彼に飛びつき抱擁し、それはそれは情熱的なキスを交わす。


「ンぐっ!?」


 驚く勇気の表情を楽しみながら、紫は思う。

 全く、あれだけ複雑な感情を深く考えての行動だったのに、結局は単純な答えに負けてしまった。もちろん、これは勝負でも試合でも何でもなくて、そもそも勝ち負けで語られる事柄ではない。いつもの紫ならば今の感情に合う単語や文章を考えるところだが、今している彼との共通の幸せで頭を満たす以上にすることなどない。

 惚れた弱みとでも言えば片付くのだろうが、生憎とそこまで単純な感情でもない。


「……まっ、この答えは未來のもっと幸せな私が見つけるだろう」

「ゆ、ユカリン。ちょっと今のは激しすぎるというか……ね?」


 誰が想像できただろう。


「サトチンが見てる……」

「ん? あぁすまないな」


 カップルの不和の芽を解決しようと協力したら、まさかあんなに情熱的な二人の営みを文字通り最前席で見ることになるなんて。


「ッ――――!?!?」


 可哀そうな佐藤。

 彼は親戚の家で思いがけず異性の裸体を見てしまった子供のように顔を真っ赤にながら、両手で顔を押さえている。


「あ゛ー! もう! 分かりました。お二人の仲が良好に戻って僕も嬉しいです!」


 若干……というか完全にヤケクソ気味に早口で話す佐藤。


「サトチン? 怒ってる?」

「怒ってない! 僕は怒ってないから早く! 急いで、二人は今すぐ家に帰る!」

「そうか? じゃあ支払いを――」

「いいですから紫さん。ここは僕が出しますから、早く帰って下さい」


 すごい剣幕で話されてポカンとするバカップル一組。


「いや、それじゃあ君に悪いだろう?」

「大丈夫です! むしろ、お二人の幸せ全開オーラを公共の場で放たれている方がよっぽど迷惑です! そういうイチャイチャは家で存分にやってください!」


 そう言うと佐藤はテーブルに置かれたレシートをひったくってレジへと向かって行ってしまい、仕方なく紫と勇気は『二人の家』に帰ることにした。


「ただいまー!」

「お帰り、勇気」

「ユカリンも言って」

「う、む……ただい、ま……だ」

「うん! お帰り! ユカリン!」


 それからしばらくして二人はゆっくりと紫が使っていた子供部屋を整理し始めた。

 壊れた壁や壁紙を直し、思い出とゴミを分別し、手元に残す品を紫の部屋に運んだ。途中、何度か紫が苦しみでしゃがんでしまうこともあったが、その時は勇気が支えた。


「ねぇユカリン、本当によかったの?」

「いいんだ。何せ、私ももう大人だからな。子供部屋は子供のために、だろう?」

「ん~……僕は子供っぽいユカリンも好きだけどな~」

「…………今ので伝わらなかったのは、さすがに私の言い方が遠回し過ぎたのか?」

「どういうこと?」

「……結婚、する、ぞ……」

「誰と!?」

「君意外にいる訳ないだろう!?」

「…………」

「――すまない、勢いのまま言ってしまった」

「ううん。ありがと、僕を使ってくれて」

「はぁ、そこは『選んでくれて』の方がロマンチックだぞ」

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