最終話

 気がつくと、そこはベッドの上だった。

 数ヶ月が過ぎても忘れない、人間だった頃の俺の部屋。


(……そうか。やっぱり人間に戻っちゃったのか)


 腕を上げ、その先にある自分の手を見て、その事実を認めた。



 勝手に猫にされて。

 お姉さんと、ようやく平穏な生活を送れるようになったかと思えば、今度は勝手に人間に戻されて。


 …………。


 お姉さん、今もちゃんと生活出来ているだろうか。

 それとも、元のグダグダな暮らしに戻ったんだろうか。

 案外、猫だった俺との生活は一時の夢のようなものと割り切って、もっといい生活をしているのかもしれない。


 ――気がつくと、お姉さんのことばかり考えていた。




 自分のことだって考えないといけなかったのに。


 神様(?)の言う『長い休暇』は、ごく普通で、良くも悪くも何も無かった俺の生活を一変させた。


 ――悪い意味で。



 学校に行くと、誰にも説明することの出来ない謎の長い病欠を送った俺は、奇異の目で見られ続けた。

 別に病気だったわけじゃないんだけどな。


 それでも、ぐっとこらえて学校に通っても、今度は卒業できなかった。

 卒業するには単位が足りないらしい。


 ――つまりは留年することになった。


 今度は、1コ下のヤツらに一年中奇異の目で見られながら過ごすことになるのか。


 そう思うと、もう学校なんてどうでもよくなった。


 元から、友人も夢も無い。自分が何をしたいのかも分からずに、とりあえずで通っていた学校だ。

 3年経っても結局、何がしたいのかは見つからなかった。

 じゃあ、もう辞めてもよくないか。きっとこの先――大学に入っても同じ事の繰り返しだ。


 もっとも、辞めようというきっかけを作ったのは神様(?)だけれど。

 ……いや、この決断をさせるために、あんな事をしたのかもしれないな。




 とにかく。

 家にいても憂鬱になってくるだけなので外に出ることにした。


 目的は特にない。

 いや、退校後の就職先を探しに行くのもいいかもしれない。

 とにかく街に出てぶらぶらすることにした。



 ――街かどで、ふと、嗅ぎ慣れた匂いがした。


 いや、俺が知っている匂いよりも随分と薄い。いい匂いだった。

 振り返って匂いの出どころを探すと……いた。見慣れた後ろ姿の女性が!


 俺は慌てて後を追おうとした。

 すると、女性が下げていたバッグからぽとり、と1冊の手帳が落ちた。


 俺がその手帳に気を取られ、拾っている間に、女性は角を曲がったのか建物に入ったのか、どこかへ消えてしまった。


 あとに残されたのは、俺と手帳。


 悪いとは思ったけれど、落とし主の手がかりが載っているかもしれないと言い訳を考えて手帳を開いてみた。


 ――手帳は日記として使われていた。

 そして、そこにはプリントアウトされた写真が貼り付けられていた。


 お姉さんと、猫だった頃の俺の写真が。


 ただ、猫だった時には別に変だと思わなかった事が、こうして他人として見ると、変な出来事だったと思い知った。


「なんだよ、コレ。コロコロのを持って歩いている猫とか」


 おかしくて……涙がこぼれそうだった。



「ちょっと、君。人の秘密を覗き見なんて、タチが悪いよ!」


 俺の後ろから女性の声が聞こえた。


 ……お姉さんじゃあ、ない。

 振り返って確認する。

 お姉さんじゃあなかったけど、知っている人だった。

 たしか、この女性は……お姉さんと俺が初めて会った時に、お姉さんのそばで『野良猫にエサをやるな』と言っていた人だ。

 あの後も、お姉さんの所へちょくちょく来ていた。


「冗談ジョーダン。からかってごめんね」


 彼女は笑いながら謝った。


「あ。でも私の言った事を気にした、ってことはそれ、やっぱり君のじゃあないよね」

「はい。さっき駅に向かった女性が落としたものです」

「あ、じゃあ多分間違いない。その女性、私の幼馴染でね。ちっちゃい頃からずっと一緒。同じ会社にも行っているんだから、もうこれ、腐れ縁ってヤツなんだよね」


 ……この人、聞いていないことまで話し始めた。


「だから私がその手帳をあの子に返す……って言っても、信用してくれないかなあ。

 じゃあ、例えば見てもいない手帳の中身を当てたら証明になるよね。

 表紙をめくってみて。裏に、猫と彼女の写真が貼られているはずだから」

「はい」


 彼女の言う通りに手帳の表紙をめくると、そこには、お姉さんと猫……猫だった頃の俺が写っている写真が貼られていた。


 また泣きそうになったが、ここで泣いたら変なヤツと思われかねないので、今度はかろうじてガマンした。


「その猫ねえ、彼女の性格を大きく変えた恩人……恩猫?ってヤツでね……って、時間!」


 時計を見て、慌てて駅に走り出す彼女。

 すると今度は彼女が何か落とした。


 社員証だった。


 彼女はこれを落としたことに気づいて慌てて引き返し、俺から社員証を受け取ると駅の方へ引き返した。


(お姉さんと似た者同士だなあ。……これが幼馴染、ってやつ……なのかな?)


 幼馴染なんかいない俺には分からない。




 お姉さんの幼馴染が見当たらなくなると、俺はすぐにスマホを取り出した。


 幼馴染の人は言っていた。『(お姉さんと)同じ会社に行っている』と。

 そして細かい住所は覚えていないけれど、会社のあった市名と会社名は覚えている。


 スマホの地図ですぐに調べる。


 お姉さんの務める会社は、俺の住む町から隣の市をまたいだ1つ先にあった。

 ホームページも見た。

 高卒も採用してくれるらしい。


 俺の胸は高鳴った。あと1年だ。あと1年頑張れば、またお姉さんに会える。


 俺に、学校に行く目的が出来た。

 不純かもしれないけれど、しょうもない理由かもしれないけれど、今の俺には大切な理由だ。


「よし!」


 やる気になった俺は、まずは折れた鉛筆を買いに歩き始めた――。

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猫な俺とお姉さんと 麻倉 じゅんか @JunkaAsakura

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