第3話
何故か猫になってしまい、お姉さんと暮らし始めてから月日が経った。
お姉さんは時々だらしがない。格好とか、寝相とか。ほか色々。
今日も仕事が終わった後、酒とかおつまみとかを買ってきて、スーツを脱いだまま下着姿のだらしない格好でテレビを見ていた。
そんなお姉さんを、俺がじーっと見ていると、お姉さんは、どうやらだらしなさを咎められているように思うらしい。
「ごっ、ゴメンごめん。すぐ片付けます!」
俺はただお姉さんの綺麗な肌にうっとりしていただけだ。叱る気はもちろん、下心だって無い。
……ゴメン。『下心ない』とか、ちょっとだけ嘘ついた。女性の体とかに興味は無くもない。元・人間の男だし。
けれど良識は備えている。それに俺は今や猫。その辺の分もわきまえている。
――それにしても。こういう
不思議でならない。
ピロロ……。
スマホが鳴った。慌ててお姉さんは手に取る。
「ああ、何。仕事でまた何かあったの?」
いつもお姉さんに電話してきたり、時にはお姉さんが部屋に連れてくるようにもなった、会社の後輩(女)だ。
今日もいつもの時間、会社が終わってしばらくした頃に電話がかかってきた。
「あーもう。はいはい、会社やめられちゃあ私も困るからね。今、行きますからね。そこで大人しく待ってなさいよ」
――お姉さんは面倒見のいい人だ。
自分だって俺がいなきゃあ掃除をサボる癖があるのに、後輩とかの面倒はしっかりと見る。
そして最近気がついたが、お姉さんは料理とかも自分でちゃんと作れるし、本当は出来る人なのだ。
ただやる気がないだけ。
俺がちゃんと支えてやれば、炊事に洗濯、ちゃんと出来る器用な人なのだ。
そんな、本当は器用で面倒見のいい人だから周りからも頼られる。
――バタン。
ほら今日も可愛い後輩のために出ていった。
照明も消されて真っ暗な部屋の中、後に残ったのは
開けっ放しの窓からは、まぁるいお月さまが、見えている。
ふわり、と窓の隅にくくられたカーテンを揺らして、外から柔らかい風が吹いてきた。
遠くの街からは雑音が静かに聞こえてくる。
なんとなく俺はお月さまを見上げた。
怖いでも、魅了されるでもない。
ただ無心に、夜空に浮かぶお月さまを引かれるように目を向けて、ぼおっと見ていた。
『猫の生活を満喫されていらっしゃるみたいですね』
長い間、月を見続けていると、突然背後から声がした。
お姉さんでも、自分の記憶の中にある誰のものでもない女性の声。
驚いて振り返ると、月の光が差し込む部屋の中に淡い光が浮かんでいた。
それによって部屋が照らされてはいないのだから、明らかに自然のものじゃあなかった。
ただその正体は、はっきりとじゃあないが、俺には察しがついていた。
『あんたが俺を猫に変えたのか!?』
俺の言葉は「ニャーゴ!」という猫語に変換されてしまったが、意図は伝わる、かもしれない。人を猫に変えるという不思議な力が使えるのだとしたら。
だが相手は、伝わる伝わらない以前に応えることもせずに勝手に話を進めていった。
『……そろそろ貴方の長い休暇も終わります』
「にゃん?(それって、俺が人に戻るってことか?)」
『はい。あなたは、あなたが本来送るはずだった日常に戻るのです』
「う"に"ゃあ"!(どうして今頃!)」
『さっき申しました通り、これは貴方の魂の休暇だったのです』
……この声の主が神様かどうかは知らないが、神様って随分と勝手なんだな、そう思った。
神様(と俺が思っている)の姿が更に明るくなる。
すると俺の姿も消えていく。
(って、ちょっと待って! もしかすると俺や姉さんの中の記憶は……)
『無くなりませんが、縁は消えるでしょうね。
いえ、元々人間の貴方との縁は無かったのですから、当然のことです』
(そんな……)
『お姉さん、俺がいなくなって大丈夫かな』とか『もっとずっと一緒に居たかった』とか色んなことが頭の中を巡った。
が、俺にはどうにもできない。
最後に『これが神様の与える魂の休暇というのなら、なんて残酷な休暇なんだろう!』との思いを抱いて、俺は消えていった。
――だから真夜中に、後輩のケアを済ませて帰ってきたお姉さんは、驚いただろう。
「ただいま〜! ごめんね、ヒロくん。一人ぼっちでお留守番させちゃって。
……あれ。ヒロくん、ヒロく〜ん!
寝ちゃったのかなぁ?」
帰ってきた自分の部屋には、誰もいなかったのだから。
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