畑のヒーロー
葉月りり
第1話
主人が亡くなってそろそろ3ヶ月です。
四十九日を過ぎ、娘の手を借りて遺品を整理し、相続の手続きを終えてホッとしています。相続と言っても手続きが必要なのはこの家だけ。でも、住む所があるのは幸せなことです。
主人ははっきり言って大酒飲みでした。見合いの席では嗜む程度なんて言ってましたが、大嘘で、若い頃は生活費も省みず飲むものですから、私は自分の実家に泣きついて何度援助してもらったか。ただ、お酒は飲んでも働きものでしたので、私が食べていくには十分な年金を残してくれたことには感謝しています。
主人の遺言がひとつあります。
「俺が死んだらお前一人だ。うちにばかりこもっているとボケちゃうからな。俺の畑、やれ。自分が食うくらいの野菜作ったらいい」
私もガーデニングは嫌いじゃありません。でも、何度か主人の畑に手伝いに行ったことがありますが、私にはとてもムリな広さです。やるにしても、地主さんに返すにしても、取り敢えず見てみなければと、自転車で行ってみました。
5、60坪くらいあるんじゃないでしょうか。草が生えてしまっていて、畑というよりお花畑です。でも、真ん中に雑草に紛れてじゃが芋が3畝あります。端に一列ある絹サヤの棚もうちの畑のもののようです。下の方は虫がついてしまっていますが、上の方は綺麗な緑色の鞘がプラプラ風に揺れています。
余命半年と宣告を受けてからも動けるうちはと、主人は畑に行っていました。最後に植えたのがじゃがいもとえんどう豆だったのでしょう。これは立派な遺産だわと、嬉しいような悲しいような気分になりました。
今日のところはゴム手さえ持っていなかったので、絹サヤをいくつか採るだけで帰ってきました。湯がいて少しの塩で食べてみると、毎年主人が作っていた絹サヤと同じ、気持ちの良い歯応えと甘さでした。
私はホームセンターに行ってガーデニング用のゴム長にゴム手、日除け帽子を買ってきました。いつ終わるかわからないけれど、雑草を抜いてみようと思いました。
いつもはかわいいねーと愛でるオオイヌノフグリやホトケノザを容赦なく抜いていきます。すると、春の草たちは根が浅くとても抜きやすいことに気がつきました。時々出てくるミミズにビックリしながら、3日で荒いながらも草取りが終わりました。
隅のプラスチックの蓋つきコンテナに道具が入っているはずです。それで耕してみようと、コンテナを開けると鍬や鋤、鎌、肥料なども入っています。鍬をとって、畑の土に振り下ろしてみました。でも、あまり刺さりません。草は容易く抜けたのに、根の下の土は意外と硬いようです。それでも、頑張って鍬を振り続け、なんとか端から端まで土を起こしてみましたが、それだけで汗びっしょり、息も絶え絶えです。これはきつい。全部耕すのに何日かかるかわかりません。
「そんなんじゃダメだ」
畑を仕切っている植え込みの向こうから声がして、私よりは少し年嵩のおじいさんが、耕運機を押しながら植え込みの隙間を通って、こちらに来ます。
「あんた、木村さんの奥さんだろ? 俺はキムさんの畑仲間の渡辺だ。ちょっと退いてろ、バーっと起こしちゃうから」
渡辺さんが耕運機の横にあるレバーを勢いよく引くと、バババババと前の羽根が回り出し、その羽根が土をどんどん起こしていきます。渡辺さんが耕運機を押してうちの畑を行ったり来たりして、ほんの20分くらいで耕し終わってしまいました。
「畑、どうするのかと思ってたんだよ。あんたがやるのか?」
「まだ、決められないんですけど、ここの契約が秋までなのでそれまでやろうかと。あの、ありがとうございます。鍬の使い方もよくわからなくて…」
「手で耕すのは大変だ。この耕運機はキムさんも一緒に畑仲間で出し合って買ったんだ。キムさんは畑のことよく知ってて、俺らはよく教えてもらったんだよ。俺はこの3区画向こうの畑だ。また入り用だったら耕してやるから、言ってきな」
と、渡辺さんは耕運機を押して植え込みの向こうに帰っていきました。
それから私はまたホームセンターに行き、今植え付け時期の夏野菜の苗をいくつか買ってきました。そして主人の野菜作りの本を見ながら、自分なりに植え付けてみました。渡辺さんは時々私の畑にやって来て、なにくれと世話をしてくれます。肥料のやり方、支柱の立て方、みんな渡辺さんが教えてくれました。お礼を言うと必ず言うのが
「キムさんには世話になったんだよ。奥さんの畑手伝うくらいじゃ恩返しにもならないくらいだ」
これも、主人の遺してくれたご縁、遺産なのかもしれないなあと、思ったりしました。
草だらけだった所が、トマト、きゅうり、ピーマンと作物が増え、畑らしくなって来ました。ジャガイモもなんの手入れもしてなかったのに私1人では食べきれないほど獲れました。せっかくなので、ご近所にお裾分けし、娘には段ボールに入れて送りました。「お父さんの遺産をお分けします」と、メッセージを入れて。
暑くなってきて、夏野菜が順調に育ってきました。トマトの黄色い花、茄子の紫色の花、オクラがあんなに大きな花をつけるなんて、美しいものです。そのうち実も着いてきました。毎日少しずつ変化する野菜たちが可愛くて、このまま続けようかと思い始めた頃、気がつきました。最近、渡辺さんが来ていません。
もう1週間は会っていません。これは体調でも崩されたかと心配しながら畑には行っていたのですが、なぜか自分が体調を崩してしまいました。眩暈がして立つのもおぼつかなくなって、これはまずいと娘に連絡したら、病院に連れて行ってくれました。
医師からは過労だと言われました。この暑い中畑にいるなんて、年を考えろと医者にも娘にも叱られました。取り敢えず2日間入院して点滴してもらって、あとは家で静養です。その間、娘が孫を連れて泊まり込みで世話をしてくれました。娘は10日も居てくれて、とても助かりました。そういえば、こんなに長く孫と過ごすのはこの子が生まれた時以来です。私は女の子しか育てていないのですが、孫は男の子で、なんともひょうきんでいつも笑わせてくれて、それだけで元気になれました。
なんとか体調も戻り普通に動けるようになったので、畑に行ってみることにしました。また体調を崩してはいけないので、暑くなる前、朝7時に家を出て行ってみると、畑はすごい草ボウボウになっていました。2週間でこんなふうになってしまうものなのでしょうか。
草丈は私の膝を優に超えています。試しに草を掴んで引いてみます。抜けません。春に草取りをした時と全然違います。トマトもピーマンも雑草と混ざってしまいました。呆然としていると、パヮーンとクラクションの音がしました。振り返ると軽自動車から渡辺さんが顔を出しています。
「久しぶり!」
と、車から降りてきました。私は「おはようございます」と頭を下げました。渡辺さんは私の畑を見て、
「すげーな。夏はこうなっちゃうんだよ。どうした? もうやんなっちゃったか」
私は毎日楽しみに畑に来ていたこと、体調を崩していたことを話しました。
「夏はさ、朝5時ごろからせいぜい7時までだよ。そのあと外に居たら具合悪くもなるぞ」
渡辺さんたちは早朝に作業していたから、会うことがなかったんだと、私は納得しました。渡辺さんは草を踏み畑に入っていきます。
「あー、ピーマンにカメムシ付いてきちゃってるな…それで、どうするんだ、ここ。やめるんならこのまま地主に返してもいいし」
「やりたいです。秋までって思っていたけど、面白くなってきて。ナスやトマトが大きくなるの楽しみに来てたんです。だけど、こんなになっちゃって、どうしたらいいか」
「そうか、わかった。これから地主に来年は半分にするからって言ってくる。もう半分はだれかやる人がいるか、声かけてみるから。それから」
渡辺さんは携帯を出して連絡先を見せてきました。
「奥さんの体調まではみてやれないけど、そう言う時の畑の世話はやっておくから、電話してきな」
私も携帯を出して見せられた番号にかけると渡辺さんの携帯が鳴って、私たちは連絡先の交換ができました。
「明日は朝、5時に来な。ここ、なんとかしよう」
次の日、私は早起きして5時前に畑にやってきました。こんなに早くから外にいるのはすごく久しぶりです。なんとも気持ちいい朝です。雑草まで昼間より生き生きしています。
少しすると植え込みの向こうから、朝日を浴びて男の人が3人歩いてきました。
エンジン付の草刈機を肩から下げた人、液体のタンクを背負っている人、そして耕運機を押した渡辺さんです。
「おはようございまーす」
と叫ぶと、
「おおー」
と返ってきました。
近くまで来ると渡辺さんは皆さんを紹介してくれました。
「こっちが源さん、草を刈ってくれるから。で、こっちがハマさん薬を…」
「ケミカル・ハマーと言います。よろしく」
「中学の理科の先生だったんだと。ハマさんでいいから」
私も「よろしくお願いします」と頭を下げました。
草刈り機のスイッチが入り、耕運機のレバーが引かれ、作業が始まりました。
「ナベさん、ここから始めりゃいいかい?」
「ああ、角のところに地這いのきゅうり植わってるから気をつけて」
ウィンウィンウィン、バババババ
「俺もキムさんにには世話になったんだよ。亡くなった時はガッカリしたなぁ」
ハマさんも渡辺さんと同じように言います。主人は外ではどんな人だったのでしょう。
「じゃ、奥さんはトマトやピーマンの木の周りをきれいにして。俺は消毒するから。この後、1週間は収穫できないから、気をつけてね」
ハマさんはピーマンにシューシュー薬をかけ始めました。
草刈りの源さん、
土起こしのナベさん、
ケミカル・ハマー?
私は鎌を使いながら、孫とテレビで見た戦隊ヒーローを思い出していました。
おわり
畑のヒーロー 葉月りり @tennenkobo
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