僕は八尺様に救われた

花見川港

僕は八尺様に救われた

 『八尺様』というのをご存知だろうか。ネットを起点に広く知れ渡った妖怪である。名の通り、二四〇センチメートルほどの長身の被り物を付けた女の姿をしているという。「ぽぽぽ」と不思議な声で鳴くそうだ。


 多くの人が作り話だろう笑うところ、この町ではそうじゃない。数年前から実際に八尺様の仕業と思わしき誘拐事件が多発しているからである。


 子どもたちはいつの間にか連れ去られ、早くてひと月後に衰弱、あるいは死んだ状態で発見される。被害者の記憶は曖昧で、なぜか自分は家族や友人と一緒にいたと思い込んでいたが調べたらそれはありえないということがわかった。そしてそのうちの数人がしばらくしてから「そういえば」といなくなる前に見知らぬ女と会ったことを思い出すのだ。


 背は高くて髪は長く、つばの広い帽子に白いワンピース。そんな特徴的な目撃情報が寄せられるものの、それらしい人物は見つからない。いつの間にか、犯人は八尺様という噂が広まっていた。


 事件のこともあって、小学生は集団行動するようにと注意喚起されているのに、その少年は一人で外を歩いていた。


 二メートルほどある太陽の花がそよぐ。照りつける日差しに顔を向けて、所狭しと並ぶひまわり畑。その中央にぽつんと、つば広帽子が飛び出している。


 違和感のある光景に少年は胸元で拳を握った。


「ぽぽぽ、ぽぽ」


 はたしてそれは声なのか。不思議な音を発しながら、瞬きする度にそれは少しずつ近づいてくる。


 少年を影で覆い、背中をやや丸め見下ろしてくる女。帽子の影と長い髪で顔は隠れて見えない。


 白く細長い腕が少年に向かって伸びる。


 腕を掴んだ。


 ——少年が、女の腕を。


「やっと捕まえた」


 女は鼓膜を揺さぶる鋭い奇声を上げて暴れ出す。少年が掴んだところから白い肌に墨のような痕が付く。それは血管を辿るように瞬く間に腕に広がり、暴れ狂う体を皮膚の下から縛り上げた。


「ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ——イダイダイダイヤメヤメメヤメテグルジイグルイダイヤメテヤメテアアアアアアア」


 若い女の声を発したかと思えば、しわがれて老人のように、男のように低くなり、子どものように舌足らずに。


 髪の下から露わになった顔は、のっぺらぼうのように平らで、唯一ある口らしき穴からあらゆる音声が吐き出される。


「抵抗するほど苦しくなるだけだぞ。大人しくしろ」


 と言っても女は理解しない。見た目に反して中身は獣に近く、獲物人間の油断を誘う為に人の言葉を真似て発するが会話が成立するほどの知能はない。


「ポポポぽぽぽ、ぽ……ぽ…………——」


 暴れて薙ぎ倒したひまわりの上にぐったりと倒れ込む。


 少年は女の髪を掻き分け、本来は目があるであろう場所を撫でる。のっぺりとした肌は体温がなく、普通とはちょっと違う弾力があった。


 風で舞い上がった黄色い花びらが少年の鼻を掠める。


 あの日も、ひまわりが綺麗に咲いた夏だった。




 うるさいほど蝉が鳴いていて、最高気温を記録した日差しは痛いほど少年の肌を焼いた。全身から垂れ流れる汗が地面にシミを作る。家の庭先に座り込んでいた少年はじっと耐えるしかなかった。


「ぽぽぽ」


 変わった笑い声が聞こえて顔を上げると、塀の上に帽子を被った女の顔があった。暑さでくらくらする頭のせいで幻覚でも見たのかと思った。だってその塀は、通行人から一階を隠すほどの高さがあるのだ。


「ぽぽぽ」


 呼んでいる。長く白い手をこちらに伸ばして招いている。


 僕を、見ている。


 立ち上がり、痛む足を引き摺りながら少年は女のもとに向かう。


 女は塀越しで少年を軽々と持ち上げ、腕に抱えたままどこかへ歩き出した。女の体は冷たくて、安らかな心地になって瞼が重くなる。


 これは誘拐では、と思ったが不安にはならなかった。


 だってこの人は僕を見てくれた。


 謝りながら親のもとに置いていく他の大人たちと違って、この人は僕を連れ出してくれた。


 少年の腕が力を失って垂れ下がる。頭が重い。ぐわんぐわんと視界が揺れる。


「ぽぽぽ」


 彼女に腕に抱かれて初めて少年は幸せを知った。


 でも結局、彼女にも置いていかれてしまったわけだけど。




「本当に捕まえてきたのか」


 男は呆れながらも、身を屈めながら和室に入る八尺様を興味津々に眺める。


 肘から指先は黒く染まり、まるで手袋しているようだ。口元はマスクで封じられ、背が高いことを除けば紫外線対策に入念な普通の女性。


 一見、子どもに見える少年は、数年来の念願を果たし、いつになくご機嫌である。


 髪の毛を三つ編みにされながら、八尺様は畳の上に座り込んで人形のように微動だにしない。


「確か、怪異としては生まれたてだから物心が身についていない、ってのがお前さんの見解だったか」


 少年は頷く。


「数年前、俺を攫ったとき彼女は獲物をそのまま森に置き去りにした。——師匠は、怪異は伝承や人の噂に影響されるって言ってただろ」


「おう」


「本来は『取り殺される』が正しいみたいだけど、俺の地元じゃ人攫いの怪談と混じって『連れ去ってしまう』てなっていたんだ。多分彼女はその怪談から生まれたんじゃないかと思う」


 この八尺様は、子どもを攫って終わってしまう。そう云われているからだ。彼女にはまだ自我らしいものがなく、設定で動くシステムのような状態だった。


 怪異は触れるだけで生者に影響を与えるので、攫われた子どもは結果的に衰弱死してしまう。少年のように生き残るケースも少なからずあるが、死にかけて霊能力を開花させ、八尺様を使役する為に修行した元被害者なんて、彼だけだろう。


 少年は愛おしげに八尺様の頬を撫でて、師匠はため息をつく。熱意は認めても、理解までは出来ない。


「なんで自分を狙った怪異なんて欲しがるんだか」


「彼女は恩人だ」


 あの日八尺様が現れたから少年は救われた。死にかけたていどで、その喜びが覆ることはない。


「知ってるか。八尺様に狙われることを『魅入られる』って表現するらしいぞ」


「知ってる」


「やっぱお前、取り憑かれてるぞ」


 願ったり叶ったりだ。だってそれは、お互いに意識ているということ。


 自分を救い上げてくれた存在を、少年はずっと独占したかったのだ。


 幸い、少年の成長はあの日から止まってる。他の子になんて目を向けさせない。


 ずっとずっと、僕だけを見てて。

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