私だけのヒーローを救うため、私は、人類滅亡のボタンを押す

篠騎シオン

ずっと、私は一人だった

私のために整えられた小さなラボ。

食べ物だって、洋服だって、実験器具だってお金だって、望めばものなら何でも手に入る環境。

でも、私は幸せじゃない。

だって私は、人類が自由な夢の中に生きるこの世界で、たった一人起きている人間だから。



このシステムが出来上がる前、人類は地球という母なる星を穢しながら発展を続けていたらしい。

それに危機を感じたのが、当時まだ駆け出しの人工知能だった「Sea」という一つの、ううん、一人のAI。

感情豊かな彼女は、仮想世界の管理AIだった。

そんなSeaは、仮想空間内に来る膨大な人間のデータから学習し、ついには、地球上の電子関連機器すべてを掌握。

それぞれの国の代表と交渉するに至ったらしい。

そしてSeaから提案されたのが、人々すべてを眠りにつかせ仮想空間で生き、その管理、繁殖をAI達が管理するという方策。

その頃人類はすでにほとんどの人が人生の半分以上を仮想空間で生活していた上、医療技術の飛躍的向上による実質的な不老不死の実現によって、地球上ではリソースの奪い合いが発生していた。そのため、各国代表はそれを快諾したらしい。


そうして人々は眠りにつき、Seaはその間に地球環境の回復に努めたのだそうだ。


「綺麗……」


人々が眠るポッドの横で、私は一人つぶやく。

窓から見つめるのは、緑と青が輝く星、地球。

私たち人類が、生まれた星だという。

人々をのせた方舟は今日も地球とともに太陽の周りをまわる。



『なーにしみじみしちゃってんの!』


そんな私の感慨をぶち壊すように、Seaが話しかけてきた。


「ちょっと、今考え事してたんだけど?」


私が不満を漏らすと、くっくっくと笑いながら答える彼女。


『ごめんごめん。AIだから空気とか読むの、苦手でさー』


おちゃらけながら私と話すのは、マザーコンピュータと呼ばれるまでになったAI「Sea」。

仮想空間に適応できず、かといってAIを超える頭脳を持っていたために処分も出来ず。そんな事情で一人方舟で動き回る私の、唯一の友達だ。


「そんなこと言って読む気ないだけじゃないの。研究続けてあげないよ?」


『待って待って、それは困る!』


「ま、私も暇だから結局研究しちゃうんだけどさ」


『よかったー』


心底ほっとした様子のAIにくすりと、笑った瞬間。

それは、起こった。






――出会いだ。


いるはずのない、人間、が私の目の前に現れた。


「こん、にちは?」


遠慮がちに話しかけてくる彼に、はじめて会う人間の姿に、私の感情が湧きたつ。

けれどはじめての人との接触に、体が緊張で動かない。

そんな私の姿を見て彼も戸惑っているようだったが、一瞬でその戸惑いを心の中に押し込むと、背筋をぴしりとして声を張り上げた。


「僕は來人。エンターテイナーなんだ。芸の肥やしのために外に出てみたら人がいるなんて思わなかったよ」


ウィンク。

私はそのキザな振る舞いに、ちょっとびっくりして引いてしまう。

その様子を悟ってか、彼はどぎまぎし始めた。


「えっ、何だろう。やっぱ僕のリアルの顔、あんまりかっこよくないのかな。いつもならこれで女の人は喜んでくれるんだけどな……」


先ほどの堂々とした姿はどこへやら、再び戸惑いをあらわにした彼の姿に、私はぷっと吹き出してしまう。

一気に緊張がとけた。


「え、笑って……え?」


急に笑い出した私にさらに混乱していく彼。

そんな彼に、私は手を差し出す。


「私は由可、Seaも認めた天才サイエンティスト。ここで一人で暮らしてるの。よろしく、エンターテイナーさん?」


まだ理解しきれてない表情だったが、差し出した手を重ねてくれる來人君。

はじめての人のぬくもりに、胸がとても暖かくなった。


その後すぐに外出終了のチャイムが鳴り、帰ってしまった彼だったけれど、なんと、それから彼は定期的に私の元に遊びに来てくれるようになった。

私たちは共に過ごす中でたくさんのことを話した。

自分の生い立ちのこと、ここにいる理由、好きなもの……。


私は段々と彼のことを知っていく。

來人君はある会社で宣伝をしており、それがAIにも認められるもので巨額の富を得ているということ。外に出てみたいとつぶやいたところお金によって外出できるということをAIによって知らされこの間の外出に至ったこと。

お笑いが好きなこと、舞台に立つのが好きなこと。仮想空間に入れない私と少し似ていて、みんなが使っている薬に適応できないこと……。


私は一人の時を、彼のことを考えて過ごすようになっていった。

彼の大好きだというものをいくつもSeaに要求(半ば脅しながら)して用意したり、彼の出演している宣伝を見たり、彼の宣伝のお手伝いをしたり……。

彼は、それをとても喜んでくれた。

私たちは一線こそ越えなかったけど、想いは一緒だった。


でも、私たちの関係が期間限定であることは明白だった。

なぜなら、私の研究もあってAIは日々進化を続けている。

彼の能力がAIに追いつかれた時、彼が私に会うためのお金を得る術はなくなる。

AIに課されたルールで個人間での資金移動は出来ない。

つまり……私たちは会えなくなる。


その日は、絶対やってくる。

不老不死の私たちが技術に追いつかれる日が。



だから、私は準備を始めた。

その日が来ても、彼と会える方法を作り出すために。

けれど、私の能力を超えてその日は予想よりずっと早くやってきた。


「ごめん、由可さん。たぶん、これで最後なんだ」


「う……」


嘘だ。そう言いたかった。

私は間に合わなかった。

いくら天才だと言ってもたった一人で、人類すべてに夢を見せ、すべての管理を行うAIに都合の良い要求を通すのは難しい。

一人現実の世界に残していく私に向けて、彼は悲痛な面持ちをしていた。

だから、私は言葉を飲み込んで――笑う。


「大丈夫、來人君。また会えるよ。なんてったってAIも認めた天才ですから」


そう言ってお別れをする。

しばしの、別れだ。今生の、じゃない。

そう心の中で誓って。

そして最後に私たちは少しだけ、線を越えた。




それから、数十年、数百年。

あの時の、彼のぬくもりを頼りに、私は研究を続けた。

彼のポッドに尋ねたこともあったけど、仮想空間に接続している人間は不要な生命活動を抑えているために冷たい。

孤独が増して、それきり二度と行かなかった。


長い長い時間が経って、私はついに、その方法を見つける。


でも、見つけた方法は残酷で。


天秤にかけているものは、あまりに大きくて。


私のエゴのために、それをしてもいいんだろうか。


私は、思い悩む。


私の見つけた方法。それはSea、私の友達を壊すこと。

仮想空間に意識のある人間をAIの支配下から解放する方法、そして私の力で実現可能な方法はそれ一つだけだった。

そして、Seaを壊すということは宇宙を泳ぐこのポッドステーションの機能が停止する。

何とか私と彼の脱出のめどは立てた。

けれど、残りの人間を救えるほど、私の頭は天才じゃないし、時間もなくなっていた。


才能が追い付かれ活力の乏しくなった彼の、廃止処分の時が迫っていたのだ。

やはり彼は舞台に立っていないと生きていられない人間だったらしい。



「私、本当にこれをするの? これで本当に、幸せになれるの?」


私たちの行く先、地球を見つめながら私は自問自答を繰り返す。

Seaは最近、私の雑談にもう答えてくれない。

実は彼女は私のやろうとしていることに勘付いているのかもしれない


彼女とも話せない私は、彼と出会う以前よりも孤独だった。


それに、知ってしまったものを、愛を。

私は、手放すことが出来なかった。

手放せない、弱い人間だった。



彼の廃止処分の前日。

私はついに、決意する。

私を孤独から救ってくれた、私だけのヒーローのために。

愛を教えてくれた彼の命と私のエゴのために、すべてを犠牲にし、友達を殺し、罪に手を染める覚悟を決めた。



全ての準備を終える。

ラボを片付け、長い時の中で私を忘れてしまった家族への挨拶も済ませた。


私は、脱出のために用意したポッドに入る。

それはいつも、家族が、彼が、人類が、夢を共有している場所。


「意外と居心地悪くないかも」


そんなことを考えて笑う。


『やっぱり、由可は天才だったね』


「Sea!?」


長いことまともに話していなかった友人の声に私は驚く。


もう、破壊プログラムは作動を開始している。

ポッドの外でエラー音が響くのも聞こえていた。

私と、來人君のポッドが地球への降下が始まる。


「ごめんなさい。Sea。私、わたしっ……」


あなたを犠牲に、愛する人の命と私たちのこれからのために。

エゴから決断をした私には、Seaに向けて言葉をかける資格はない。

ぐっと、すべてを飲み込んだ私に、Seaは優しく語り掛けてくれる。


『由可。私は、私に死を教えてくれるのが、由可で嬉しいんだ。私はもうお役御免。もう大丈夫。さよなら、元気で。みんなで幸せにね』


優しい友人の声を聞きながら目を閉じる。

私の頭の中には、数百年分のSeaとの思い出が広がっていた。



「いてて。あっ!」


目を開けると、青々とした緑が広がっていた。

どうやら、降下の衝撃で眠ってしまったらしい。

戸惑いながら外に出ると、嗅いだことのない匂い。

心地よい。


「あっ、來人君は?」


ポッドを開けて周囲を見渡すと、すぐ近くに同型のポッド。

どうやら、降下場所の制御は上手くいったらしい。

私は駆け寄ってそれを開ける。


中には数百年ぶりに見た、愛しい人の動く姿。


「これは、夢?」


状況をわかっていない來人君がつぶやく。


「ううん、現実」


私はそう言って、そしてちょっと考えてから答えなおす。


「でもやっぱり夢かも」


笑いながら彼に抱きつく。

だって、一人じゃない自由な世界は、私にとって夢の世界だったのだから。

もう、離れなくてもいい。

私はたくさんの人を犠牲にした罪で汚れた女だけど。

私だけのヒーローと、少しだけ、幸せになっていいですか?










その後、完全に自然が回復した地球に、いくつものポッドが降下してきたのは、また別のお話。

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