私だけのヒーローはどこにいるんだ
葵月詞菜
私だけのヒーローはどこにいるんだ
「ああ~カッコいい~もうツクヨ君カッコよすぎる~」
「マヒロちゃんが羨ましすぎる……私と代わって……」
二人の女子高生が机の上に突っ伏して撃沈する。
机の上、彼女たちの間には片方のスマホが置かれ、画面にはとある少女漫画のページが表示されていた。
そう、彼女たちが読んでいたのは少女漫画で、ツクヨ君もマヒロちゃんもその登場人物である。
「こんなヒーロー絶対いないよ~」
「いやツクヨ君がいてももうマヒロちゃんだけのヒーローだからっ……」
「ああ~嬉しいけど羨ましい~!」
友人たちがわあわあ言うのを横目に、
「でも
「戸越君はヒーローという感じじゃないっていうか……あ、でも困った時はちゃんと助けてくれるけど!」
「十分だよ。え、もしかしてこれ惚気?」
「そんなんじゃないってばー」
友人たちの会話が現実へとシフトしていくのを聞きながら、椿は心の中でため息を吐いた。
(ヒーローねえ……)
「ヒーローってやっぱり強いイメージだなあ。ねえ、椿ちゃんはどう思う?」
下手に突っ込むまいと黙っていたのにこっちに振られてしまった。
椿は曖昧な笑みを浮かべて、小首を傾げた。
「うーん? どうかなあ?」
小さい頃テレビで見た戦隊もののヒーロー。少女漫画に出て来るような彼女のために何でもできるヒーロー。
スマホの画面に視線を落とすと、今日も推しは画面越しに美しいスマイルを送ってくれている。毎日元気にしてくれるという意味では、この推しが椿のヒーローだ。
「あれだ、
「ああ~稔君ヒーロー向いてそう」
学年一の美男子の名前が挙がり、椿は表情には出さないものの内心でうげえと思った。
いつも女子の誰かが取り巻いている、にこやかな王子属性の男子。
いや、あれは脳内花畑のふわふわ男子すぎてとてもヒーローとは言えない。むしろ周りの女子たちにちやほやされて、「守る」という立場ではない。
「いや、稔はダメでしょ。ひょろひょろだもん」
上から聞き覚えのある声がして振り仰ぐと、職員室から戻って来た幼馴染のかよがいた。
「ああ~」
「まあ、確かに強そうというよりは弱そう」
「どっちかって言うと王子様、だよね」
友人たちが謎の納得をするのを聞きながら内心で笑ってしまった。ドンマイ。
「でもヒーローってちょっと憧れるよね。私だけのヒーローとかすごい特別じゃん」
「かよちゃんも憧れたことあるんだ」
「ええ? 今でも憧れるよ?」
放課後、かよと昼間の話をしながら昇降口に向かっていた。
「誰か怪しい人に連れて行かれそうになってるとこを颯爽と助けてくれたり……」
誰か怪しい人に連れて行かれそうになっているところに、ヒーローが運よく通りかかってくれれば良いが。ストーカーでないことを祈る。
「今にも死にそうな、窮地に陥ってる時に助けてくれるとか」
「そんな窮地に陥ることある? せいぜいテストがヤバいとか体操服忘れたとかじゃない?」
そうほいほい命の危険に晒されたくはない。そこまでしてヒーローに会いたいとも思わない。
「椿ちゃん、こういう時現実的だよねえ」
「ああごめん」
幼馴染のかよには遠慮なく話してしまう。いつものことなので彼女も別に気にしない。
「そういえば稔がヒーローって話、びっくりしたね」
「ああ、あれはないなって心の中で即答した」
「うん、それは私たちが一番よく知ってるよね」
何を隠そう、学年一の美少年は椿たちの幼馴染なのである。
「そういえば椿ちゃん、小学生の頃稔相手に――あ」
かよが何かを言いかけて、ふと窓の外を見た。
その先は中庭で、花壇のそばに二人の人影が見えた。その内の一人に見覚えがある。
「噂をすれば稔? あいつ何やってんの?」
かよは不思議そうに首を傾げたが、椿は彼の隣に女子生徒がいるのを見て納得した。
「あれじゃない、また告白でもされてるんじゃない?」
特に興味もないので踵を返しかけて――かよに腕を摑まれた。
「椿ちゃん!」
「え、何、どしたの?」
「もう一人いた! 何かごついの!」
「え?」
もう一度窓の外を見た。先程まで校舎で見えなかった陰から、もう一人男子生徒が出現していた。遠目にも何ごとか言っているのが分かる。
(うわあ、修羅場か?)
「どうしよう、椿ちゃん。タカ呼んでこようか」
「いやちょっと落ち着きなよ。どういう状況か分かんないし――」
そう言った椿の視界の端に、ガタイの良い男子生徒が何か細長いものを手にしているのが映った。あれは……。
「かよちゃん、パス!」
「え?!」
かよに鞄を預け、運よく目についた掃除用具入れから箒を一つ拝借して、上履きのまま中庭に飛び出した。
特別運動神経が良いわけではないが、悪くもない。運動はあまり好きではないが。
「だから、何で彼氏の俺じゃなくお前に――」
男子生徒が何か喚いている声が聞こえる。続いて、女子生徒の声。
「マサ君、だから誤解だってば!」
あいつは一体何に巻き込まれているんだろう。早くも溜め息を吐きたくなる。
男子生徒が手に持った竹刀を振り上げた前へ、椿は飛び出した。
「え?」
男子がきょとんとした隙を逃さず、私は箒で彼の竹刀を綺麗にすっ飛ばした。
しっかり握っていたはずの竹刀が吹っ飛んで、男子はもちろんその場にいた他の二人もポカンと椿を見た。
ダン、とわざと音を立てるように箒を地面について男子生徒を見上げる。
「ただの脅しにしても、竹刀をそんなふうに使っちゃだめでしょ。どこかの剣道馬鹿たちにボコられるわよ?」
我が家の剣道馬鹿たちを思い出して言ってやる。ボコると言っても、きっと正当な一本勝負でコテンパンにやられるだろう。
男子生徒は急に頭が冷えたようで、一歩下がって頭を下げた。
「すいません!」
「いや別に私に謝られても……」
困ってもう一人の女子生徒を見ると、彼女ははっとしたように男子生徒に駆け寄った。
「マサ君、ごめんね。もう一回ちゃんと説明するから」
「……ああ、こっちこそ悪かった」
二人はそのまま、竹刀を拾うともう一度頭を下げて去って行った。
本当、一体何だったのだ。椿は大きく溜め息を吐いて、残ったもう一人の男子を見た。
「――で、あんたは何をやらかしたの?」
「椿ちゃん!」
稔が感激したように嬉しそうな顔でこちらを見ていた。だからこいつは苦手なのだ。
「ちょっと僕が一緒にいたのを彼氏に誤解されちゃったらしくて……」
「あんた、いい加減にしなさいよ。これで何度目よ」
「ごめん、ありがと……」
本当に反省しているのか怪しい。椿は稔に半眼を向けた。
こんな場面に遭遇したのは一度や二度ではない。なぜ自分がそこにいてしまったのか不運すぎる自分を呪いたいくらいだ。しかし、目撃してそのままスルーするにも後味が悪い。
結果、こうして助けに入ってしまうのだ。
「椿ちゃん! 稔!」
椿の分の鞄も持ってかよが走って来た。椿たちが無事なことを確認してほっとしたように息を吐く。
稔が箒を持った椿をしみじみと眺める。
「椿ちゃんって、たまに武士みたいだよね」
「うるさい。あんたが言うな」
別に椿は父や弟のように剣道を嗜んでいるわけではない。彼らの技を見て育って来たので目は鍛えられているが、いたって普通の女子高生だ。
「稔、あんたはもう少ししっかりしなさいよ」
かよが呆れたように言う。稔は苦笑しつつ「努力します」と呟いた。
「それで何であんたまで一緒に帰ってるのよ」
いつの間にか、ちゃっかり稔まで帰路についていた。彼はかよと同じ商店街に住んでいるので方向は同じなのだが、しかしなぜ。
「いいじゃん。また変なやつに絡まれるかもしれないし」
「今度は助けないわよ。自力で何とかしなさい」
「ええ~椿ちゃんは僕のヒーローなのに~」
ピタリと椿の足が止まる。横でかよが苦笑を浮かべているのが分かった。
「かよちゃん、今の聞いた? 何で私があいつの……!!」
「普通逆だよねえ」
「あいつが私のヒーローだなんて真っ平御免だけどね!」
イライラする椿を宥めるように、かよが肩をポンポンと叩く。
「椿ちゃんはほら、小学生の頃からあいつの王子様だったから……」
「!」
かよが懐かしいを通り越して恥ずかしい過去を引っ張り出してきた。
小学生の頃、椿が王子様役、稔がお姫様役の劇をしたことがあったのだ。
稔の顔がなぜか輝く。今は王子のようなスマイルだが、椿は全然ときめかない。
「わあ、懐かしい話だね。今でも写真あるよ」
「……あんたがものすごく美人で学校中で話題になったやつでしょ」
弟にまで「あの相手の姫役誰?」と聞かれた始末だ。
「まあ稔が椿ちゃんのヒーローになるにはだいぶ大変そうね……」
かよがもう一度溜め息を吐いて、
「かよちゃん、そんな未来は来ないわよ」
椿が速効でツッコみ、
「そうだね。椿ちゃんが僕のヒーローだもんね」
稔が馬鹿なことを言い出すので、椿は思い切り彼の背を引っ叩いた。
「痛った!」
椿は大きなため息を吐いた。
私だけのヒーローだなんて、とても現れるとは思えなかった。
それ以前に、危うく自分が稔のヒーローになりかけている次第だ。
(私のヒーローはやっぱり推しで十分なのよ)
ポケットの中のスマホを思い出して、苦笑した。
私だけのヒーローはどこにいるんだ 葵月詞菜 @kotosa3
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