最終話
比垣がここまでいっきに話すと、スタジオ内は静かになっていた。『朝まで生テレビ!』の放送中はだいたい騒がしく、怒号が飛び交うことも珍しくない。十人近くいるパネラーがすべて口を閉じているのは稀なことだった。
傷痍軍人にかんする話はセンチシブで考えさせられることも多い。パネラーたちもいろいろ思うところがあって口を開きあぐねいているのだろう。
いずれにせよ生放送中にみなが黙っているのは番組として問題がある。僕はMCの役割を果たすべく比垣に話を振った。
「その三井さんって方は警察に連れていかれからどうなったのかな? 逮捕されてしまった?」
すると比垣は、わかりません、と首を横に振った。
「警察沙汰になってしまいましたから、さすがにもう駅前にいけませんでした。だから、以後は三井さんと会っていないんです。その後もあの駅前で寄付を募っていたのか、それとも別の場所に移動してしまったのか、あれからどうされたんでしょうね……」
僕は複雑な顔をする比垣に尋ねた。
「しかし、あなたは詐欺行為に加担させられたわけだ。三井さんを恨んでいる?」
「いいえ、恨んではいません。あれは確かに詐欺行為でした。でも、両足を失った三井さんにとっては、唯一の生きていく術でもあります。仕方ないという言葉を使うのが適切かわかりませんが、やはり世の中には仕方のないこともあると思います」
それに、と比垣は冗談ぽっく笑って続けた。
「僕の被害といえば父親に頭をぶたれたくらいです。三百円もお駄賃をもらっていたわけですから、そのくらいは取るに足らないことです。三井さんを恨む理由はありません」
ここで他のパネラーが、それで、と話に入ってきた。初老の男性パネラーだった。
「君がその三井さんの話をした意図はなにかな? 憲法第九条の改正反対を暗に示している考えていいのかい?」
男性パネラーがそう問うのはもっともだった。
さっき僕は比垣に憲法改正に賛成か反対かを尋ねた。しかし、彼はそれにはっきりと答えないまま傷痍軍人である三井の話をはじめている。ゆえに賛成であるのか反対であるのか、彼の意思が未だに示されていないのだ。
男性パネラーの質問はそこに言及したものだった。
しかし、傷痍軍人は戦争の負の部分だ。それをわざわざここで取りあげてみなに語ったのだから、憲法改正に反対、ひいては戦争にも反対の意思があると考えて間違いないだろう。
実際に比垣は僕が勘ぐったとおりに、反対です、と今度こそ明確に意思を示した。
「僕みたいに戦争を経験していない世代の者が、戦争を知る一番の方法は、戦争を経験した方に当時の話を聞くことです。僕はノンフィクション作家の端くれなのですが、戦争を扱った作品を書くこともまま多くて――」
比垣ははその過程で何人もの戦争経験者に取材してきたそうだ。その数は実に三十人以上にのぼるという。
「その中のひとりとして戦争に賛成する人はいませんでした。みなさんがはっきりと反対を示されています。経験された方が全員反対するんですから、戦争がどういうものかは考えるまでありません。
すると、憲法改正賛成派のパネラーたちが、比垣の意見に反論を唱えた。同盟国との外交問題や昨今の世界情勢、専門的かつ政治的な話が比垣に向けられた。
比垣はそれを黙って最後まで聞いてから持論を口にした。
「外交問題や世界情勢などを考慮するのも大事だとは思います。でも、もっと簡単に考えてもいいんじゃないでしょうか。さっきもお伝えしましたが、戦争を経験された方が、全員戦争に反対されています。それがどういうことか、簡単に判断できませんか?」
比垣の話を聞いているうちに僕はようやく気がついた。比垣が三井の話を持ちだした理由はそういうことか。
「あなたにとっての三井さんというのは、はじめて話を聞いた戦争経験者なのか」
僕がそう言うと、比垣は、ええ、と頷いた。
「ただ、三井さんにだけは戦争に賛成か反対を訊けなかったのですが」
「それはそうだろうが、まさか三井さんは賛成しないだろう」
ですね、と比垣は神妙な顔をすると、一呼吸おいてこう話をはじめた。
「三井さんは戦争ですべてを失いました。奥さんも娘さんもご両親も。だから、あの人はきっと空っぽでした。今になって思えば偽物っぽかったり現実味がなかったのもそういうことだったのでしょう。両足まで失ったうえに孤独だったあの人には、僕では想像できない苦労があったはずです。戦争というのはそういうものです」
ここで比垣はパネラー全員に視線を巡らせた。
「みなさんはいかがですか。三井さんみたいなことになっても平気ですか。僕は平気ではありませんから、憲法第九条の改正には反対します。難しい話もいろいろとあるのでしょうけれど、戦争でなにかを失うのは虚しいことです。三井さんのようにひどい苦労をする人をもうださないためにも、日本は今までどおり戦争にかかわってほしくないですね」
当然ながら憲法改正賛成派のパネラーたちはその話にも反論した。まさに火を噴く勢いの反論だったのだが、比垣はそれを黙って聞くばかりで、これといってなにも言い返さなかった。
それからしばらく番組の生放送が続き、朝の四時半頃にカメラが止まった。スタッフが放送終了を伝えるとパネラーたちがスタジオを出ていく。僕はその中に比垣を見つけて声をかけた。
「比垣さん、あなたの話はおもしろかった。戦争経験者が全員反対している。それがどういうことか……単純ではあってもそれが真理だと思う」
それからこう続けた。
「また話を聞いてみたい。オファーしたら番組に出てくれるかな?」
「ああ、いえ、それはもうちょっと……」
比垣は苦笑いした。
「僕は人前に出るのが苦手です。緊張するので番組へとの出演は勘弁してもらいたいです」
おそらく彼は番組出演をしつこく依頼しても首を縦には振らないだろう。
僕は早々に諦めてこう告げた。
「そうか。それは残念」
ただ、番組への出演は叶わないとしても、比垣に一人間として興味が湧いた。どことなく人を惹きつける魅力のある男だ。
僕は放送終了後のその会話の中で比垣とお互いの連絡先を交換した。そして、それから十年経った今でも個人的に交流を続けている。電話やメールで公私のやりとりをしたり、お互いの時間が合えば食事をすることもある。
以前に安くて
「今さらの質問ですけど田原さんは戦争を経験されている世代の人ですよね?」
「そうだね。経験した世代だ。ただ、戦時中の僕はまだ幼い子供だったから、兵員としては参加していないけどね」
「田原さんが幼い子供ですか……なんだか想像できませんね」
「誰にだって子供時代はあるだろう?」
僕が笑うと比垣も笑った。
「当時の男児はほとんどが軍国少年でね、僕も例外ではなかったんだ。特攻隊員として戦闘機に搭乗して、敵の軍艦に突っこんで華々しく死にたいと思っていた」
比垣は、へえ……、と相槌を打っただけで、そのあとは戦争にかんしてなにも言及したなかった。ここのもんじゃ焼きはやっぱり旨いでしょ? とたわいのない話をするばかりだった。
しかし、なぜかそのときの僕は彼にこう言われている気がしてならなかった。
戦争を経験した世代ということであれば、それをちゃんと後世に伝えてください。特にあなたはジャーナリストなんだから、その義務をしっかり果たしてくださいよ。
もっとも、比垣にはそんなつもりがまったくなく、僕の単なる思いすごしかもしれないが。
そんなことがあったからというわけではないのだが、僕の戦争経験は後世にしっかり伝えるべきだと思っている。戦争未経験者に戦争を知らしめる一番の方法は、戦争経験者が当時の話を語り聞かせることだ。
今日の『朝まで生テレビ!』の放送でも時間を割いてそれを話すつもりでいる。憲法第九条が討論テーマである放送である日こそ、僕が直接目にした戦争を語る価値があるはずだ。
とはいえ、僕は番組のメインMCを務めている。憲法改正の賛成派と反対派のどちらの意見にも耳を傾け、中立の立場からどちらの意見も尊重しなければならない。賛成とも反対とも示さずに、過去の戦争経験を粛々と語るだけだ。
ただ、ずっと昔のおもしろくもない戦争体験を長々と語るとなれば、退屈した視聴者から老害など厳しく批判されるに違いない。しかし、真実を世に広めるのはジャーナリストの本分であり本能だ。
――年寄りの長話なんか聞きたくもない。
――もう隠居して黙ってろ。
世間からそういった非難の声があがるのを容易に想像できるが、現役の老兵に口を閉じろと言われてもまだ無理というものだ。
僕たるもの沈黙せず 烏目浩輔 @WATERES
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