第2話

 翌日も比垣は駅前に足を向けた。


 すると、真っ白な服を着た三井が昨日と同じ場所に座っていた。痩身と丸顔は三井と顔見知りだったらしく、笑顔をみせて彼に話しかけている。おそらく、女のどちらかが買ったものだろうが、三人の手には食べかけのたい焼きがあった。


 比垣は昨日と同様に少し離れたところから三井を観察した。三井は女ふたりに優しい目を向けていたが、比垣にはその目がひどく嘘くさく映った。偽物じみていて白々しくて空っぽの目だと感じた。なぜそう感じるのかは比垣自身にもわからなかった。


 しばらくしてどこからともなく現れた中年男が丸顔に話しかけた。丸顔はその男と一言二言話をしてから、ふたりで腕を組みつつどこかに歩いていった。

 それをぼんやり見送ったあと、改めて三井のほうに目をやってみる。すると、痩身が比垣に手招きしていた。比垣がここにいると今になって気づいたようだ。


 痩身のところまでいくと、たい焼きをひとつくれた。

「ちびっ子、今日もきてんな」

 うん、まあ、と比垣は頷いた。

 痩身がどんぶりをチラリと見たので比垣も目をやった。どんぶりの中には三百円が入っていた。

「その旨くて高価なたい焼きをあげた代わりに、三井さんを手伝ってやってくれへんか?」

 なにを手伝うのかと思っていると、三井の隣に座っているだけでいいという。


 そんなことがなにかの手伝いになるのかと疑問に思ったが、実際にそうしてみると子供なりに手伝いの意味を理解した。


 しばらくして痩身も丸顔と同じように、男と腕を組んで人混みの中に消えた。すると、そのあとすぐに初老らしき男が三井の前に立った。スーツを着た品の良さそうな男で、比垣を一瞥してから三井に尋ねた。

「その子は君の息子か?」

 三井は躊躇なく、ええ、そうです、と応じた。比垣は驚いて三井を見たが、彼はこちらを見なかった。

「その身体で子供を育てるのは大変だろう。少ないが生活の足しにしてくれ」

 初老の男は五千円札をどんぶりに入れて立ち去った。


 比垣が隣に座っているだけで同情を誘い、ひいては人々からの恵みも増える。痩身が口にした手伝いというのはそういう意味だった。


 同時に人の善意につけこむ良くない行為だとも自覚した。それを躊躇なく行った三井に軽い嫌悪も覚えだが、お駄賃を貰うとそんなことも綺麗さっぱり吹っ飛んだ。

「君のおかげで大金を恵んでもらえた。これはお駄賃だよ」

 言いながら三井は比垣に三百円玉を握らせた。一日のおこづかいが五十円だった当時の比垣にとって三百円は大金だった。


 それから三井は再び老人のごとく背中を丸めて俯き加減になった。やはりしかかってくる重いものに耐えているかのようだ。だが、なんだかそれも偽物っぽかった。三井には中身がなくて空っぽのようにも感じた。


 また、彼はそうやって座っていながらも、意外と口数が多いタイプだった。

「君の名前を教えてもらってもいいかな?」

 比垣が名前を伝えると、三井は、比垣くんか、と頷き、いろいろと話をした。

 三井は子供が観るようなテレビ番組なんかにも詳しくて、この特撮ヒーローはどうだとか、あのロボットはどうだとか、笑顔を交えながらあれこれ話をした。


 それから彼は自分の境遇も苦しげな顔で語った。妻と娘がいたのだが怪我を負って戦争から帰ってくると、しょうだんの炎と熱に焼かれて死んだと知った。両親はかろうじて戦火を生き延びたものの、戦後の貧困から飢餓によって亡くなった。


 だが、饒舌にものを語っていても、三井はやはり偽物っぽいのだ。テレビ番組の話をしているときの笑顔も、自分の身の上を話しているときの苦しげな顔も、お面を被っているように現実味がなかった。


 比垣は三井が本当に存在しているのかよくわからなくなった。真っ白な服を着ているうえに足もないため、幽霊のようなおぼろげな存在に感じたのかもしれない。なんだか堪らなくなって、そっと三井の腕に触れてみた。


 三井は首を傾げて、なんだい? 尋ねてきた。比垣は、なんでもない、と答えた。

 そっと触れた腕には体温もあったが、それでも三井には現実味がなかった。


     *


 それからも比垣はほとんど毎日駅前を通って下校した。三井から貰う三百円のお駄賃が目的だった。駅前に寄るぶん帰宅が遅くなるが、比垣の両親は共働きだ。五時近くまで駅前にいて家に帰っても両親はいないことが多く、いたとしても友達と遊んでいたと嘘をつけばそれを信じた。


 下校のさいに駅前に寄ると三井は必ず定位置に座っていた。だが、痩身や丸顔はいないときもあって、丸顔のほうはある日を境にまったく姿を見せなくなった。

 比垣は痩身になぜ姿を見せないのか訊いた。

「遠くに引っ越したんや。だから、ここにはもうえへん。仲のいい子やったから寂しいけど、まあしゃあないわなあ……」

 痩身の悲しげな顔は本物っぽかったが、その話を聞く三井の悲しげな顔は、相変わらず偽物っぽくて現実味がなかった。


 駅前を通って下校するようになってから二ヶ月ほどが経った頃だ。

 比垣ははいつものようにお駄賃目的で三井の隣に座っていた。痩身の女はすでに男とどこかに消えていた。


 すると、制服を着た警察官ふたりが、三井の前に自転車を停めた。ひとりは恰幅のいい初老らしき警察官で、もうひとりは細身の若い警察官だ。

 ふたりの警察官は自転車をおりると、三井を見おろすようにして立った。

 初老のほうが比垣を一瞥して、背中を丸めた三井に尋ねた。

「その子は君の息子か?」

 いつもはそうだと答える三井がそのときは否定した。

「いいえ、違います」

「しかし、君はその子を息子だと言っているようだが?」

 三井は、はい、と短く答えた。

「そうか。隠すつもりはないのようだな。話を聞かせてもらいたい。署まできてもらえるかな?」


 まもなくして駅前に赤色灯をぎらつかせたパトカーがやってきた。三井は両足に義足を取りつけて立ちあがると、がたがたとした足取りでパトカーに乗った。比垣もそれに続いた。


 警察官の話によると駅前にある店舗の従業員がこう通報したようだった。関係ない子供を息子だと偽って、傷痍軍人が不正に寄付を募っている。

 それは詐欺行為にあたるとのことで、歴とした犯罪行為である。だから、警察官が三井のもとにやってきた。


 三井も比垣も警察署であれこれ聞かれて、とりわけ三井への尋問は厳しかった。まもなくして比垣の両親が比垣を迎えてにきた。両親はひどく比垣を叱って父親には頭をぶたれたが、家に帰ると祖父が比垣をねぎらうように優しく言った。

「大変だったな」

 祖父も三井ほど重度ではなかったが、戦争で負った怪我に苦しんでいた。銃で撃たれた右腕をうまく動かせないのだった。





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