わかちゃんの命の重みが、温かさとともに伝わってきました!
「帰るね」の声掛けにウルウルするなんて……わかってるんですね。自分に素敵なおばあちゃん、おじいちゃんがいるってこと。まだ一歳なのに、なんて賢い子でしょう(*^^*)
緋雪さんの旦那さん、「胃が痛くなる」って(笑)
それほどドキドキワクワク、緊張の一瞬だったんだろうなあ。じいじの心臓の音が伝わって、わかちゃんはたくさん動いていたのではないかしら。
どの人にとっても待望の、一生に一度の幸せな「初めて」でしたね♡
ずっしりとした重みが、幸せの重みですね!
次の機会にはまた、その重みが増えていますね(´▽`*)
作者からの返信
こよみさん、コメントありがとうございます。
「命の重み」。まさに。
「帰るね、またね」に反応して、本当に涙をウルウルためるんですよ。帰れないじゃないか!(笑)。
パパ、ママの時にも泣くらしいんですけど、私たちのときも?
じいじ、ばあばが、ちゃんとわかってたのかもしれませんね。
夫、わかちゃんがお世話されてるのを見てる時から、胃が痛いって言ってました。相当緊張してたんでしょう。
でも、抱っこのときは、本当に嬉しそうで、無理にでも抱っこさせて良かったなあと思いました。
相手が、子供でも、赤ちゃんでも、ちゃんと気持ちや、案外言葉も伝わっているんだろうなと思います。
ホントに、ヘビー級の幸せでした(笑)。
次回、持てるかしら??💦
ありがとうございました(*^^*)
遅くなりました!
改めて、わかちゃん!
一歳のお誕生日、おめでとう!
シンさん、まゆさん、パパ&ママになって一年、おめでとう!
じいじ、ばあば、初抱っこ、おめでとう!
あんなに命が尽きるのではないかとハラハラして過ごしたのが嘘のような成長ぶりに、わかちゃんの生命力の強さを感じます。
そして可愛いワンピの似合う女の子ですね。
抱っこされた時、別れる時、わかちゃんに出来る意思表示をちゃんとしてくれるのは嬉しいですね。
まだまだ一歳、二歳になったらどんな女の子になっているのでしょう。
昨日行った農園のお土産コーナーで、農園のイチゴのスライスを樹脂で固めた可愛い髪ゴムがあったんですよ。
これを孫とわかちゃんに買って来たかった!
さて、「可哀そう」という言葉、私も嫌いです。
義母がテレビとか見ていて気の毒な映像で必ず口にするので、(そのことに寄り添う気持ちの表明だとは思うのですが)そのたびにむっとしてしまします。
その言葉で思考がストップしてしまう気がするんです。
「可哀そう」と思うなら、その先何ができるか考えたり、どうすればいいか模索したりそこまでしてほしい。
私事ですが
私は超未熟児で生まれて、わかちゃんのように命を心配されていました。
保育器に長く入っていて弱視気味です。
(当時保育器で失明した子どももいたと聞きました)
子どもの時は「可哀そうに」と言われましたが、生まれた時からこの視力なのでこれが普通。
裸眼で遠くが見える状態を知らないので、困った事とも思いません。
でもコンタクトレンズやメガネの薄型レンズの登場はありがたいと思います。
この先わかちゃんの成長とともに出てくる問題に社会がちゃんと追いついて、新しい技術やたくさんの選択肢が出てくるといいなと思います。
最後に、夫様。
ぷにぷに赤ちゃんの抱っこが出来て、よかったですね。
あの小さな命を託されたような感じは特別ですものね。
作者からの返信
つむぎさん、コメントありがとうございます。
沢山のおめでとうもありがとうございます(*^^*)
ホントに、あれだけハラハラして、泣くこともできないくらい緊張して、娘も体調を崩し再入院し、どちらにもコロナのせいで会えないと言われ、祈るしかできなかった日々を思い返せば、今は本当に平和な日々だと思います。
わかちゃんには大きな障害が残ってしまったけれど、それでも、ほんのちょっとずつでも成長しているし、そのことが、娘夫婦の幸せにも繋がっています。
そうなんですよ。ちょっとだけだけど、意思を見せてくれるようになって、それがまた嬉しくて。
私達が、帰るねって言ったときに涙をためてたときには、もー、帰れん! とか思いましたもんね(笑)。
私も娘も「可哀想」って言われるのは好きじゃないです。相手に悪気はなくても。
私の母が、私や娘に対して、すぐに可哀想って言うんです。
つい先日も、娘とその話を電話でしていて、「いや、別に可哀想とか思っていらんし」と、娘。「そうやんね、どんな環境でも生きていくっていうんは、皆一緒やし」と、私。
誰かに同情する人って、自分がその人より「幸せ」だと思ってるんじゃないかな。幸せって、相対的に決まるものではなくて、その人にとっては絶対的なものなんですよね。だから、他人が決めるものじゃない。「可哀想」って思っている人は、「自分と比べて」「可哀想」って思ってる時点で、相手を下に見てるんですよね。それはとても失礼なことだと思います。
つむぎさんも弱視気味だと、前にも仰ってましたよね。眼鏡やコンタクトである程度は矯正ができるのですね。
うちの夫も生まれつき左耳が聞こえません。それでも、今は骨伝導のヘッドホンで両耳で音楽を聴けたりしています。
そんなふうに、技術も社会も発展をしていっているのですから、わかちゃんのこともこの先、いろんな物が、いろんな制度が、彼女の支えになってくれると思います。
長くなりました💦
何より、今は、夫が「じいじ」として孫の重さを楽しんでいることが、私の幸せです(*^^*)
ありがとうございました♡
編集済
緋雪様、
もう、一歳児がどのくらいの重さだったかは思い出せない私です。私は生まれた時からかなりデカかったので、親戚のねいちゃんから、「fumiyaは重すぎて、農繁期に子守させられるのが嫌だった」言われてました。
わかちゃん、祖父祖母もわかるんですね。その上、愛されているのも感知できて、意思表示もできる。素晴らしいですね。障害児というか、障害を持っておられる方達は、人類の多様性を表す現象の一部であり、ある確率で起こりえる事実であって、緋雪様が、以前書かれた様に、隠す必要もない事だと思います。生まれてきてくれてありがとう、生きていてくれてありがとうと言えるお子様とお孫様がおられる事はかけがえのない事でしょう。多くの人間は、見た目が違うだけで、偏見を持ってしまうでしょうが、今は亡くなった英国の物理学者、スティーブン・ホーキンズ博士の様な、車椅子どころか、話すのも難しい程の障害を持っていながら、ニュートンの後を継ぐ教授席を授かっていたほど優れた知能持つ人もいます。彼の残した功績に対して、私を含む1000人の平均的な科学者と自負する者の功績を束ねても敵わないと思います。彼程の知能がない障害者であっても、持って生まれた能力を活用して頑張っている人達は、健常者と呼ばれる怠け者の私に、勇気も与えて貰えてくれますし、温かいものを心に感じさせて貰えます。障害者が外に出て行くことによって、その為のインフラ整備を始めた米国で、例えば、車椅子にために歩道の段差をなくす工事が進んだら、実は、それは高齢者の為にもなったと分かりました。多様性に適応するのは、人間社会全体を持ち上げる事になり、最終的には、地球全体に為になると信じています。
最後に、お孫さんのお写真と共に、ご成長の過程と、お喜びを共有して頂きありがとうございます。わかちゃん、よくやった!これからも、宜しく!です。(勿論、ご両親も、祖父祖母様達にも。)
追記:相変わらず、誤字が目立ちます。申し訳ありません。日本語を忘れているのと、目が悪くなっているのもこれに貢献してます。
ニュートンにアインシュタインと、アスペルガー症候群なしで、現代物理は語れません、もう1人、量子力学の発展に大きく貢献したポール・ディラックという物理学者もいます。物理学者ではありませんが、アップルのスティーブ・ジョブズ、テスラのイーロン・マスク等も。こういう人達の陰で人類は生き残り、進化してきたのだと思います。多様性は児類生き残りの得策だと思います。
作者からの返信
fumiyaさん、ご丁寧なコメントをありがとうございます。
そうですか、fumiyaさんも大きい赤ちゃんだったんですね。抱っこが大変だったかもしれませんね(*^^*)
難しいことは余りよくわからないのですが、障害者もある割合で生まれてくることは事実ですし、それがたまたま我が子だったというだけで、何も恥じることはないですよね。みんなそれぞれ違って当たり前ですし。
ホーキング博士がどれくらい天才だったのか、私には計り知れませんが、「障害」が「天才」を作り出すことがあるのは、よく知られていることです。例えば発達障害にあたるアスペルガー症候群の人たちや、サヴァン症候群の人たち、彼らの中には様々な方面において、実に天才的な能力を持っている人が多いことは有名ですよね。
そういう「目に見える」才能を持つ子もいれば、「一緒に居るだけで癒やされる」という、「目には見えない」才能を持つ子も沢山います。
でも、そんなもの見つからなくても、惜しみなく愛情を注がずにはいられない、最高の「愛される才能」を持っているのが、子供であり、孫であると思います。そこに障害のあるなしは関係ありません。
そうですね。障害者がどんどん社会進出していく中で、彼らだけでなく、皆が幸せになっていけば嬉しいです(*^^*)
わかちゃんへのお祝いの言葉をありがとうございました。
緋雪さん、こんにちは😊
改めましてわかちゃん1歳のお誕生日おめでとうございます💐
生まれてくる子に優劣はありませんよね。
みんな可愛くて親は一生懸命育てているんです。
私にも孫が8人おり、今までカクヨムで話したことはありませんが発達障害の孫と統合失調症の孫がいます。
でも親は特別感や悲壮感は全くなく他の兄妹と同じように育てているので、私も気にしていません。
どの孫も皆同じく可愛いです。
わかちゃんを抱っこした、緋雪さんとその旦那様の様子にウルっと来ました。
>「わかちゃん、帰るね。またね」
そう言うと、じわぁっと涙ぐむわかちゃん。
うわぁ、ここでもまた泣けてきます。
可愛くっていじらしい!
じぃじとばぁばが来てくれたことちゃんとわかってくれているんですね。
ほんと帰れないよぉ(´;ω;`)ウッ…
>こういう病気があって、こんな風に頑張っているんだよ。
という発信をしたい自分もいて。病気や障害への理解を高めて欲しい気持ちもあって。
緋雪さんの複雑な気持ちのすべては理解できないかもしれないけど、回りの理解を高めてほしい気持ちは私も一緒です。
勇気のある発信、ありがとうございます。
ほんわか温かさが伝わる素敵なお話でした。
有意義な2日間でしたね。
そしてお疲れ様です。
作者からの返信
のこさん、コメントありがとうございます。
わかちゃんへのお祝いの言葉、ありがとうございます😊
そうなんですね。のこさんにも、そんなお孫さんがいらっしゃいましたか。
でも、親としては、そして祖父母としても、そんなことは関係ないんですよね。その子その子に合った育て方をしているだけなんですよね。
どの子も可愛いです。ホントに。
私も、夫が、わかちゃんを愛しそうに抱っこして、手のひらでポンポンってしてるのを見て、うるっときました。
そして、帰るよって言ったときに、わかちゃんが涙をためていた時も。
……孫って可愛いですねえ、のこさん♡
同情されるのは嫌だけど、情報は発信したいっていうのはワガママかもしれません。でも、こういう病気が、こういう障害があるんだよって皆に知ってもらうだけでも、社会は少し優しくなっていくんじゃないかと思います。
のこさん、ありがとうございました(*^^*)
こんにちは。
『彼らの毎日は、ここにあって、ただ一生懸命なだけ。他の子供を育てているパパママと一緒で』
本当に、その通りだと思います。
親戚にいわゆる障害児がいますが、正直、その子が生まれるまでは、恥ずかしながら別の世界に生きる人間なのだと思っていました。でも実際は同じ場所で同じ様に生きていて、精一杯周りと関わりながら日々生活しているのですよね。
改めて、わかちゃん1歳おめでとうございます。
元気に大きくなりますように!
作者からの返信
幸まるさん、コメントありがとうございます。
私は、父が心臓病で身障者1級だったりしたのもあり、また、通っていた学園内に養護学校があったのもあり、障害者は、そんなに遠い存在でもありませんでした。
それでも、長女に重度の知的障害があるとわかった時は物凄くショックでした。
だけど、それでも、日々、生活していかねばならないんですね。
娘の世話で、他の親御さんとはちょっと違う時間ややり方があったとしても、それは本当にデイリーなことで、何も特別なことではないんですよね。わかちゃんについても、同じことが言えると思います。
だから、腫れ物に触るような感じで言ってきてほしくはないかな、と思います。
わかちゃんへのお祝いの言葉、ありがとうございました(*^^*)
緋雪さん、お疲れ様です。
旦那さまの心情を思うと、もうなんかそれだけで目頭が熱を持ってしまって……。
本当に感慨深いものだったと思います。
たぶん何度もわかちゃんの重みをその腕の感触を思い出されているのではないでしょうか。
緋雪さんと旦那さまとの幸せホクホクの帰り道が想像できました。
でもまずはしっかりとお疲れを取って健康管理してくださいね。
作者からの返信
那智さん、コメントありがとうございます。
夫に、父親の初めての感覚を味合わせてあげられなかったので、ずっと残念に思っていたのです。
だから、じいじとして、初めて孫を抱く感覚を知って欲しかった。改めて、この子は自分の孫なんだなあって実感して欲しかったんですね。
帰り道も、いつも通り、幸せホクホクでしたよ(笑)。
それはまた次回のお楽しみに(*^^*)
はい💧疲れをキッチリ取るために、寝ようと思います。
編集済
わかちゃん、なんて じぃじ&ばぁば思いの子なのでしょう!
日中でも寝ていることの方が多い呼吸器のお子さんもいます。わかちゃん、じぃじ&ばぁばのいる間、頑張って起きていたのですね! そして、帰り際の涙顔……。わかちゃん、これからもばぁばを笑顔にするためにも、生きてくださいね。
作者からの返信
結音さん、コメントありがとうございます。
その灯火が消えてしまっていたかもしれない命でした。
助かって、本当によかったです。
わかちゃんは昼間起きていることが多いようです。
会いに行った時も、丁度体を拭いたりするので起きていた時間でした。
帰り際、涙をためて、ウルウル。
私もウルッときました。
また会いにいきます!
障害があってもなくても、子供や孫は可愛くてたまらない存在なんですね。
当たり前のこと、何をか言わんや、です。
娘が学生時代に重度の知的障害者のボランティアをしていました。
身体や知的や精神的な障害者の方も何人も。
そして卒業後に障害者ご夫婦のご家庭にも、ヘルパーとして働いたこともありました。
重度の知的障害者のお宅では、障害のある娘さんEちゃんを中心に、どれほど大切に思っているかが伝わって、自分にできるお手伝いをさせてもらいたいという気持ちがより強くなったと。
そしてヘルパーの仕事で行ったご夫婦のところでは、下半身麻痺のご主人が腕の力だけで、奥様を抱き上げて入浴させている姿に、頭の下がる思いがしたと話してくれました。
障害について全く無縁で無知だった私は、何でもない当たり前のことと思って接する娘に、どれほど学ばせてもらったことかと思いました。
わかちゃんは緋雪さん達に愛されるために生まれて来た大切なお子さん。
家族の皆が全力で守り合いしているEちゃんと、わかちゃんが同じなんだなぁとしみじみ思いました。
作者からの返信
ローバさん、コメントありがとうございます。
親や祖父母にとっては、障害のあるなしは関係ないですよ。
娘夫婦は、わかちゃんを二人で一生懸命育てています。それは障害児も健常児も同じことです。
障害児が可哀想。障害者をもった家族が気の毒とか、思ってないですか?
可哀想とか気の毒って、失礼な感情だと思うんですよ。その言葉の裏に、うちはそうじゃなくてよかった、っていう気持ちがあるから出てくると思うので。
私も上の娘が重度の知的障害を持っていますが、それは、彼女の個性だと捉えています。できないことを除けばできるので。大して困りません。
どんな子供も愛されるために生まれてきます。
それは、皆おなじことだと思います(*^^*)