「夢」のお話

 夢ねえ…。


 小さい頃、何になりたかった?


 何になりたいか自分が気付く以前に、

「ひーちゃんは、先生になったらええんや。賢いんやから」

って、私を育ててくれたおばちゃんは言った。


 母は仕事が忙しく、私はおばちゃんと祖母に育てられたようなものだ。おばちゃんが何故うちに来ていたのかは知らない。祖母が食堂をしていた時に、手伝ってくれていたような話だったかもしれない。私には今でもよくわからないけれど、おばちゃんは、私の育ての母だ。


 その人に、私の「夢」は決められた。

 私は先生になりたいの。



 小学校6年生の春。

 私はいじめの対象になる。


 原因は、健康診断の結果を、、生徒一人一人に渡して歩いたことだ。


たちばな緋雪ひゆき蟯虫ぎょうちゅう検査、ひっかかったから」


 彼は、、そんな恥ずかしいことを、私にプリントを渡した。


 私は、その前に、その結果を自分で知っていたので、母に相談して駆除する薬を飲んでいた。だから、その時点で、私の中に、その「蟯虫」とやらの、、寄生虫など存在していなかったのに。


 一人の無神経な「先生」が、私の人生の大切な時代を滅茶苦茶にした。


 毎日が地獄だった。


 「蟯虫」という言葉は、私の呼び名になった。

 汚いものを触ったあとのように、皆は私に触れたあとの手を他の子になすりつけてバイキン遊びをする。

 私の使ったトイレは使えないので、皆に迷惑そうな顔をされ、ドッヂボールは最後まで当たらない。最後に当たった私は、皆が体育館から去った後、そのボールを片付けなければならなかった。給食の時にお茶当番が回ってくると、皆、お茶を飲まない。

 

 そのうちいじめはエスカレートする。


 上靴がないのは毎日のことだったし、筆箱も隠された。教科書は学校の裏に埋められていた。靴箱に、車に轢かれたのだろうぺちゃんこになった何かの死骸が入っていた。


 クラスに味方など一人もいなかった。


 担任の教師――私のいじめを作り出した教師――に相談すると、彼は信じられない行動に出た。


「橘さんをいじめている人は手を上げてください」



 バカか、こいつ。



 先生っていう職業は、こんなバカばっかなのかよ?

 こんなのが、あたしの「夢」なのかよ?!


 当然のように、ますますいじめは酷くなっていった。卒業生クラス全員で書いた寄せ書きは、私のところが削られ、そんな迷惑をみんなにかけたせいで、もう一度書き直ししなければならず、文句を滅茶苦茶言われた。

 卒業証書を破かれた。私の卒業証書が破かれたせいで、次の出席番号の子の卒業証書にも少しだけ被害が及んでいたようで、彼女は、それを私のせいだと言ってきた。


 泣かなかった。

 もう、この頃には、そういう感覚が麻痺していた。



 そんな馬鹿げた「いじめ」は、なんと高校卒業するまで続いた。


 馬鹿ばっかりだな。


 勉強しよ。



 そんな馬鹿は放っといて、勉強しまくって入ったのが教育学部なんて。私が一番の馬鹿かもしれない。


 なんなの? そこまで「先生」になりたかったの、私??



 どうしても反りの合わない、専門学科の教授がいた。同じ単位を3回も落とされた。

 最終レポートを書けば単位をやると言われた。


 書かなかった。


 その単位がなければ、教員免許は取得できない。

 もう、どうでもよくなった。

 そこまでして「先生」になりたかったのかどうなのか、自分で自分がわからなくなっていた。


 (補足的に書かせて頂けるなら、「教師」そのものに偏見を持っているわけではなく、友達をはじめ、いい先生は幾らでもいると思っている。そこは誤解しないでほしい)


 

 卒業後、全く違う業種を選択し、そこで上手くやっていた。

 が、元夫の猛アプローチで、3年で辞めることになる。



 元夫の精神的、経済的暴力。


 私の精神はついに壊れた。



 元夫との別居。離婚するのに7年かかった。


 何も無くしてしまった。

 私には、もう何もない。


 そう思っていた。


 大学時代の親友が心配して連絡をくれた。何もなくなった私でも、「そんなこと気にしないで。私は、緋雪ちゃんが好きだから」「そうだよ、緋雪ちゃんは、緋雪ちゃんだよ」「あそこのお店が美味しいの。一緒に行こうよ」

 そんな風に、当たり前に言ってきてくれる親友は、宝物だ。


 大学に行って、「教師」にはならなかったけど、そんなものには代えがたい、ほんとうの友達を得ていたのだった。



 何にもなれなくなった私。


 そう思っていたけれど、何もなくなったときに、一番最後に心の底にポツンと残ったもの。


「書きたい」という気持ちだった。


 

 全然、プロじゃなくてもいい。名前も知られない、顔も出さない。それでも、文章を書く人でいたい。そう思った。


 それが、きっと、ほんとうの、私の「夢」だったんだろうな……。


 病床にありながら、そう思っている。

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