あの海の色

平山芙蓉

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 海を目にすると、嫌でも思い出してしまう。私のたった一人の妹のことを。ただ海という場所を感じたそれだけで。


 例えば、鼻腔を衝く磯の香りが。例えば、頬を撫でる潮気を含んだ風が。海鳥の白い翼がはためく様や、サーファーが波に飲まれる様が。容赦なく降り注ぐ陽光を、何倍にも輝かせる海面が私の網膜を焼く刹那が。打ち上げられた流木、虚ろな陰影が。そして、遠くで波と共に弾ける喜色の声が。


 それでも、脳裏に垂れ流される映像は、いくつもの断片だけ。時間にしてみればたったの数分にも満たない光景が、環状となって私の脳を回る。そして、周を重ねる毎にフィルムは擦り切れていき、最後に環から抜け出したそれは、何十年も前のビデオみたいに汚れた姿で、私の心の隅に捨てられる。


 だから私は、海が嫌いだ。高校を卒業するまで暮らしていた町から見える海は、特に。まだあの子の魂とか、間の抜けた笑い声が、波の隙間に染みついている気がしてしまう。もちろん、そんなオカルト的な話、あるはずがない。分かっている。そう分かっているのに、ここへまた戻ることになったのは、あの子が……、桃子が呼んだからではないか、と考えてしまうのだ。それほどまで、恨まれる理由に心当たりがあり、恨まれても仕方ないと諦めながら、内心で慄きを抑えきれていない。


 式場の裏手にある喫煙所で煙草をふかしながら、私は紫煙に溜息を混ぜた。海の見えることが売りのセレモニーホール。喫煙所からもその青い海は窺える。今日みたいに澄んだ天気の日に葬式なんて、どうにも似つかわしくない。本当に示し合わせたみたいで……、気味が悪い。


「梅乃ちゃん、そろそろお弁当用意できるって」


 叔母さんに呼ばれ、私は煙草を灰皿へ落とす。歪な内面とは真逆の笑顔を作って「今行きます」と返事をした。叔母さんは何か言いたげに口を開いたけど、早く来てね、と言い残して、来た道を引き返していく。

 そうだ。

 ただ偶然が重なっただけにすぎない。たまたま世話になった親戚が亡くなったから、この町へ戻って来なければならなかっただけ。たまたま式場がこの場所だったというだけ。だから、あの子がここに入り込む余地なんてない。ましてや、頭に欠陥を抱えていたあの子が、そんなことを考えられるはずもない。それこそ、オカルトの類からは縁遠い性格だったのだから。憎しみとか、怨嗟とか、そういう呪いじみた感情でさえ、桃子は理解できなかったはずだ。あの子の優しさは、誰よりも私が知っている。どんなに酷い仕打ちでさえ、次の瞬間には忘れて、私に微笑みかけていた、あの子の優しさを。だから、あの子にとっての最大の不幸だって、嘆くくらいが関の山だっただろう。そんな子が、もしも死後に魂を縛られていたとしても、私たちを恨めるはずない。

 ……そう言い聞かせて、都合よく訪れた全てを振り払う。


 式場へ戻る道すがら、海を横目に見た。眼下の砂浜では、桃子くらいの歳の子が、制服姿ではしゃいでいる。せっかく頭から離れた彼女の姿が、また頭を掠めた。何がいけないのだろう。忘れてしまいたいと願う度、あの子の影は私の記憶を揺らす。さっきから張り付いたままの笑顔が、水に溶ける土の塊みたく、次第に崩れ落ちていく。胸が苦しい。僅かだったはずの海の香りが、肺の底から湧き上がってくる。それは首筋を遡って、目の奥にまで沁みついてきた。そんな滑稽な様子をどこからか見ている海鳥が、揶揄うかのように甲高く鳴いた。でも、私はすぐに自意識過剰だ、とその鳴き声を意識の外へと追いやる。何も意味なんてない。そこに在るのはただの音。意味を見出す必要も、考える必要もないのだ。


 早く帰りたい。そんな憂鬱が胃の中を占めていて、食事をとる気分ではなかった。無論、そんな身勝手な理由で帰れるほど、顔の皮は厚くはない。親族以外の方も弔問に来ているのだから、ここで無様を晒すわけにもいかないだろう。


 吐き気にも似た感覚を我慢しながら、会食の場へと戻る時、前から人が歩いてきた。叔母の時とは違って、曇った表情を隠しきれそうになかったから、会釈に合わせて目を伏せる。視界の端にはスカートが映る。綺麗に入ったプリーツからして、制服だろうとすぐに分かった。


「梅乃お姉ちゃん?」


 すれ違った後、背後から声をかけられて足を止める。振り返るとそこには、私のよく知る制服を着た少女が立っていた。その姿がまた、消えかけていたあの子の姿を呼び覚ます。鳩尾の辺りが熱く、しかしながら鈍い強さで滾っていた。心臓を鷲掴みにされるとはこのことなのだろう。だけど、すぐにそれは否定によって、瞬間的に平常へと落ち着いていく。だってあの子はその制服に袖を通すことはなかったのだから。あの子はそこまで生きていられなかったのだから。

「やっぱり、梅乃お姉ちゃんだ」顔を輝かせながら言う彼女の声で、我に返った。

「ごめんなさい、あなたは?」私は動揺を誤魔化すように、彼女に問い返した。

「久々だから憶えてないかな……」彼女は苦笑いを浮かべて、肩を竦める。その動作で黒い髪の毛先が揺れた。私はそれなりに頑張って記憶を辿ってみたけれど、さっぱり思い出せない。……いや、思い出せないのではなく、あの子の姿が私の記憶を邪魔しているからだ。

「ほら、隣に住んでた井上舞だよ」

「……ああ、舞」

 名前を聞いてようやく思い出した。井上舞。ここにまだいた頃、桃子と一緒に時々、遊んであげたことがあった。言われてみれば、顔立ちに心なしか面影が残っている気もする。

「久々ね」立派になったね、とか、垢抜けたね、とかそういう感想を述べるべきなのだろうけれど、今の私には淡白な言葉が精一杯だった。だけど、舞はそんな態度を意に介さず、嬉しそうに笑っている。


「五年ぶりくらいかな? 会えて嬉しいよ」


 日陰だというのに、思わず目を細めてしまいそうになるくらい、眩しい笑顔。そういえば、そんな子だった。舞はいつも明るくて、ずっと楽しそうで。だから、泣いた顔を見たのは五年前のあの日だけ。今日のようによく晴れた、桃子のお葬式の日。

「高校、私と同じとこなんだね」私は思い出しそうになったことを振り払おうと、話題を口にした。

「そうなの。わたしも梅乃お姉ちゃんと同じところ通いたかったから」


「頑張ったんだね」


「うん……、だって、桃子ちゃんとも約束してたし……」


 ああ、駄目だ。純粋に舞を見れず、目を逸らしてしまう。目の前の少女は、あの子の現身を抱えている。遅かれ早かれ、あの子の名前が他人の口から出てくることは、覚悟していたはずなのに。


「ねえ、ちょっとお話しない?」

 桃子ちゃんのこと、と舞はどこか寂しそうな表情を浮かべながら、そう提案してきた。多分、桃子の名前を口にしたからだろう。そうなれば、私も断るに断れない。仕方なく、喫煙所までの道を引き返す。会食の場だと、私の方が持ちそうにない。きっと、舞と桃子の思い出話で、私の心が音を上げてしまうだろう。


 私と舞はベンチに腰掛けた。海が近いこともあって、やっぱり風は気持ちいいと言い切れない。言われるまま引き返してきた私を嘲るかのように、また海鳥の鳴き声が耳へ届いた。


「煙草、吸っていい?」

「さっきも吸ってたんなら、吸い過ぎだよ」と、釘を刺されたけれど、私は微笑みで誤魔化し、火を点けた。午後に差し掛かり、心なしか温くなった空気に、吐き出した煙が溶けていく。真っ青な空の中でそれは、弱々しくて透明に近い白さを放っていた。

「桃子ちゃんが亡くなって、もうすぐ五年かぁ……」

「……そうだね」

 遠くの地平線を望みながら、感慨深く口にした舞に、私は適当な相槌を打つ。彼女は何か言葉を続けるかと思ったけれど、ただそれだけだった。私は年上として、話題を振った方が良いのかと考えたけど、思いつかなかった。寧ろ、そのまま無言が続いて、有耶無耶で終わるのなら、その方が望ましい。でも、一度、坂を転がり始めたボールが止まることを知らないように、私の頭の中では、あの子への想いが転がり出した。


 桃子は頭が悪かった。それは揶揄する意味合いではなく、産まれながらの障害を抱えていたという意味で。いつも舌足らずな喋り方で、勉強は全く以って理解できない。そのハンデのせいで、学校では虐められていたことを知っている。だけど、両親も私も、とっくに諦めていた。どうにもならないのだと。この子に何を教えても無駄で、何もできないのだと。家族という機械を創る歯車の中で、唯一の欠陥を持つ歯車でしかなかった。両親はそれで何度も癇癪を起し、疲弊し、私に八つ当たりさえした。家族の仲は桃子を台風の目として、最悪の縺れ方をしていたのだ。桃子はそれを理解していたのか、していないのか、毎日能天気なことを言って、必死に取り繕っていたことを憶えている。


 それでも、あの子は私を姉として慕っていた。どこへ行くにしてもついてきて、中学へ上がった頃には『お姉ちゃんみたいになる』が口癖だった。

 うざくて仕方なかった。馬鹿みたいにニコニコと笑う桃子が隣にいるだけで、顔から火が出そうだった。本当は私を貶めるためにわざとそんな態度を取っているのではないか、と疑うことさえあった。こんな妹というハンデさえなければ、もっと楽な人生を送れたはずだと、何度も思っていた。


 だから私は――。


「桃子ちゃんはさ」

 舞の声で我に返る。手元の煙草はいつの間にかほとんどが灰と化していた。地面へ落とさないよう、ゆっくり灰皿の上へ運び、そこで灰を切る。


「きっと、梅乃お姉ちゃんのこと恨んでないよ」


 短くなった煙草を再び口元へ遣る手が止まる。私は彼女の方へと顔を向けた。一瞬の言葉に潜んだ違和感。

 恨んでいない。

 恨んでいないとは、どういうことだろう?

 全身を粟立つ感覚が奔る。彼女は私ではなく、ただ前だけを真っ直ぐに見つめていた。肌に風景の色が透けている。表情のない横顔から、真意は測れない。だから、聞くに聞けず、ただ動揺を晒すことになってしまう。

「わたしは知ってるから。桃子ちゃんが、あなたのことを本当に慕ってたこと」

「何が言いたいの?」

「わたしはずっとあの子に寄り添ってきて、知っていることを言ってるだけ」穏やかな声で、舞は続ける。「桃子ちゃん、わたしといる時もずっとあなたに追いつきたい、って言ってたの。まるで、わたしなんか眼中にないみたいにね……。お姉ちゃんだけが家族の中で優しいとも。だから、バレバレだったけど、あの子なりに虐められてたことも隠していたし、自分のことを何とかしようとしていた」

 俯いた顔を黒い髪が隠す。隠されてしまったのは、顔だけじゃない。何か。彼女の抱える感情らしきものも、隠れてしまう。だけど、そんなヴェールを引き剥がすかのように風が吹いた。視線は地面を捉えている。なのに、どうしてだろう。瞳にはもっと違う景色が映っているのだと思えた。遠く、深く。あの子が沈んでいった海の底を、見つめているかのような、虚ろな瞳。


「そんなこと、私は知ってた」


 次の一言が怖くて、私はついそんな言葉を返してしまった。決定的な間違いだと、分かっているのに。舞はきっと、私の何かを知っている。そして、その『何か』は、私が墓場まで持って行くと決めていた秘密。それは……、桃子がこの世から消えてしまった、引きしんじつの一端。


「わたし、思っていたの」


 遠回しな制止も空しく、舞は話を続ける。無理矢理にでも止めるのは容易い。だけど、そうしてしまえば、たちまちのうちに何かを失う予感があった。


「桃子ちゃんは、どうして見向きもされないって分かっているのに、あなたみたいな人を追いかけてるんだろうって」

 どうして、あなたは見てあげないんだろうって。そう続けながら、舞は目だけをこちらへ向けてくる。私は逸らすこともできず、ただ見つめ合う形を受け入れた。疑惑という否定が、肯定へと変わる。だから、疑惑なんて言えない。確信だ。彼女は私が舞にしたことを知っていて、それを糾弾しようとしているのだ、と。

「どうするつもり?」

 自分では抑えきれているつもりなのに、小さな震えが止まらない。そのせいで結局、落とすまいとしていた煙草の灰を地面へ落としてしまった。


「どうもしないよ」肩を落として、そう返すと立ち上がり、細めた目で私を見下ろしてきた。私は少し警戒交じりに彼女を見上げる。だけど、彼女はそうしただけだった。最低でも平手の一発は覚悟していたのに。代わりにあったのは、無言という名前の、痛みを伴わない暴力だった。


「私が許せないなら、一発くらい殴ればいいじゃない」完全に逆恨みだと分かっているけれど、私は見栄を切った。舞は軽く鼻を鳴らして、首を横に振る。揺れた髪から、淡いシャンプーの香りが漂ってきた。その香りは昔、あの子が好きだと言っていた匂いだと、何故か今になって思い出してしまい、胸が詰まる。

「わたしは確かに、梅乃お姉ちゃんを許せない。でもね、それであなたを責めたところで何になるの?」


 静かな彼女の怒りの中で、私の記憶の円環は、最後の瞬間で立ち止まっていた。私が言った言葉。決定的で致命的な間違い。あれは、今日みたいに良く晴れた日のこと。受験勉強をしている私に、あの子は海へ行きたいと何度もせがんできた。時折あった、あの子の我儘の一つ。だけど、進路という将来が懸かっている日々で、摩耗していた私はつい口にしてしまった。

『そんなに行きたいなら一人で行って来い。ついでにそこで死んでしまえ』

 堰を切ったように、私は罵声を浴びせた。憶えているのは、最初のその二言だけ。あとは……、そう、怯えた目と、そこに映る私の影。


 それから、あの子は私の呪い通りに死んだ。一人で海へ行き、独りで死んだ。何の因果か、私の部屋から見える波打ち際で、転がっている姿を見つけた。それを口にした時、家には私たち以外に誰もいなかった。でも、大きな声だったから、隣には聞こえていたのだろう。彼女――、舞は多分、その遣り取りを耳にしていたのだ。


 だから、桃子を死に追いやった原因は私。あの子が私を慕っていると知っていたから。そう言えば本気にするだろう、と知っていたから。


 いや、違う。


 いくら頭が悪くても、落ち込むくらいで済むだろう、と心のどこかで高を括っていた。人間がそう簡単に死ぬはずないと。でも、現実はそうならなかった。きっと、あの子の心は本当に私だけが支えだったのだ。その支えもポッキリと折られたから、桃子は死んだのだろう。それが単純で後味の悪い、彼女の最後。


「梅乃お姉ちゃんのことは、誰にも言わないよ。言ったところで、何も変わらないから。だけどね」舞は相変わらず、凪いだ声色で続ける。私はただ、黙って彼女の言葉を耳にするだけだった。「だけど、あなたはずっと、その罪を抱えて生きていなさい。あなたはその苦しみに、生という牢獄の中で責められなさい。それがきっと、お姉ちゃんにとっての罰だよ」

「あんたなんかに、何が分かるのよ……」手にした煙草を、力任せに彼女の足元へと投げ捨てる。コンクリートの上で軽い音が響いた。それが私の小ささを表しているみたいだった。


「そうやって、自分を嘆いていればいい。理解されない痛みだって『私は被害者でもあったんだ』って、独りで誰にも届かない声で叫び続ければいい」舞は足元に転がる煙草の吸殻を踏み躙り、火を消した。ローファーの隙間から、熱の残りが狼煙のように昇っていく。私は目を伏せて、その足元を見つめることしかできなかった。


「わたしはただずっと、あなたが一生忘れないよう、あの子の影を追い続けるだけ。そして、あなたにその姿を永遠に見せつけるだけ」


 それが、わたしの贖罪だから。


 そう言い捨てて、舞は背を向ける。私は何も言えなかった。顔を上げて、彼女の成長した背丈を見つめる。桃子ももし生きていたら、このくらいの高さになっていただろうか。あの子の面倒を投げ出さなければ、万に一つも可能性はあっただろうか。分からない。今となっては、ただの想像。いや、想像にも満たない妄想だ。私があの子に対して抱く未来らしきものは、綺麗事に過ぎなくて、本当にあるのは、憎しみにも似た想いの残滓だけ。


「そうだ」思い出したような素振りを見せた舞は、私の方へと振り返った。「これ、あの子の形見。梅乃お姉ちゃんが持ってて」そして、ポケットから何かを取り出すと、私に手渡してくる。


「また、会おうね」


 そう言って、今度こそ本当に去って行く。私は手の中に硬い感触を握ったまま、彼女の背中が角を曲がるまで見送った。

 手渡されたものを確かめようとしたけれど、指を開くことはできない。視界は込み上げる感情でいっぱいになっていた。正午の黄色い陽の光が、陰の向こうで揺らめく。私は恥とか憎しみとか、名前らしきものを今の心に名付けてみようと、無駄に考えてみる。でもやっぱり、上手く言い表せるほどの言葉は、微塵も浮かんでこなかった。ただそれは、海の香りを孕んでいて、うねり続ける波の音に似たものだった。


 頬に潮の気配を流したまま、喫煙所から望む海を眺める。遠くの地平線の上には、小さな船が浮かんでいた。海。桃子がいなくなった海。あの子は、世界の全てから蔑まれたあの子は、あの青い海と一つになれただろうか。

 それならばいい。

 あの子はここで生きられなかった。

 ベンチから立ち上がり、桃子の形見を握った手を見つめる。本当は、見ずとも何か分かっている。分かっているけれど、その通りであってはならない気もした。だって、あの子のことを私は最後まで分かってあげられなかったから。そんな私が今更、あの子を理解するのは間違いだ。桃子を呪った私の同情とか、弔いとか、そういう類の想いは全部、ただの綺麗事と変わらないのだから。


 あの子を憎み続けた私は、

 舞が言ったように、それをこれからもずっと抱き続けなければならない。

 それこそが、罪に対する罰だ。

 鳥が鳴く。

 浜辺で遊ぶ誰かが笑う。

 波を分けて進む船の汽笛が轟く。

 爽やかで、

 どこか寂しい潮風が吹く、

 晴れた日の青い海。

 腕を振りかぶって、私は手の中のものを、海の方向へと投げた。

 緩やかな放物線を描くそれはやっぱり、

 あの子が大事に持っていた、

 海と同じ色をした青い髪飾りだった。


『お姉ちゃんありがと! 大事にするね!』


 そう。

 いつだったか、あの子の誕生日にあげた、どこにでも売っているような安物の髪飾り。

 きっと桃子は死にに行く前に、舞と会ったのだろう。

 そこでどんな会話を交わしたのかは知らない。

 ああでも。

 きっと本当に、あの子は私に対する恨み言の一つも、口にしなかったのだろうな。

 もしもそこで、あの子が憎しみを覚えてくれていたら、

 私の言葉は、綺麗事になんてならなかったはずなのに。

 記憶が回る。

 くるくると回る髪飾りは、きらきらと海と空の青を反射させていた。

「あなたが好きだった場所よ」

 私は呟く。

 そこに憎しみと、一抹の後悔を含めながら。

 それを見つめる誰かの憎悪が背後にあることも、

 今はまだ、気付かないフリのままで。

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あの海の色 平山芙蓉 @huyou_hirayama

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