第一王女の災難

カユウ

第1話

 気づいたときには、婚約者のマクシミリアンが横で倒れていた。一緒に乗っていた侍女がいない。馬車の外に投げ出されてしまったのだろうか。まずは近くにいるマクシミリアンの心配が先。うん、見る限り外傷はなさそう。


「よかった」


 ほっと胸をなでおろすとともに、馬車がさかさまになってしまった原因が気になってくる。私たちが乗る馬車だけがひっくり返ってしまったのであれば、すぐにでも護衛の騎士たちが助けてくれるはず。しかし、外からは何も聞こえない。不安になりつつ外を見ると、そこにはいるはずのない人物がいるのが見えた。フォーデン・ネンチャック侯爵子息。ネンチャック侯爵の長男であり、わたしアイリーン・ファンボルトに一方的な思いを寄せている男だ。まさか彼がやったのか。フォーデンは後ろを振り返ると、何かを支持するように腕を振り回している。彼の後ろには薄汚れた格好をした男たちがたくさんいた。しかし、動き出した彼らの動きはどこか見覚えがある。そう、騎士だ。となると、フォーデンは自領の騎士を連れてきたのかもしれない。


「マクシミリアン、起きて。マクシミリアン」


 フォーデンたちに声が聞こえないよう注意して、気を失っている婚約者をゆすってみるがマクシミリアンは目覚めない。当たり所が悪かったのだろうか。そんな心配をしていると、フォーデンの声が近づいてくる。


「さあ、愛しのアイリーン様ぁ。あなたと相思相愛のフォーデンが迎えに参りましたよぉ」


 ぞわっと鳥肌が立った。気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。わたしが愛しているのはマクシミリアンだ。断じてあなたじゃない。覚悟を決め、フォーデンが近づいてきているのとは反対側の扉を開け、馬車を飛び出す。


「坊ちゃま、第一王女様はこちらに!」


 出た瞬間、遠くから男の声が聞こえる。飛び出してわかった。護衛の騎士たちの声が聞こえない理由が。みんな打ち倒されてしまっているんだ。騎士たちが地面に倒れ、近くに馬はいない。こんなドレスじゃ走っても追いつかれる。


「アイリーン様ぁ、体面をとりつくろわなくていいんですよぉ。ここには僕と僕の子飼いのものしかいませんからぁ」


 気持ち悪い声が追ってくる。


「わたしが愛しているのはマクシミリアンです!断じてあなたではありません!……あうっ!!」


 否定しないとフォーデンの言葉を受け入れているように感じてしまい、声を張り上げて否定する。しかし、それがよくなかったのだろう。長いドレスの裾に足を取られ、転んでしまう。


「おやおやぁ、アイリーン様は恥ずかしくて素直になれないんですねぇ。ふふ、素直にさせるのも夫たる僕の役目ですねぇ」


「ひいっ、来ないで。来ないで来ないで来ないで」


 怖気のあまり立ち上がることができず、ずりずりと後ろに下がっていく。フォーデンは転んだわたしを見て走るのをやめ、ゆっくりと歩いてくる。あと10歩ほどでつかまってしまう。そんなとき、突如横の茂みから何かが飛び出してきた。


「うおっ!街道に出ただと?」


 飛び出してきた何かは、囚人服を着た男だった。きょろきょろとあたりを見回す男に、とっさに叫んでしまう。


「お願い!わたしを助けて!」


「あー、お嬢さん。助けたいのはやまやまだが、俺も急ぎなんだわ」


「そこに立ってる男と、その奥にいる男たちを倒してほしいの!お願いします!」


 突然のことにフォーデンが戸惑っているうちに話を決めてしまいたい。囚人服の彼の助けを得られなければ、わたしはフォーデンにとらわれる。その悔しさからか涙が一筋、わたしの瞳から零れ落ちた。


「よっしゃ、わかったぜ!俺に任せな!きれいなレディに涙を流させる不届きものは全員ぶっ潰してやるぜ!」


 囚人服の男の叫びを聞きつけて、フォーデンの周りにいた騎士たちが剣を抜く。


「俺を追ってる兵士たちがいるから、移動はやつらに任せるといい」


 唇の端を持ち上げ、ニヤリとした笑みを見せると、囚人服の男はフォーデンに向かって走り出す。いきなりのことに驚いたネンチャック家の騎士たちだったが、囚人服の男がせまると剣を振り上げる。囚人服の男が間合いに入った瞬間、剣が振り下ろされる。囚人服の男が真っ二つになってしまったかと思ったが、いつの間にか囚人服の男は剣を振り下ろした騎士の首に拳をねじ込んでいた。


「……カハッ」


 拳を撃ち込まれた騎士の声と同時に、止まっていた騎士と囚人服の男が同時に動き出す。だが、囚人服の男のほうが何段も上のようだ。騎士たちの剣はかすりもせず、男の徒手空拳が面白いように騎士たちに吸い込まれていく。あっという間の出来事だった。流れるような動きで、バッタバッタと騎士たちを倒していく。


「お、お前。だ、誰に手を出してるか、わかってるのか!ぼ、僕はね、ネンチャック侯爵家の嫡男だぞ!」


「ネンチャック侯爵家か。よし、次はネンチャック侯爵家を標的にすることにしよう」


 フォーデンの必死の脅しも囚人服の男には効果がなく、囚人服の男が右の拳を左に振り切ったあと、少ししてからフォーデンが崩れ落ちた。


「ほい、これでおしまいっと」


 軽い掃除かのように声を上げる囚人服の男だったが、いきなり飛び出てきたやぶに視線を向ける。


「ちっ、もう追手が来やがった。それではレディ、やつらの足止めをお願いいたします。では」


 優雅な一礼をこちらに見せると、囚人服の男は反対側へと走り去っていく。


「あ、ありがと……」


 嵐のように去っていく囚人服の男に、わたしのお礼の言葉は届いたかしら。

 それからしばらくして、囚人服の男が飛び出してきたやぶから数人の兵士が出てくる。これが追手か。約束通り、わたしは彼らの足止めをしよう。足止めを意識しなくても、わたしがここで倒れている時点で彼らの追跡は終わりになるのだけど。第一王女の生命はそれほどまでに重いのだ。


「ありがとう、名も知らぬ囚人。わたしだけのヒーロー」

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