ミッション:社長に何も食わせるな!【KAC20228私だけのヒーロー】

雪うさこ

ミッション:社長に何も食わせるな!




 みなさんは、都市伝説。トイレットペーパーミッションをご存じだろうか。2階の北側のトイレ。そこで稀にミッションが書かれたトイレットペーパーに出くわすことがあるというのだ。そのミッションをクリアすることができると、報奨インセンディブが付与される。しかし、ミッションを人に洩らしたり、クリアできなかった場合、地獄の底に堕とされるというものだ。


 いや、そんな話は馬鹿らしいと、おれだって思っていた。つい数ヶ月前までは。


 昼食時。おにぎりを一口食べた途端、腹に違和感を覚えた。ああ、そうか。今朝飲んだ牛乳。賞味期限が二週間も過ぎていたっけ。あれかもしれない。うう。みんながトイレに行き出す時間をずらして、先にいっておいた方がいいだろう。そう判断したおれは、腰を上げる。すると、部下の一人、森村がおれに声をかけてきた。


「お、課長。トイレっすか? トイレに行っ! なんつって」


「森村〜。お前ギャグの腕、上げたんじゃないか?」


 森村とは同期の佐藤も笑う。おれも「確かにな」と褒めつつ、お腹が気になったので、足早にそこを立ち去った。悪い。森村。今はそういう気分じゃないんだ!


 数ヶ月前。おれはトイレットペーパーミッションに出くわした。あの時は、「お笑い、コメディをぶちかませ」というミッションだった。それまでのおれは、仕事こそできていたものの、部下たちとのコミュニケーションがあまり上手ではなかった。しかし、ミッションのおかげで、部下たちとは親しくなり、気軽に声をかけてもらったり、飲みにいくような関係性になっていた。


 本当は一人でも寂しくなんかなかった。しかし、こうして人の温かさを知ってしまうと、それはそれで心地がいい。今まで以上に仕事も捗り、先月は社長からも直々にお褒めのお言葉を頂いたばかり。おれの人生はトイレットペーパーのおかげで、順風満帆になっていたのだった。


 ガラガラガラ……。


 用を済ませ、さて尻でも拭こうかと、トイレットペーパーを引っ張ってみると……。なんと、そこには。文字が記されていた。


『社長に何も食わせるな!』


「は、はあ?」


 メガネを外し、目を擦ってから、再びトイレットペーパーに視線を戻すが、その文字は、すっかりと消え失せていた。これではまるで、あの時のミッションではないか。


 社長に何も食わせるな、だと……!? 午後から月一の定例会議だ。もちろん社長も参加する。この会議では、毎回、おやつが提供される。社長が好きなのだ。


 50代にもなって甘い菓子が好きな男子。仕事はできるが、独身で恋人募集中だと聞いている。その社長に菓子を食わせるな、ということか。


 こ、これは……難易度SSクラスのミッションだ。まさか、前回のミッションをこなしたから、またおれにミッションさせようって魂胆なのではあるまいな。


 うう。しかし、一度下されたミッションは、クリアするしか生き残る方法はないのだ。余計に腹が痛むぞ。痛む……。一人、トイレの個室で唸っていると、「課長〜」という声と、扉を叩く音が響いた。森村だ。


「大丈夫っすか? 課長?」


「いや。大丈夫だ。考え事だ」


 支度を済ませてから、顔を出すと、森村は顔色を青くして、そこに立っていた。


「課長。このトイレって、噂のトイレじゃないっすか。入っちゃだめですよう。危ないです。ミッションクリアできなかったら、死……って聞いたことが」


「し、死ぬのか?」


「って噂です」


「森村〜。そんな話を信じるのか? お前もまだまだ、お子ちゃまだな! てへぺろ♪」


 軽く舌を出して、森村の額に軽くデコピンをしてやる。すると、彼は顔を真っ赤にして走っていってしまった。なんなんだよ。悪かったな。滑ったのかよ。


 事務所に戻ると、月一会議の時間が迫っていた。もうなるようにしかならない。おれは、書類を抱えて、一階の会議室に足を踏み入れた。




***



 月一定例会議は、物々しい雰囲気で始まるのが通例だ。最初は社長からの話がある。医療機器メーカーとは、大手病院と提携できれば、安定した利益が見込まれる。しかし、そうそう上手くいくものでもないのだ。常に新しい病院の開拓を余儀なくされる。新しく開院するクリニック、それから、ライバル会社が入り込んでいる病院へのアタック。どうにかこうにか営業成績を上げてほしい、と社長は言った。はい、今日の演説は45分也。


 今日のおやつは、大福だ。白い粉がまぶしてある、ふわふわ、もちもち系大福だ。個包装になっていないのか、裸のまま茶請けに乗せられているそれを、じっと見下ろして、どうしたものかとずっと思案していた。そんなおれの様子に気がついたのか、社長の演説が終わると、専務がおれの名前を呼んだ。


「二階堂くん。何か発言があるのかな?」


 は、発言なんてないぞ。強いて言えば「社長の大福、おれにくれ!」くらいの話だ。このままの流れでいくと、この後、社長は部下たちの話を聞きながら、おやつタイムを始めるのだ。もうだめだ。やるっきゃない!


「社長!」


 おれの叫びに、社長は大福に伸ばしかけた手を止めた。


「な、なんだね。二階堂くん」


「アイムソーリー、ヒゲソーリー!」


「は、はあ? き、君は何を言っているんだね!」


 専務が青ざめた。社長は大福を食べる気力も失せたのか、じっと固まっておれを見ていた。


「昭和のギャグですよ。知っていますか? ねえ、専務も知っているでしょう? 知らないなんて、そんなバナナ。冗談はよしこちゃんですよ! あ、そこに美味しそうな大福があるではないですか。今日のおはどこの? なんちゃって」


 おれは冗談をかましながら、社長のそばに寄った。ああ、今回はお笑いミッションではないはずなのにー。おれのバカ! なんで冗談ばっかり言うんだよ〜。


 もう泣きたい。本当に。今度こそ、おれの人生は終わったのだ。


「あれ! 大福でいちゃう? とかね。いただきマンモスです!」


 社長の大福をむんずと掴むと、自分の口に押し込んだ。


「おお、おい! 二階堂くん!?」


 会議室が騒然となる。


「ここにある大福はみーんな、おれ、二階堂がいただきますよ! 社長、ご馳走様でした!」


 はい、終了! おれのサラリーマン人生も本日で終了。


 しかし。会議室が静寂に包まれた中。急に扉が開いて、社長の秘書が血相を変えて顔を出した。


「社長ーー! 大福、食べてはいけません……っ! あ、あれ?」


「二階堂くんに食べられてしまったのだが」


 社長はおれを指差した。すると秘書は安堵の表情を浮かべた。


「その大福。社員の手違いで、ピーナッツが入っているそうなんですよ」


「なんだって!?」


 社長は驚愕の声を上げた。何が起こっているのか、さっぱりわからない。言葉を失っていると、秘書は、おれのところに駆け寄ってきて説明した。


「社長はピーナッツアレルギーなんです。少量でも口にしていたら、窒息の可能性がありました。ああ、本当に。二階堂課長にはなんと、お礼を言ったらいいのか……」


「二階堂くん!」


 不意に社長がおれの目の前に立ち、そしておれの両手を握りしめた。


「君は僕を救ってくれた。ああ、感謝しても仕切れないくらいの感動だ。本当にありがとう。君は体を張って僕を守ってくれたんだね。マイヒーロー」


 今まで冷めた雰囲気だった会議室に、拍手喝采が巻き起こった。


 専務は「なんであの大福にピーナッツが入っているって知ったんだ? お前、本当にすごいやつだな!」なんて言っている。ああこれが、報奨インセンティブ


「ちょっと待ったー!」


 おっと! 森村どうした。なんだか昔のお見合い番組みたいじゃないか!


 森村は社長を押し退けて、おれの前に立つと右手を差し出した。


「課長はずっと、おれのマイヒーロー、いやいや、マイヒロイン! あなたのギャグが好きです。お友達からお願いします!」


 押し退けられた社長は、すかさず体勢を立て直し、森村の横に立つ。


「彼は僕のマイヒーローだぞ? 二階堂ちゃん、お金たくさん使い放題。よろしくお願いします!」


 こ、こんなことまでトイレットペーパーミッションには入っていなかったぞ。まさか、まさかの二択!?


 もうこうなったらヤケだ。おれは高鳴る鼓動を隠すこともできず、森村の手を握り返した。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


「二階堂ちゃーん!」


「社長しっかり!」


 社長は床に倒れ込みそうになったが、駆けつけた秘書に支えられた。


「うう。悲しいけど、二階堂ちゃんが選んだ人なら、僕は応援するよ。お幸せに……」


 社長が退室するのを合図に、そこにいた人間たちは皆、部屋を後にした。残されたのはおれと森村だ。


「お、お主……」


「すみません。課長。でも……課長はおれのヒーローなんです。おれは課長に憧れているんだ。み、みんなに優しくしないでくださいよ。課長にはから……」


 森村が、そんなにおれのことを好いてくれていたなんて、思いもよらなかった。おれは右手を差し出した。


「森村。よろしくな」


「はい!」


 満面の笑みの彼を見ていると「ああこれでいいんだな」という思いと、「トイレットペーパーよ、お前は何をさせたいんだよ」という、腑に落ちない思いに襲われた。




–了−



 



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