サゲ

 新太郎が目を覚ましたのは、病室の白いベッドの上だった。カーテン越しの窓から朝陽が差し込み、彼は眩しげに目を細める。

 昨夜の記憶は曖昧だ。だが、非日常に巻き込まれて激しく動く感情と生命の危機は身体に奇妙な違和感を残した。それでも立ち向かった結果が、この状況なのだろう。


「お目覚めですか? 白尾新太郎さん」


 新太郎が声のする方に視線を移すと、見覚えのないスーツの男が面会に訪れていた。精悍な顔立ちに穏やかな笑みを浮かべた細身の男だ。男は名刺を差し出すと、深く一礼をする。


「UGN日本支部長、霧谷雄吾と申します。我々があなたを保護し、UGNグループの病院であるこの場所で治療を行いました。面会に来られたご両親にはこちらの名刺を……」

「あの、妹はどこですか? 命に別状は……?」

「安心してください。隣の病室でお休みですよ。怪我もないので今日中には退院できるでしょう。一点だけ、救出の際に記憶処理をさせていただきましたが……」

「……記憶処理?」


 新太郎が怪訝な視線を向けると、霧谷はその疑念を予期していたかのように頷く。一呼吸置くと、彼は静かに口を開いた。


「今回の件はガス爆発によるショッピングモールの火災事故として処理されます。君以外の生存者には、オーヴァードの存在を知られるわけにいかないんです」

「その、オーヴァードとかUGNってなんの事なんですか? あのピエロも同じようなこと言ってたんやけど……」

「今から、少し難しい話をしますね。君が今後生きていく上でも必要な情報でしょうし……」


 霧谷が語る情報の数々は、新太郎が生きてきた日常の外にある物が殆どだった。レネゲイドというウィルスが生物に適合する事で生まれる人智を超えた生命体〈オーヴァード〉。オーヴァード能力をテロ行為や無差別破壊に用い、人々の社会生活を脅かす組織〈ファルス・ハーツ〉。オーヴァードの人権を保護し、人々との共生を図る組織〈ユニバーサル・ガーディアンズ・ネットワーク〉。彼らの存在は現代社会では秘匿され、入念な情報処理が行われている事。そして、新太郎が既にオーヴァードに覚醒している事。

 次々と語られる情報を何とか噛み砕きながら、新太郎は自らが感じていた身体の違和感の正体を理解する。結を守るために振るった力はオーヴァードの能力によるもので、彼は覚醒した事によって人間とは異なる存在になったのだ。


「君が遭遇した“アルルカン”というオーヴァードはFHの末端構成員でした。能力に覚醒した事でパラノイアじみた妄執を得た一人のテロリストが、無辜の人々に苦しみを与えてしまった」

「……確かに、強者とか弱者がどうこう言ってました。クスリ使って笑かして、自分のエゴで獲物の寿命を終わらせていく。理不尽の象徴みたいな奴でしたね」

「我々は社会の秩序を守り、オーヴァードの能力を管理することを至上命題としています。そのために、君には我々に協力していただきたいのですよ。こちらの世界に関わってしまった“当事者”として」


 新太郎は頭を伏せ、僅かに逡巡した。UGNのエージェントにはそれぞれ表の仕事があり、日常生活は担保される。二足の草鞋を履く事もできるのだ。

 それでも、彼の脳裏に過ぎったのは父親との約束だった。代々続く白尾の名を継ぐために高座に立たねばならないのに、他のことにかまけている場合なのか? 自分の我儘ワガママに付き合わせ続けている父親に義理を果たすのが先決ではないのか?


「少し、考えさせてください」

「……どちらにせよ、君は我々にとっての監視対象です。答えが出たら、こちらに連絡してくださいね?」


 差し出した名刺を指差し、霧谷は病室を出ていく。すれ違うように現れたのは、新太郎の父親である新永だ。


「目ぇ覚めたか? お前も、結も、無事でよかったわ……」

「ごめんな、師匠。僕がもっと早く帰ってれば、結に怖い思いさせんで済んだのに」

「気負うなや。今日の夜にはどっちも退院できるんやから僥倖や。……結の様子、見に行くか?」


 新太郎は咄嗟に首を横に振った。昨夜の記憶は霧谷との会話で鮮明になり、彼は自らの行動を省みていたのだ。

 辛辣な言葉を吐いた妹の姿は、毒ガスが見せた幻覚だ。その事を理解する前に、新太郎は妹の助けを求める声に反応していた。考えるより先に身体が動いたのだ。その後の彼は妹を安全な場所に寝かせ、敵に立ち向かう方へ意識をシフトさせた。どれも非常時だからこそできた事だ。

 だが、今はどうだ? あの一件は幻覚とはいえ、その不安は未だ解消されていない。表面化した恐れが、彼の行動を阻害したのだ。


「そうか。あー、腹減ってるか!? 朝飯買うてくるから、なんか希望は……」

「師匠……?」


 そわそわと落ち着きなくその場を動き回る新永の様子を見て、新太郎は戸惑う。その表情は高名な噺家が見せるものではない。まるで、実子に言うべき言葉を探しているようだった。


「師匠、なんか僕に言わなあかん事とかあるんです? ありはるなら、言うてもらわな……」

「……察しがええな。わかった、ひとつ訊ねるわ。お前は、将来どうしたい?」

「そりゃ勿論、五代目白尾新永として高座に……」


 新永は、静かに息を吐いた。


「無理すんな。確かに、俺が発破掛けすぎたのは事実や。お前に期待を寄せて、俺の技術を叩き込んだ。昔から、お前は吸収が速かったなぁ」

「……珍しいやないですか、師匠が僕を褒めるなんて」

「昨日の演目。結にやったやつや。あれは、ほんまに完璧やった。文句のつけようがないほど完璧な、模倣。叩き込んできたものを吸収しすぎやろ。高座で俺が演っとるんかと思ったわ!」

「ありが……」

「ただ、そこまでや。客は、精巧なコピーを聞きに来たわけちゃうからな」


 新太郎は思わず背筋を正す。確かに、彼は一言一句間違えないほど円滑にネタを演じることを意識していた。そのために自分の存在を消し、“なりきる”ことを重要視していたのだ。


「落語に同じ噺は無いんや。一見同じ話の筋に見えても、マクラが違えば、もしくはサゲが違えば、それはもう別の噺やねん。知っとるか? 『たがや』は元の噺ではサゲが真逆や。殿様に斬られたたが屋の首が飛ぶ噺が、当時の需要から逆になった。『死神』なんてサゲのパターンが無数にあるし、その中には普通にハッピーエンドで終わるオチもあるんや」

「それは、僕の語りがまだ未熟やと言うことですか……?」

「……未熟やな。せやから、まだ伸び代がある。白尾の看板なんて気にせんと、好きにやったらええ。生憎、俺がまだ四代目で居続けるしな」


 新永は照れ臭そうに目を逸らして呟く。それは、既に厳格な師匠の声色ではなかった。


「さっき、結とお前の話をしてたんや。火事に巻き込まれたとき、身を挺して守ったんやろ? 『不安なときに勇気付けてくれた』って、ぎこちない顔で笑っとったわ。あいつ、あんな顔で笑うんやな……」

「結が、笑ったんですか……!?」

「『兄ぃ、ありがと』やと。落語はよくわからんらしいけど、兄貴が側にいたのは嬉しかったんやろな。俺らが見てない時に、ひとりで笑顔の練習をしとったらしいわ」

「そうか……結が……なるほど……」


 新太郎は己を恥じた。感じていた不安は全て杞憂だったのだ。己が生み出した闇に怯えていたことに気付き、脱力するように笑う。想いはとっくに通じていたのに、信じることができなかったのだ。

 新太郎は一頻り笑うと、新永の方へ向き直る。思い出したのは、霧谷の話だ。


「ししょ……いや、父さん。本来の約束なら結を笑わせたら高座に出るって言ってたんやけど、覚えとる?」

「昨日の今日やろ、覚えとるわ」

「やりたかった事とは違うけど、これで約束は守るよ。ただ、同時にやりたい事もできたんやけど……」


 新太郎は微笑み、束ねた髪を揺らした。


「見聞を増やしたい。“白尾新太郎”として高座に上がる以外のこともやってみたいんよ。それがないと、噺をかたる前に自らをかたることになってしまう気がするから!」

「……お前の人生や。展開も、サゲも、自分で決めろ!」


 妹を守りたい一心で得た能力を制御し、誰かを守るために活かす。噺家を続けながら、己の強さを模索する。どちらも模倣ではない、自分だけのスタイルで。

 その目標を叶えられる場所があるなら、それはきっとUGNだろう。アルルカンのような人の形をした理不尽が巻き起こす災厄に大切な人たちを巻き込まないために、強くなる。新太郎はそう決意した。


「結、明日誕生日だったよな? 今日で二人とも退院やし、俺がケーキ買ってくるわ……」

「チョコケーキ、ロウソクは6本な!」

「わかっとるよ。去年みたいなヘマはせぇへん……」

「和菓子は5歳児にウケへんかったからね〜」

「『たが屋』やってウケへんかったお前に言われたないわ……」


 病室を出て行く父親を見送り、新太郎は微笑む。結の誕生日パーティーがやっと開催できるのだ。

 6本のロウソクが一気に吹き消され、部屋が暗くなる瞬間を新太郎は想像する。その時に言うべき言葉は、昨夜言えなかったオチの一言だ。恐怖ホラーの炎を吹き消して成長していく彼女の息災を祈るなら、この言葉しかないだろう。


「ほうら、消えた」


 お後がよろしいようで。シーツの上で正座し、新太郎は虚空に一礼をした。

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ワイルドハント・ロア @fox_0829

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