妖怪里芋転がしをヒーローに育て上げたい女の子

清水らくは

妖怪里芋転がしをヒーローに育て上げたい女の子

 川沿いのニュータウンから国道に上がるまでの道は、夜中になると真っ暗だった。あたりには草原しかなく、人通りもない。車を使う人も、バイパスからの道を使う場合が多い。

 楽瑠らるは、その坂の下で膝を抱えてじっとしていた。ずっと、坂の上を見つめている。

 ごと、ごと、と妙な音が聞こえてくる。闇の中に、光る二つの目があった。

「きた」

 楽瑠は立ち上がり、まっすぐにその目を見た。

 ごと、ごと、という音が大きくなる。

「食べなー」

 震えるような声が響いた。

「里芋食べなー」

 ぼとぼとと何かが零れ落ちる音がして、ゴロゴロと転がり落ちてきた。里芋である。

 楽瑠の前に現れたのは、妖怪里芋転がしだった。子供を見つけると里芋を転がしてきて、無理やり口の中に流し込んで食べさせるという存在だった。

ふう!」

 暗闇の中の妖怪、そして転がり落ちてくる大量の里芋を前にしても、楽瑠は慌てなかった。両腕を交差させ、手のひらを前面に向ける。そこから突風が巻き起こったのだ。突風は里芋を跳ねのけ、里芋転がしの体をも弾き飛ばした。

「ぐええっ」

 何とか立ち上がり逃げようとする里芋転がしだったが、両肩を押さえつけられた。目前には目を血走らせ、うっすらと笑みを浮かべる少女がいた。

「逃がさない」

 首に、鉄のわっかをはめ込まれた。赤い字で何やら不思議な文字が書き込まれていた。

「な、なにするんだっ」

「あなたを待っていたの。妖怪里芋転がし。今日からあなたは私のものよ」

「おいら、誰のものにもなるもんか」

「これは、妖怪を支配する首輪。あなたはもう、逃げられない」

 楽瑠が言うように、里芋転がしは全く体の自由が利かなくなっていた。彼は妖怪としてはとても若く、こういう時の対処法を全く知らなかった。

「いったい何が目的なんだいっ」

「私、あなたにお願いがあるの。ねえあなた、世界を救うヒーローになってよ」

「はああ?」

 里芋転がしは困惑し、口をぽかんと開けていた。



 家に里芋転がしを連れ帰った楽瑠は、ナイフで右手人差し指の先に傷をつけた。

「あなたに力を上げる」

「さっきから言うことが全部怖いぞ」

「あら。あなたは妖怪、存在が怖いのよ。よく言えたものね」

 楽瑠は自らの血で、妖怪の背中に文字を書き込み始めた。

「何をしているんだい」

「あなたは、里芋を嫌う子供たちを恨んでいるんでしょう。でも、まだまだ小さな恨み。世界中の里芋嫌いの力を、集められるようにするのよ」

「そんなことできるもんか」

「わからないよ。もちろん私も初めてするから、確信はないけれど」

 楽瑠が手を離すと、里芋転がしは震え始めた。目を見開き、歯ぎしりをする。

「な、なんか体の中を走っているっ」

「力が増しているのよ。うまくいったようね」

「おいらをどうするつもりなんだ」

「言ったでしょ。ヒーローになってもらうの」

「それの意味が分からない」

 楽瑠は右手を胸に置いた。

「私は何にもなれないの。絵も音楽も得意じゃない。勉強もスポーツも並。かわいいわけでもない。そうするとね、期待されない子として、放っておかれるの。せめて何か特別できなければ、何とかしたいって思わせるのよ。それもない。私には何もない。だから……あなたに期待するの」

「ええ……」

 里芋転がしは困惑した。妖怪を捕まえて自分の代わりに何かを望むというのは、ちょっと考えられないことだった。しかも、それを実現するだけの力をなぜかこの少女は持っている。

「お兄ちゃんの本棚を見たら、妖怪の本がいっぱいあった。これだ、と思った。妖怪なら、私の代わりにヒーローになってくれる」

「妖怪はそういうものじゃあ……」

「わからないわ。あなただって、自分の可能性、知ってみたくない?」

「いや、おいらはみんなに里芋を食べてほしいんだ」

「ええ、それも叶えられる。きっと」



 楽瑠の兄は、大学に入るために家を出た。楽瑠はたまに、その部屋で過ごした。優秀で期待される側の人間だった兄。そんな兄の部屋に勝手に入ることで、何かを傷つけられている気がしたのだ。

 本棚には小説や参考本などが並んでいたが、後方に、妙なタイトルの本がたくさんあるのを発見した。妖怪の本だった。単に妖怪について書かれたものだけでなく、妖怪の捕まえ方、妖怪の支配し方など、かなり怪しいものもあった。その中にある「突風で妖怪の足止めをする方法」を訝しみながら試してみたところ、実際に風が生じたのである。

 その日以来、楽瑠は計画を立て始めた。妖怪を捕まえて、自分の身代わりにいろいろさせるというものである。彼女が望むのは、ヒーローだった。何者でもない自分には、誰も救えない。けれども、妖怪ならばきっとヒーローになれる。どんな優秀な人にも不可能なことができる存在を、操ってみたい。楽瑠はそう願うようになったのである。

 近所で突然里芋が転がってくるという話を聞いた時は、飛び上がって喜んだ。「妖怪に違いない」と思ったのである。

 そして実際、それは妖怪の仕業だったのだ。



 各地で不思議なことが起こり始めた。

 動物園から猛獣が逃げ出したが、二日後に檻の中に戻っていた。その体には、謎のべたべたしたものが付着していたという。

 遭難した船が、港まで不思議な力で導かれて助かった。ネバネバしたものに引っ張られているようだったという。

 宇宙人が地球に襲来したが撃退された。

 巨大怪獣が現れたが駆逐された。

 戦争が終わった。



 里芋転がしは役目を終えると、だいたい力を使い果たして帰ってきた。楽瑠はそんな里芋転がしの体をタオルで吹き、マッサージをした。

 里芋転がしは何度か逃げようと試みたが、無駄だった。首輪によって、どうしても体の動きが封じられてしまうのだ。

 楽瑠は学ぶことをやめなかった。里芋転がしの体にはどんどんと文字が増えていき、どんどんと力が増していった。



「ああ、誇らしい」

 ある日、楽瑠は里芋転がしの頭をなでながら、うっとりとした表情で言った。

「おいら、不思議な感じだ」

 里芋転がしは笑うでも怒るでもなく、目をぱちぱちさせていた。

「あなたは、本当にすごいヒーローになったのよ」

「おいらの力じゃないよ」

「何を言ってるの。全部あなたの力」

 里芋転がしはうつむいた。

 確かに、里芋が嫌いな人々への思いが彼をこの世に生み、その思いが巨大な力となっている。世界を何回も救い、彼は今や偉大なヒーローだ。できるだけ姿を見せないように活動しているものの、「里芋を使った何かがいつも何とかしてくれる」といううわさは世界中に広まっていた。

「本当にすごいのは、楽瑠ちゃんなんじゃないのか?」

 里芋転がしは、じっと楽瑠の目を見つめた。楽瑠はねきょとんとしていた。

「何を言っているの? 私には何にもない。何にもできない」

「もし、その力で多くの妖怪を従えたら、とんでもないことになるよ」

「それはそうかも」

「でもおいら……そうしてほしくはないんだ」

「なんで?」

「楽瑠ちゃんは……元々おいらの味方だったと思うんだ、全く嫌な感じがしない」

「あなたを強引に支配したのに」

「それはひどいと思うよ。でもさ、気になってたんだ。里芋、嫌いじゃないよね?」

 楽瑠は、かっと目を見開いた。唇が震えている。

「そうね。嫌いじゃない」

「そうだと思った」

「昔……給食に里芋が出て、周りの子が嫌がったの。だから、私が食べてあげた。そしたらね、『楽瑠ちゃんはヒーローだ』って言われた」

「そうなんだ」

「あの日だけ。人生であの日だけ。だから里芋の妖怪が出たって聞いた時は、びっくりした。世界が私のために用意してくれたんだと思った」

 楽瑠は里芋転がしの首筋に手を伸ばすと、何事かつぶやいた。首輪がかちりと音を立てて外れた。

「ごめんね。私のわがままで、こんなことをして」

「楽瑠ちゃん……」

「やっぱりね、あなたは私じゃない。当り前なのにね」

 楽瑠は泣いていた。里芋転がしは、楽瑠の両手をとった。

「里芋が好きな人間は、おいらのヒーローだ! 楽瑠ちゃんは、おいらにいろいろなことを教えてくれた。正直恨んでるけど、それだけじゃないよ。許さないけど、幸せになってほしいよ。なんか、自分でもよくわかんないよ」

「ふふ、私も」

 二人は手を取り合ったまま、家を出た。何も言わなかったが、自然と二人が出会った坂へと向かっていた。

「さようなら」

 楽瑠がそう言うと、里芋転がしは手を離して、坂を上っていった。ゴロゴロと音がして、里芋が跳ねながら転がってきた。そのうちの一つが、楽瑠の口の中に入る。

「うぐ……」

 苦しかった。苦しくて切なくてやるせなくて、楽瑠は膝をついた。

 楽瑠は、口から里芋を取り出して、まじまじと見た。

「おいしいのにね、里芋」

 楽瑠は、来た道を引き返し始めた。

 一度振り返ってみたが、何も見えず、何の音もしなかった。

「ヒーローなんて、いなかったんだ」

 楽瑠はそう言いながら、とぼとぼと歩いた。

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