緋色のヒーロー

沢田和早

緋色のヒーロー

 今夜、お城で舞踏会が開かれる。

 十六歳になったばかりのあたしは思い切って参加することにした。

 今日はあたしが華やかに社交界デビューを果たした記念の日になるはず、だったのだけど。


「全然ダメだなあ」


 あたしは会場の隅っこでポツンと椅子に腰掛けていた。期待が大きかっただけに失望も大きい。開始と同時に積極的に声を掛けてたくさんの人と踊ったんだけど、あたしのドレスは灰色のまま。少しも赤くならない。


「あの子たちはいいなあ。赤系統に変色できて」


 一緒に来た友人のサンとチュウは楽しそうに踊っている。

 二人とも紫キャベツ男爵がお気に入りみたい。サンのドレスは赤色、チュウのドレスは紫色に染まっている。相性がいいのね。

 あたしも踊ってみたけどpHが大きくないせいかドレスは緑色にしかならなかった。もっと大きなpHなら黄色くなるみたいだけど、それでも赤くはならないから同じこと。


「アルカリ、まだ相手が見つからないの?」


 サンが話し掛けてきた。紫キャベツ男爵の効果はまだ続いているみたいでドレスは赤いまま。


「サンが羨ましいよ。誰と踊っても赤系統に染まるんだから」

「こればっかりは生まれつきだもん。どうしようもないよ」

「は~、いいなあ」


 サンは相手を選ばず燃え上がらせることができる。無愛想で武骨者なBTB子爵を黄色くしてしまった。それだけではない。女性嫌いとして名高い青色リトマス伯爵ですら赤くしてしまうのだ。


「はい、ドリンク持って来たよ。これ飲んで元気出してね、アルカリ」


 チュウのドレスは元の灰色に戻っている。変色の効果はサンほど長続きしないみたい。

 チュウは相手に合わせる性格だ。青色リトマス伯爵ならドレスは青色。赤色リトマス伯爵ならドレスは赤色。あまり自分を主張しないのが彼女の持ち味かな。


「ありがと」


 チュウのコップを受け取って口に含むと、重曹水のほのかな塩気が舌に染み込んでいく。チュウは本当にあたしの好みをわかっている。いくらアルカリだからって高pHの石灰水は不味くて飲めたもんじゃないからね。


「あら、あの方、もしかして!」

「きゃ~、いらっしゃるなんて」


 大きな歓声が聞こえてきた。全ての視線が一人の人物に注がれている。誰だろう。


「間違いない、フェノールフタレイン侯爵だ!」

「ウソ!」


 驚きすぎて大声を出してしまった。滅多なことでは公の場に顔を出さない深窓の令息だ。もちろん舞踏会への参加もこれが初めてのはずだ。


「信じられない。あのフェノールフタレイン侯爵の社交界デビューがあたしたちのデビューと重なるなんて」


 サンはかなり興奮している。もちろんチュウも、そしてあたしも。


「これはもう踊るしかないよね」

「ほら、アルカリも行こうよ。こんなチャンス滅多にないよ」


 サンとチュウがあたしの腕を引っ張る。でもあたしは躊躇した。これまで誰と踊ってもあたしのドレスは赤く染まらなかった。フェノールフタレイン侯爵とだって染まらないに決まっている。もう失望感を味わいたくはないのだ。


「あたしは遠慮する。二人だけで行きなよ」

「もうしょうがないなあ。ならアルカリの分もあたしたちのドレスを赤く染めてみせるね」


 サンとチュウが会場の真ん中へ向かう。あたしは隅っこの椅子でぼんやりとフェノールフタレイン侯爵を眺めた。


「残念。赤くはならないようね」

「今度はあたしの番よ……あらどうしたこと、色が消えていくわ」


 会場の空気が少しずつ重くなっていった。フェノールフタレイン侯爵はたくさんの女性と踊っているのにそのドレスが少しも赤くならないのだ。いや、赤くならないだけではない。踊るたびに色を奪っていくのだ。

 もちろんサンもチュウもダメだった。今や、会場にいる女性のドレスは全て色褪せ、まるで冬の荒野のように殺風景な舞踏会に変貌してしまっている。


「皆様、すみません。私のせいで皆様のドレスが灰色になってしまいました。やはり私は参加しないほうがよかったのかもしれませんね、おや」


 フェノールフタレイン侯爵の視線があたしに向けられた。身じろぎもできずに椅子に座ったままでいると、ゆっくりとこちらに近付いてくる。


「私はフェノールフタレイン、侯爵です。あなたのお名前は?」

「ア、アルカリです」

「アルカリさん、あなたとはまだ踊っていませんでしたね。どうか一曲お手合わせをお願いします」

「あ、でも、あたし、誰と踊っても赤くならなくて」

「その『誰と』の中に私は含まれていないかもしれませんよ」


 フェノールフタレイン侯爵の手があたしの前に差し出された。その手を取る。引き寄せられるあたしの体。曲が流れる。あたしとフェノールフタレイン侯爵は踊り出す。体が熱い、心も熱い、こんな経験は初めてだ。


「皆様、ご覧になって、変色しましたわ」

「素晴らしい、これほど見事な緋色は見たことがない」

「なんてお似合いの二人なの」


 人々の称賛が聞こえる。視線を落として驚いた。ドレスが染まっている。黄色を帯びた赤色、これは理想的なカップルが出会った時だけに現れるという伝説の緋色!


「嬉しい。あたしを赤く燃え上がらせてくれる人はいないと思っていたのに。あなただけがあたしを赤くしてくれた。あなたはあたしのヒーロー。あたしだけのヒーローだわ」

「それを言うならあなたも同じですよ。私を赤く染め上げてくれたのはあなただけなのですからね。あなたは私だけのヒロインです」

「皆様、誕生したばかりの伝説のカップルを大いに祝おうではありませんか」


 大きな拍手があたしとフェノールフタレイン侯爵を包む。あたしたちは緋色の幸福に浸りながらいつまでも踊り続けた。

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