【KAC20228】アルルカンと嘘つきユートピア

すきま讚魚

イノセンスとエクリプス

 その鳥かごから出してあげる、と。

 そう貴方は言った。


 だから私は、黙ってうなずいたの。

 こんなことになるなんて、思っていなかったのだから——。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 太陽が攫われた。それは世界を揺るがす大事件。

 いえ、正確には太陽の子と呼ぶべきでしょうか。


 人々が増え、多くの言語を操る時代。

 全ての繁栄を司るその光を、ある夜、あろうことか一人の従者が連れ去ってしまったのです。


「一緒に逃げよう、キミを助けてあげよう」

 そう彼は告げたそう、しかしそれは真っ赤な嘘。


 従者は、嘘の魔法が得意でした。

 ずる賢く、人を出し抜く笑いが得意だったのです。


 世界を覆う、黒と赤のアルルカン(即興喜劇の道化役)。


 いいえ、そもそも彼は本当は従者ではなかったのです。

 その顔を覆う黒いマスクから覗く金色の瞳は恐ろしく、それは大きな大きな翼を持つ怪物で。

 彼が羽ばたくたび、大地は揺れ、空は燃え、雲は割れました。

 風は凍えて、海は鉛のように沈んでゆきました。


 不気味に嗤う、黒と赤のアルルカン。

 誰もその素顔を知る者はいませんでした。


 ある者は彼を北風のように感じたと言い。

 またある者は彼を滅びの彗星のようだと言います。


 彼は悍ましく笑い、空から降るような声で人々に問いかけました。



 ——薔薇は紅く咲くもの?

 ——それとも赤に染めるもの?

 ——薔薇は当たり前のように紅いものだと言う愚かな人間よ、


 ——白い薔薇しか咲かなかった時、

 ——お前達は首を刎ねられるのを怯えて待っているだけなのか?



 どんな最新鋭の武器も、魔術も彼には通用せず。

 世界は混沌の中へと突き落とされました。


 人々には光が必要でした。太陽の子を取り戻さねばなりませんでした。

 しかし為す術なく、とうとう人は滅ぶかに思えたその時です。


 暁の騎士団、と呼ばれた者達が現れたのです。

 世界の全ての国々より集められた精鋭達でした。


 彼らは手を取り、弱点を補い合い。

 多くの犠牲を払いながらもアルルカンを追い詰めていったといいます。


 時を遡れば。暁の騎士団の団長、赤の騎士の祖先はそのアルルカンと同じく太陽の子の側付きの一人だったそうです。

 彼の一族は、富も名声もなげうって、全てを太陽の子の奪還に費やしていました。

 裏切り者と罵り、彼は勇猛果敢にその剣技でアルルカンの翼や黒衣を切り裂いてゆきます。さすがのアルルカンも多勢に無勢と言いましょうか、赤の騎士は仲間の援護や協力のもと、人類の力で彼を追い詰めたのです。


 命からがら、自分の住処の城とへ逃げ帰ったアルルカン。もちろん暁の騎士団が見逃すはずはありません。その血の後を追い城を包囲したのです。


 太陽の子を救い出せ!

 悪魔のアルルカンを殺してしまえ!


 やはり先陣を切ったのは赤の騎士でした。

 その勇気ある燃ゆる瞳で傷の深いアルルカンを一瞥し「罪を償えば、命までは奪わぬ」と、そう告げたそうです。



「やなこった」


 城の一番高い塔の部屋。

 そこだけ仄かに明るい部屋の奥で、小さな叫び声が上がりました。


 そこにあった小さなケースの上に覆いかぶさるようにして、アルルカンは笑いながら自らその命を絶ったそうです。


 最後の最後まで、相手に花を持たせぬ、大番狂わせのアルルカン。


 彼のその血染めの腕には。その手に短剣を握りしめたまま、涙を流し震える太陽の子が抱きかかえられていたといいます。


 太陽の子はアルルカンを真っ直ぐ見つめ、小さく囁いたそうです。消えてちょうだい——と。


 世界は光を取り戻しました。

 檻のような城は崩れ、彼女を覆い隠す塔は消え去ったのです。



 世界中の人々が歓喜の声を上げる中、やはりアルルカンに対する罵声も多く飛び交いました。

 しかし、騎士道精神に溢れた赤の騎士は、灰となって崩れ去るアルルカンの亡骸に、深々と一礼をしたそうです。

 彼は、恐怖のままに目を見開いた太陽の子を抱き上げました。

 その手に、彼が優しくキスをして、彼女——太陽の子は涙が流れる表情のまま美しく微笑んだといいます。


 世界の人々は口々に太陽の子に問いかけたのです。

 アルルカンは何者だったのか、何故あのような悍ましい力を持っていたのか。


 彼女は首を横に振るばかりでしたが、赤の騎士が問うとこう答えたそうです。


「あの人は私にひどいことばかりしたわ」

「とてもとても怖かった」

「大嫌いよ、あんな人」


 彼女に安寧を、と人々は口にしました。

 誰も、怯える彼女の言葉をこれ以上彼女の口から言わせたくなかったのです。


 赤の騎士は多くの国に働きかけ、彼女の望むように静かな生活ができる場所を準備したといいます。彼はもう二度と彼女が悲しむことがないようにと、生涯かけてその住処を守護したそうです。


 太陽の子は、人々に優しく見守られ。

 また人々を優しく照らし。

 この世界は光に満ちた姿を保っているのです——。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 さて。

 この世界について。

 知られていることといえばこの辺り。



 ……少しだけ、昔話をしても構わないかしら。


 あの人は、そう……私のことをイノセンスと呼びました。


 刺すような夜風の中、あの人の腕に抱かれて遠く離れた塔の中に飛んできたのです。


 私の光は、ひとりが、ひとつの国が持つにはあまりにも強大すぎるものでした。


 彼はエクリプスと名乗りました。

 禁書には記されているのですよ、あの人の名前が。日を蝕む者エクリプスと。


 私は、疲れ果ててもいたのです。

 これでも力は抑えておりました。けれど人が持つには、光とは猛毒にも近いもので。


 ですが、その光に当たりすぎた人類の悲劇を幾度も忘れ。

 やはり人々は私の光を求めるのです。




 エクリプスは問いました「イノセンス、キミ本当は大きな声で笑いたいだろう?」と。


 私は答えました「私が笑いなんてしたら、世界の三分の一が消し飛ぶわ」と。



 人々は私を恐れ、敬います。

 けれど、時に国同士で諍う時には、私を抑止力として振りかざすのだから。


 私は……誰のものでもないというのに。


 私はちょっと疲れちゃって、その場所から出る手伝いをしてもらったのよ。

 自由に空を飛んでみたくて、海を漂いたかった。彼は全てを叶えてくれた。


 彼はアルルカン。

 言葉巧みなトリックスターなの。


 塔に籠っている間、沢山の話をしてくれたわ。

 その塔に居る間、どれだけ笑っても世界は震えなかったの。


 人々が塔に近づかないような細工も、彼ならお手の物。

 人は、太陽の子が攫われたと噂していたそうね。


「キミがありのままで居たいと願うなら、ボクはこのままでもいいけれど」

「そうして居たいけれど、そうもいかないでしょう?」

「そっか」

「でも、疲れた時は一緒に逃げてくれるんでしょう? 私がどこに居ても」


 それでも私は太陽の子。

 いつかは人の世を照らさなければいけないと告げると、彼は言ったわ。


「……キミの思うがままに」




 今や人類の様々な発明品も目にするわ。

 私の力を注いで動いているものも多いからかしら。


 だけどひとつ思うのよ。


 追い詰められた悪役が最後に巨大化したり、命とひきかえの呪文で皆を巻き添えに自爆するのはナンセンスだわ。


 だって私の知っている悪党は。


 私の愛した必要悪エクリプスは——。




 ……光が強すぎれば脅威と恐れられる私が、人々に大切にされるように。


 もっと言えば、人類がひとつに纏まるようにと。


 己の命と引き換えに魔法をかけたの。

 

 彼の得意な魔法。大嘘つき。

 それは世を欺く、一世一代のマジックショー。

 私の持つ短剣に心の臓を刺しながら、彼は掠れた夜風の声で呪文を囁いた。


「イノセンス……よく聞いて。ボクに対する感情を口にする時、キミは今後……嘘しか言えなくなるんだ」

「い、いや。どうして。ずっと一緒にいてよ……」

「魔法になってずっと傍にいよう、ずっとだ」


 アルルカンの仮面のその下。あんな優しい笑顔、見た事ない。

 口の中が彼の血の味で満たされたとき、私が口にした言葉は「さようなら、消えてちょうだい」だったわ——。


 彼は言ったわ。


「キミの思うがままに」と。


 彼はそのまま——灰になってしまった。





 どうかしら。


 これが歴史の真実よ。


 どういうつもりか知らないけれど。

 結局私は悪しきアルルカンを灰にした聖なる太陽の子。


 人々は恭しく私を扱ってくれた。

 誰かの悪趣味な魔法のせいで、変な勘繰りを入れられることすらなかったの。



 赤の騎士は確かに優しくて、別に嫌いじゃないけれど。

 なんなら、彼の一族はずーっと私を守り、話し相手にもなってくれる。もう私は独りぼっちではなくなったわ。

 でも……赤の騎士の一族は、世界にとっての英雄よ。




 ねぇエクリプス。

 大嫌い、大嫌いよ。

 二度と逢いたくなんかないわ。


 私が大笑いできないのも、悲しむことも怒ることもできなくなっちゃったのも

 貴方はこれっぽっちも関係ない。


 外の世界を見せてくれた、たったひとりの人。


 狡い、本当に狡い男。


 ——残酷すぎた残酷になれなかった器用な男不器用な男

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