ゆびさきのヒーロー・ジャッキー
澤田慎梧
ゆびさきのヒーロー・ジャッキー
「ど、どうしようジャッキー。道に迷っちゃったよぉ……」
『落ち着け
「ほ、ホントぉ……?」
『ホントホント。ほら、猫背になってるぞ。無い胸を張れ! あごを引け! 目線は少し遠く!』
「な、無い胸はよけいだよぉ~!」
ジャッキーの心無い言葉に深く傷つきながらも、彼のアドバイスに従って慣れない道を進む。
すると――。
「あっ! いつもの交番だ! これでおうちに帰れるよ! ありがとう、ジャッキー~」
『いいってことよ。ほれ、油断しないで気張って歩け。家に帰るまでが下校だぞ?』
「は~い!」
――中学入学の初日。さっさと仕事に戻ってしまったお母さんと別れ、慣れない帰り道を歩いた私は迷子になった。
でも、いつも通りジャッキーが助けてくれた。小さな頃から、私が困って泣き出しそうになると、ジャッキーが颯爽と現れてアドバイスをくれるのだ。
ジャッキーと言っても外国人じゃない。犬でもない。
彼は子供の手にすっぽり収まる大きさの「指人形」だ。
昔やっていた何かのアニメのキャラクターで、ずんぐりむっくりの目つきの悪いペンギン。それがジャッキーだった。
幼稚園に上がる前、なんでかジャッキーが気に入った私はお母さんにねだって彼を買ってもらい、それ以来、どこへ行くにも一緒だった。
普段はポケットの中でおとなしくしているのだけれども、私が困って泣き出しそうになると、いつの間にか私の左手の人差し指に現れて、『落ち着け桃香』と言ってアドバイスをくれる。
私にとってのヒーローだった。
でも、ジャッキーの声は私以外には聞こえない。彼がアドバイスをくれると言っても、誰も信じてくれない。
むしろ「変なこと言う女」とバカにされる始末で、友達は少なかった。
『桃香も早く俺のことなんか捨てて、もっと友達作れよな』
それがジャッキーの口癖。でも、ジャッキーを捨てるだなんてとんでもない!
ずっと一緒にいるんだから!
***
「好きです! 付き合ってください!」
「……えっ?」
一学期ももうすぐ終わろうとする頃。突然、校舎裏に呼び出されて男子から告白された。
相手はろくに話したこともない上級生。確かサッカー部で、そこそこかっこいい先輩だ。
初めてのことだったから戸惑って、ジャッキーに助けを求めようとしたけど、彼は出てきてくれなくて。
「少し、考えさせてもらってもいいですか?」
しどろもどろになりながら、なんとかそれだけ答えて逃げるようにその場を立ち去った。
「どどどどうしようジャッキー!? というか、どうして出てきてくれなかったの?」
『桃香ひとりでも大丈夫だと思ったんだよ。ちゃんと返事できただろ? 中学生になって、お前も随分と成長したからな。温かく見守ってやろうという親心が分からんかねぇ?』
「ジャッキーは私の親じゃないでしょう!」
夜、ベッドで枕に顔をうずめながらジャッキーに文句を言う。
確かに、彼の言う通り、中学に入ってからは人前でジャッキーに頼らなければならないようなこともなくなった。ジャッキーとこうして話すのは、部屋で二人きりの時ばかりになってきている。
でも、今日は「人生最大のピンチ!」だったのだから、助けてくれても良かったのに!
「ねぇねぇ、ジャッキーは先輩のこと、どう思う?」
『桃香はどう思うんだ。自分の心に聞いてみろ』
「それが分からないから相談してるのに―!」
『……仕方ねーな。まず、あいつの顔は好みか?』
「普通……? カッコイイとは思うよ」
『あいつの周囲の評判とかどうよ?』
「えーと。こっそりついてきてくれたクラスの子達の話によると、変な噂は聞かないって」
学校でジャッキーと話すようなことがなくなったからだろうか。最近では、クラスに仲の良い子も増えていた。
おかげで先輩についての噂もいくつか聞けたのだ。
『なら、「お友達から」とか言って、試しに付き合ってみたらどうだ?』
「えええっ!? わ、私にはまだ早いよ~!」
『だから、そういう気持ちを素直に伝えてみたらどうだって話だよ。それでごねたり、お前が怖がってるのに良からぬこととかしてきたら、ぶん殴ってやればいい』
「ぼ、暴力は駄目だよ~」
――結局、私は先輩と「お友達から」付き合うことになった。
先輩はとても優しかった。
部活で忙しい中でも私に時間を割いてくれたし、お姫様のように扱ってくれた。サッカーの話はさっぱり分からなかったけど、彼と一緒にいるのは心地よかった。
「でね~! 先輩が~」
『……おい、桃香』
「なぁに?」
いつものように夜のベッドの上で、ジャッキーにその日の出来事を報告していると、彼がいつになく真剣な声音で切り出した。
『こういうことはあんまり言いたくないが、あんまり気を許すなよ?』
「……それ、どういう意味?」
『あいつだって男だって話だよ。悪い奴じゃないのは分かるが、あの歳の男ってのは
なんと、ジャッキーが「いかに思春期の男はケダモノか」と力説し始めた。こんなことは初めてだった。
ジャッキーが他人のことを悪く言うなんて、今までなかったのに。
「あ~、分かった! ジャッキー嫉妬してるんでしょう? 私が先輩と仲良くしてるからって」
『そういう話をしてるんじゃない』
「そっかそっか~。でもね、ジャッキー。先輩は大丈夫だよ?」
『だからそうじゃないって――』
なおもジャッキーがあれこれ言ってきたので、枕の下に入れて静かにさせる。
それでもまだ、モゴモゴと何やら言っていたけど、無視することにした。
嫉妬してくれるのは嬉しいけど、私の先輩を
――そして、ある日。
「……お邪魔しま~す」
「ほら、桃香。遠慮しないで、入って入って!」
私は先輩の家にお呼ばれしていた。
中古マンションの我が家と違って、郊外の庭付き一戸建て。駐車スペースは三台分くらいあって、今も高級外車っぽいモノが一台停められている。
絵に描いたような「お金持ち」の家だった。
先輩の部屋なんて、私の部屋の三倍くらいの広さだ。
オシャレなデザインの机に大きなベッド、サッカー選手のポスターとトレーニング器具がたくさん並んでいて、それでもまだ広々としていた。
「ほら桃香、立ってないでこっち、す、座りなよ」
「あ、は~い」
ベッドに腰かける先輩が手招きしたので、特に疑問にも思わずその横にちょこんと座る。
マットレスはクッションが利いていて、極上の座り心地だった。
「……桃香」
「はい?」
「部屋まで来てくれたってことは、いいんだよね?」
「……はい?」
「桃香ぁ!!」
「キャッ!?」
いきなり天地がひっくり返る。気付けば私は、先輩にベッドへ押し倒されていた。
「や、優しくするから! 大丈夫だから!」
「えっ? えっ? えっ?」
そのまま、先輩がたどたどしい手つきで私の上着のボタンを外しにかかる。
事ここに至って、私はようやく貞操のピンチだということに気付き先輩を押しのけようとしたが、びくともしない。
小柄な女子の私とサッカーで鍛えた男子の先輩とでは、体格も筋力も何もかも違い過ぎた。全身から血の気が引いていく。
(やだ! こんなのやだ! 助けて、誰か……ジャッキー!)
――以前はポケットに忍ばせていたジャッキーも、最近ではカバンの中だ。
カバンはドアの近く。手を伸ばしても届かない。
それに、この状況では流石のジャッキーでも私を助けることはできないだろう。
『あの歳の男ってのは
先日のジャッキーの言葉が蘇る。彼の言葉は本当だった。
でも、もう遅い。上着のボタンに苦戦する先輩は、目標を私のパンツに切り替えたらしく、スカートの中に手が差し込まれ――。
『バカ! 何を呆けてやがる! 右ひざだ! 右ひざを思いっきり突き上げろ!』
突然の声に、左手を見やる。
そこにはいつの間にか、ジャッキーがいた。ジャッキーがいつもの仏頂面で私を叱咤していた。
「――っ!」
反射的に右足に力が入る。
私はそのまま、ひざを思い切り突き上げた――。
***
「え~ん! こわかったよ、ジャッキー!」
『だから言っただろうが! 全く。あの男もむしろ気の毒ってやつだ。お前がちゃんと嫌だって言わないから……しばらく使い物にならないぞ、あれ』
「あう……」
私が突き上げた右ひざは、見事先輩の股間を打ち抜いていた。
先輩は声にならない悲鳴を上げて、沈黙。私はその間にそそくさと逃げ出し、家に帰りついた。
『はぁ……、ようやく俺が見ててやらなくても済むかと思いきや、これだ。しゃーねぇな。もう少し付き合ってやるか』
そう呟いたジャッキーの顔は、いつもの仏頂面のままのはずなのに、なんだか少しだけ優しげに見えた。
(おしまい)
ゆびさきのヒーロー・ジャッキー 澤田慎梧 @sumigoro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます