第1章

第2話 孔冥と秀吉 小惑星


「おい、孔冥こうめい! 久しぶりだな。元気だったか?」

 三田村秀吉はいつも千石孔冥のことを孔冥!孔冥!と大声で呼ぶ。それは学生時代からまったく変わっていなかった。千石孔冥が、国立深宇宙研究所の所長となった現在ですらだ。

「うるさい、大声を出すな。機器が誤作動を起こす」

 これは冗談ではなかった。この研究所の機器の中には敏感なものが多く、とくに地下にある重力波検出器などは音に敏感なのだ。

「いやほんと、久しぶりだなぁ、孔冥。三年前の授賞式以来か?」

 秀吉は孔冥のデスクに尻をのせて旧友を振り返る。

「どうだ、深宇宙研究所の所長のイスの座り心地は?」

「小さい研究所だ。閑職だよ。研究員といっても僕くらいしかいない」

「だが、二十代で国立研究施設の所長なんて、他にいないぞ。さすがは東大の生み出した超天才科学者。立派なもんだよ。おまえなら、もっともっと上に行けるよ」

 孔冥はため息をついて画面から顔を上げた。

「で、何の用だ?」

「ご挨拶だな。お前が官房長官へ送った警告文の真意をたしかめろと、調査室から指示を受けた。それでおまえと旧知の俺が派遣されたわけだ。おかげで旧友と再会できた。おまえも少しは喜べ」

「内調には、旧知の友なら他にも大勢いる。なにも一番騒がしいお前を寄こす必要はなかったのに」

 孔冥は口をとがらせる。

「言うな言うな」秀吉は快活に笑う。「で、なにが問題なんだ? あの彗星の」

 そこで初めて孔冥は秀吉の目をまっすぐ見つめた。知的な天才と、剛毅な官僚の視線が絡み合う。

「報告書に書いた通りだ。あれは彗星ではない。小惑星だ。いや、巨大小惑星というべきかもしれない。しかも恒星間天体である可能性が高い。そして、その軌道に不審な点がある」

「不審?」

 片眉をつりあげた秀吉は、興味を引かれた様子で腕組みする。

「詳しい話を聞こうか」


 その小惑星が発見されたのは十日前。アマチュアの天文マニアによる発見であった。

 新星発見のニュースはネットの記事で小さく紹介され、一般の人の目にはあまり触れなかった。孔冥も仕事柄そのニュースには気づいていたが、あまり興味を持たなかったというのが正直なところだ。

 新星はやがて各国の大型望遠鏡でも捉えられ、リンカーン地球近傍小惑星探査LINEARによる詳細な観測の結果、それが小惑星であり、地球外から飛来した可能性が高いことが発表された。

「そこまでは俺も調べた。で、孔冥。おまえが不審だと感じる事実はなんだ?」

「国立天文台に行った加賀を覚えているか?」

「ああ、あの若白髪」

「いまあいつは三鷹キャンパスにいるんだが、あいつに軌道計算を頼んだ。この小惑星がいつ、どこから来たのかを計算してもらったんだ」

 孔冥はマウスを操作し、画面を秀吉の方へ向けた。語るより、画像を見せた方が早いということだろう。

 画面に表示された軌道図のアニメーションが、太陽系に接近してくる小惑星の軌道を描く。

「現時点で小惑星はこの位置だ。で、ここからが予想される今後の軌道。土星方向へ向けて進んでいる」

「全然遠いじゃないか」

 秀吉は口をとがらせた。

「もっと接近しているかと思ったぞ」

「いま太陽から35天文単位というあたりだ。海王星軌道のかなり手前だな」

「そんなところを飛んでいる小惑星のなにが問題だというんだ。たとえそれが外惑星から飛来した天体だとしても、だ」

「まず速度が異様に速い。そして、巨大だ」画面をにらみながら孔冥は口をとがらせる。「視直径から推測される大きさは準惑星より大惑星に近い。地球と火星の中間くらいのサイズだな。そんな巨大な天体がいったいどこから来たのか興味があってね。加賀に詳細な軌道計算をお願いした。未来の軌道ではなく、過去の軌道。すなわちこの遊星がどこをどう走ってここまで来たのか。その履歴を調べてもらった。結果は驚くべきものだったよ。3日前、この遊星はエリスとニアミスしている」

 秀吉はしばし沈黙し、ややあってから口を開く。

「エリスってなんだ?」

「そこからか」

「文系なんでな」

「太陽系外縁惑星だ。冥王星よりも大きい」

「ニアミスといっても宇宙での話だろ? そんなに近い距離ではないんじゃないか?」

「ああ、その通りだ。かなりの距離がある。だが、どんなに距離があっても、それに比例して互いの重力場は影響を受ける。つまり、エリスとニアミスしたのなら、それ相応の軌道変化があってしかるべきだ」

「なかった?」

「なかった」

「そういうこともあるんじゃないのか?」

「秀吉、おまえリンゴは好きか?」

「何の話だ」

「青森のリンゴ園では、機械で木をゆすってリンゴの実を地面に落とすらしいな」

「ああ。ニュース映像で見たことがある。それが?」

「木から落ちたリンゴが地面に落下せず、空中に浮いて静止することはあるのだろうか?」

「ありえんだろう」

「だったら、これもありえん。惑星は重力場を持つ。そしてそれは、宇宙の果てまで届く。軌道変化は絶対にあるはずだ。リンゴが木から落ちるようにな」


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