第3話 退助 殺戮


 ああ、自分は殺されるのだな。

 彼は退助は漠然とそれを理解していた。

 黙って歩く彼、神波羅かんばら退助たいすけの周囲には、同年代の少年たちが八人いた。

 十六歳から十八歳くらいがほとんど。もっと幼い者もまじっている。彼らはみな退助に対する敵意を隠そうとはしていなかった。

 先頭を歩く男は十九歳のはず。この中では最年長。少年という歳でもない。彼は泥に汚れた作業服姿で、頭には手拭いを巻いている。すでに社会に出て働いている印象。避難所では目立つ男だ。しかし、みんなの作業を手伝っている姿は見たことない。ただ避難してきてここにおり、同年代の男たちにあれこれ指示しているばかりのクズだった。

 いま退助がいる避難所は相模原市の行政区域内にある中学校の体育館である。本来は神奈川県民優先で受け入れる施設のはずだが、つぎつぎと都内から避難してきた人間が流れ込み、五百人が限界といわれた避難所は、現在じつに千人近い避難民が押し寄せている。

 そして、それは明日もきっと続くことだろう。東京から避難してくる人間は、ひっきりなしだ。だが、配給される食糧も水も限りがある。寝る場所ももうない。春先で温かくなってきているとはいえ、深夜や朝方はまだまだ冷え込む。

 やってきた当初は、雨露さえ凌げればいいからといっていた新参の人たちも、翌日にはわれわれにも毛布を寄こせと迫る始末。

 簡易トイレはあふれてすでに使用不能であるため、裏の土手は糞尿であふれて異様な臭気を放っている。言い争いはすぐに殴り合いに発展するし、最初は耐えていた人たちも今は忍耐の存在意義を失ってしまっている。

 そりゃそうだ。

 だって、待っていたからといって、どこかから助けが来るという保証はないのだ。

 壊滅した東京がある日突然復興したりしない。消えてなくなった大地が蘇ったりはしない。攻めてきた異星人がある日突然帰って行ったりはしないのだ。

「ここらでいいか」

 先頭を歩く十九歳がだれにともなく確認する。

 体育館裏から蛇行する舗装路を延々のぼってきた先にある駐車場。といっても、山の中腹にある空き地に線を引いただけの場所。ここが処刑場所かと、退助は恨めし気に見回す。

 高台なので見晴らしはいい。遠くに見えるのは相模原の市街。雲一つない青空はなにかの冗談のように澄み切っている。にもかかわらず、自分はここでこいつらに処刑されるのだ。さすがに命まで奪われることはないと思いたいが。

「一応、もう一度確認するぜ。おまえは、あの神波羅かんばら退助たいすけなんだよな?」作業着のボスは、うすら笑いを浮かべて退助に詰め寄る。彼が神波羅退助であることが、重罪であるかのように。

「そうです」

 退助はむかしテレビに出ていた。いまさら嘘をついても誤魔化しようがない。ここで嘘をついても、なんの意味もないのだ。

「ええっ、おまえがあの神波羅退助? もしかして、あの超能力少年の?」

 退助を囲む男たちのひとりがバカにした笑い声をたてる。きんきんと響く妙に高い声だった。

 彼のソプラノに呼応して、周囲の奴らがにやけた笑顔を浮かべる。みんな知っているのだ。退助のことを。彼の過去を。

「おまえは、超能力があるとかフカシこいてテレビに出てよぉ、その撮影中にインチキがバレて、その一部始終を全国に放映されちまったんだよな。おまえは、とんでもねえ大ウソつきなんぞ。日本中の人間を騙したんだ。わかってるのか、なぁ、神波羅くんよぉ」

「すみません」

 退助は目線をおとし、謝罪した。頭を下げて許してもらえるのならありがたいが、それはないだろう。彼らは退助の行動に怒りを感じているのではない。いまの避難所生活に不満を感じており、その鬱憤を晴らすのに都合のいい退助をマトにしているのだ。

「いまさら謝って、すむかよっ!」気張った声をあげた作業着の男が、退助の頬を殴ってきた。

 ばちりと目の前で火花が散り、退助は衝撃とともにたたらを踏む。灼けつくような痛みが頬に残った。思わず両腕をあげて頭を庇うが、つぎの一撃はすぐには来なかった。

 恐る恐る顔をあげると、退助を囲む男たちはそろって駐車場の入口を見ている。そこに一人の男の姿があった。

 穿き古したデニムに、グリーンの迷彩ジャケット。ぼさぼさの頭と無精ひげがだらしない印象の男が、のそのそと歩いてくる。

 ホームレスのようにも見えるが、身体は大きい。若者というほど若くはないが、おじさんというほど年寄りでもない。もし彼に良識があれば、ここで退助に暴力を振るおうとする少年たちを制止してくれるかもしれない。

 退助を取り囲んだ全員が、ことの成り行きを見極めるように、迷彩ジャケットの男の挙動を注視した。だが、退助の淡い期待を裏切るように、男は少年たちを無視して駐車場の奥に進み、ジャケットのポケットから煙草を取り出して火をつけた。

 いまここで集団暴行が行われようとしている現実から目を逸らすように、男は煙を吸い込み、相模原市外の景色に向けてふぅーっと紫煙を吐き出す。こちらを見ようともしない。

 まあ、所詮はそんなものかも知れない。

 相手は少年とはいえ、八人。本気で飛びかかられたら、大人一人で太刀打ちできるかどうか。関わり合いにならない方が賢い。

 しかも今は、そんなことにエネルギーを使っている状況ではないのだ。人類は危機に瀕し、いつ滅亡するとも知れないのだから。

 退助はあきらめた。こうなることが分かっていたならいっそ、淡い期待とかちいさな希望とかを自分に与えてくれない方が良かった。最近とみに思うのは、神様とはほとほと残酷な存在であるということだった。

 そんな退助の絶望を嘲笑うように、笑みを浮かべた作業着の十九歳は、彼の胸倉を摑むと、杭打ち機のような拳を退助の顔に入れてきた。

 退助は倒れる。その背中を容赦なく踏みつける十九歳。

「お前らもやれ!」

 命じられて駆け寄った奴らが力任せに、丸まる退助の背中へ踵を落としてくる。まるで退助を踏み潰せれば、かつての日常がもどってくると確信しているかのような、怒りと憎悪のこもった踵だ。

 退助は亀のように身体を丸め、嵐のような蹴り足の豪雨をやり過ごそうとする。だが彼らは退助の身体の柔らかいところを探してつま先を蹴り込み、勢いをつけて彼の背骨や頸骨に踵を落とし続ける。

 退助はただ、この暴力の突風が去るのを待つことしかできない。

「殺しちまえ! こんなやつ、生きている価値がねえ! ここで殺しちまえ!」

 十九歳の声が裏返る。

 退助は、ああ、ここで自分は死ぬかも知れないな、と何となく予感したのだが、もしかしたらその方が幸せかもしれないと気づく。ここで死んでしまえば、もう異星人から逃げる恐怖に怯えることもない。あのすし詰めの避難所で、知らないおっさんや煩いばあさんと一緒に身体を縮めて、飢えと渇きに苛まれて衰弱していくより、ここで死んでしまった方が楽かも知れない。

「おい、あれ!」

 退助を蹴りつけていた少年の内の一人が叫んだ。彼をふみつける足がひとつ減る。

 彼の声に、足をとめた少年たちはいっせいに山の方を振り返り、呆然と硬直した。

 斜面を覆う茶色い樹林の下をなにか黒いものがいっせいに動いていた。それはまるで闇の奔流のようでもあり、巨大な蟻の大群のようでもあった。キィィィイっという耳障りな金属音を響かせて、斜面を駆け下りてきた黒い津波は、濁流のようにこちらに向かっている。

「ジャバラだ! ブシだ!」

 それは仲間への警告ではなく、ただの悲鳴だった。

 慌てて逃げ出す少年たち。だが、時速六十キロで走ると言われるジャバラブシから人間が逃げ切れるものではない。悪夢のような速度で駆けてきた異星の怪物は、八人の少年たちにいっせいに襲い掛かった。

 ジャバラのブシは黒い金属の人型。身長三メートルの巨人であるが、その動きは猟犬のように速い。集団で突然あらわれ、人を襲う。頭部が折りたたみ式の大型ハサミになっており、人に飛びかかると、狼が獲物の喉笛を嚙み切るように、その大型ハサミをバチンと開いて、人間の首を裁断してしまう。

 八人の少年たちは、たちまちのうちにブシに追いつかれ、ひと噛みでつぎつぎとその首を斬り飛ばされてゆく。

 その地獄絵図の足元で、退助だけは地面に丸まりつづけた。

 助からないと諦めていたこともある。すでに生きることは断念していた。だが、死ぬ覚悟ができていたかは、すこし怪しい。だから、退助はいま自分にできるたったひとつのことをした。

 ここで丸まって動かないこと。それがすべてを諦めた境地なのか、単なる死んだふりなのかは分からない。だが、彼に出来ることはこれしかなかった。

 ここでじっとして、動かないこと……。


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