怪獣の僕とヒーローの君
武州人也
早く倒してくれ
この日、僕たち五年生は社会科見学で、都内の水族館にやってきた。
「葵、あれ、あれ見て!」
「あのサメ、この間見た映画に出てきたやつだよな!」
「違うよ。あのサメはシロワニってやつだ。確かに顔は怖いけど……映画に出てきたアオザメってやつとは違うサメだ」
「そうなのか……でもこっちもぜってぇヤバいやつだよ」
塁の指さしたサメ……シロワニは鋭い歯を剥き出しにしながら、水槽の外ではしゃぐ人間をよそに泳いでいる。その姿を見れば、塁でなくても凶暴な人食いザメだと思うだろう。でも水槽下の解説パネルには「見た目に反しておとなしい」「“大きな子犬”と呼ばれることもある」なんて書かれている。
社会科見学を終えた僕たちは学校の目の前でバスを降りると、そのまま解散という流れになった。僕と塁はとりとめもない雑談をしながら、暮れ時の路地を歩いた。もう十二月とあって、日の入りもすっかり早くなってしまった。
「しかし、塁があんなに魚好きだとは思わなかったよ」
「いやー何だかさー自分たちとちがうところで暮らしてる生き物って面白いんだよな」
「へぇ、てっきり塁は宇宙の方が好きなのかと」
塁は図書室で天体の図鑑を熱心に読み込むほどの宇宙好きだった。そんな塁の興味は、宇宙から海、あるいは生き物に移ったのだろうか。
「知ってる? 実は月面に立った人間より、海底の最深部に到達した人間の方が少ないって」
「えっ、そりゃ知らなかった。葵ってそういうザツガク? みたいなのほんと詳しいよな」
冷たい突風が吹いてきて、僕は肩をぶるっと震わせた。そのとき隣の塁は、くしゅん、と大きなくしゃみを一つした。
「葵はさ、宇宙と海底、どっち行ってみたい?」
「うーん……やっぱ海底かな。この星もまだまだ未知の物事がたくさんあるって思うと」
そんな話をしていると、塁の家がすぐそこに見えた。塁は自分の家の前で「また明日な」と手を振った。僕も「じゃあね」と手を振り返した。
一人で路地を歩き、もう少しで自宅だ、というところまで来たとき、突然僕をキーンという耳鳴りが襲った。何が何だか分からず、耳を押さえてうずくまっていると、正面の方から足音が聞こえてくる。
顔をあげると、目の前には僕や塁とそう背格好の変わらない少年が立っていた。白い肌と対をなすような全身黒づくめ。黒字のマントに白い手袋をして、黒い杖をもつ様は、まるで子ども向けの妖怪図鑑で見たドラキュラ伯爵のようだ。
「
「はちぜろぜろごう?」
少年が何を言っているのか、僕には分からない。
「本国は地上に対する総攻撃を決定した。この地球を我々の手に取り戻すときが来たのだ。よって、お前を本国に召還する」
「キミは……何を言ってるんだ?」
「もしや、憑依の際に自我を乗っ取れなかったか……まぁいい、そういうこともある」
ドラキュラ伯爵みたいな少年は、まるで特撮映画みたいなことを話している。僕はちっとも話の内容を理解できない。
「もういい。800号、お前はもう使えない。取り敢えずの時間稼ぎをしてもらう」
そう言って、ドラキュラ少年は右掌を僕にかざしてきた。
その瞬間、どくん、と、僕の脳に衝撃が走った。それと同時に、僕は……私は……あらゆる記憶のすべてを思い出した。
私は木田葵ではない。海底都市オドンから地上に派遣された工作員
……そんなことはどうでもいい。自分はもう、木田葵だ。海底都市だの工作員だの、そんなものは知らない。いい加減、放っておいてくれ。
……でも、目の前の少年は、それを許してくれなかった。
「800号、いや、大怪獣グラウカ。我らの地上攻撃軍が到着するまで、存分に市街地を破壊しろ」
僕……私の体が、ぼこぼこと膨れていく。視線がぐんぐん高くなり、民家の屋根を越し、電線を通り抜けていく。喉のつくりも変わっているのか、声を出そうにも獣の咆哮のようなものしか出ない。
私の体は、私の意に反して動き出した。足元の民家が、段ボール工作よりもたやすく踏み壊される。電線がかかとに引っかかってちぎれ、ばちばちと放電したが、それが体に当たっても何の痛痒も感じない。
ああ……嫌だ……私は……僕は……こんなことしたくない……
「何だあれ!?」
「怪獣だ!」
「ゴジラみてぇなのがこっちくるぞ!」
人間たちはパニックを起こし。叫びまどいながら逃げていく。自分よりも大きかった大人も、今となっては昆虫のように小さく見える。
そんな人間たちの集団。その中に、塁の小さな背を見つけた。私の口が、意に反して大きく開く。その次に何が起こるのか、私は理解していた。
嫌だ! ダメだダメだダメだ! それだけは……!
口の中が、急に熱くなった。高熱火炎だ。私の口から吐かれた火炎が、周囲の人間ごと塁を焼き殺してゆく……
……けれどもそのとき、目を疑うようなことが起こった。炎に包まれたはずの塁の体がまぶしく光り、炎を吹き飛ばしたのだ。焼かれたと思った人々は、全員無事だった。
塁の体を覆う光はだんだんと大きくなり、縦に伸びて人の形となった。さっきまで塁だったものは、まさに特撮番組に出てくるような、銀色の巨人となっていた。
……ああ、塁……キミはそうだったんだね……
銀の巨人は私をつかんで背負い、人のいない雑木林に向かって放り投げた。私の重みに負けた木々が、ばきばきと音を立てて折れていく。
……そうだ、それでいい。私を退治してくれ。
そんな私の思いに反して、私は再び火炎を吐いた。ブレスを吐くドラゴンも、こんな風に口の中が熱くなってりするのかも知れない。
巨人は火炎に巻かれ、苦しそうにもがいている。嫌だ。塁を傷つけたくない。そう思っていても、体は勝手に動いてしまう。私は長い尻尾を使って、巨人の脇腹を打った。巨人は耐えきれず、うつ伏せに倒れてしまった。
グオオオオオッ
私はまるで勝鬨のような咆哮をあげた。それと対照的に、心は絶望に沈んでいる。塁を……無二の親友を傷つけてしまった……私は強く自死を願ったが、それは不可能だった。この体は私のものであるはずなのに、私のものでないかのように勝手に動いている。
私の腹や腕が、ぱちぱちと小さく痛んだ。私の周りに、地味な色合いをしたヘリコプターが飛び回っている。それらがミサイルで私を攻撃しているのだ。私は小うるさいハエを追い払うかのように、ヘリの横隊に向かって火炎を吐こうと口を開けた。
その口から火炎が放たれる、まさにその直前、私の背に大きな衝撃が走った。うつ伏せに倒れそうになった私が首を回して振り向くと、そこにはいつの間にか立ち上がっていた巨人がいた。背後から不意打ちで蹴りを食らったのだ。
巨人は一直線に走ってくる。それを迎え撃つべく、私は口を開けてごうっと火炎を吐いた。が、巨人は大きく飛び跳ねて火炎をかわし、そのまま私の頭に跳び蹴りをかましてきた。
この跳び蹴りは、大きく効いた。頭をやられた私は、もうふらふらで抵抗する力をもたない。そんな私に向かって、巨人は腕を十字に組み、虹色の光線を撃ってきた。
光線は私の腹に命中し、大きな爆発を起こした。私はすぐに、命にかかわるほどの大きなダメージを負わされたことを悟った。
……ありがとう……
巨人は僕の体を両腕で持ち上げると、そのまま大空へ飛び上がった。私をどこへ運ぶんだろう……巨人が飛んだ先は、海だった。
私の体は巨人の手を離れ、海の底にそっと沈められた。大小さまざまな魚が、私の大きな体を恐れて離れてゆく。
ちらと私の視界に入ったのは、野生のシロワニだった。シロワニは私を見るなり、一目散に逃げ出してしまった。あのような強い生き物にさえ、私は怖がられてしまうのだろう。
「葵はさ、宇宙と海底、どっち行ってみたい?」
「うーん……やっぱ海底かな。この星もまだまだ未知の物事がたくさんあるって思うと」
塁とそんなやりとりを交わしたことを想い出して、私は心の奥底でひそかに笑った。もしかしたら、塁はこの怪獣が私……木田葵の成れの果てであることに気づいていたのではないか。その上で、最後に願いを叶えてくれたのかも知れない。
これから塁は、海底都市が送り込む地上攻撃軍と戦うこととなる。塁はみんなのため、人類のためのヒーローとして戦うのだろう。
でも今このときだけ、塁は私だけの……僕だけのヒーローだった。
怪獣の僕とヒーローの君 武州人也 @hagachi-hm
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