君の中の英雄

シンカー・ワン

憧憬

「ん~、思ってたよりも面白かったな~」

 夜、常宿の四人部屋に戻ってから自分に宛がわれたベッドに腰を下ろした熱帯妖精トロピカルエルフが楽し気な口調で言う。

「よくあるお話でしたけどね」

 三角帽や外套をハンガーラックにかけ、夜衣よぎを用意しながら答えたのは女魔法使い。

「定番には定番の良さというものがありますから」

「悪漢にさらわれたヒロインをヒーローが助け出す、か。確かにわかり易いな」

 女魔法使いの言葉に生真面目に頷くのは忍びクノイチ。シュルシュルと柿色の装束を解いている。

 辺境で評判高い旅芝居一座が街のはずれに逗留し興行中と聞き、息抜きと暇つぶしを兼ねての観劇から帰って来たのだ。感想も出よう。

「娯楽の少ない地方には内容が受けやすいのですよ」

 着替え終えた女魔法使いがベッドに納まりながら言い、下着姿になった忍びが寝床に入りながら「そんなものか」と返す。

 寝る準備は整った、あとは灯りを消して眠りに落ちるだけ――。

 どっこい。そうは問屋が卸さない。

「なーなー、ふたりには憧れの存在ヒーローっている?」

 観劇の興奮が冷めずにいる熱帯妖精が、寝入ろうとする者の迷惑省みず話しかけてくる。

 それほど長くはない付き合いだが、こういう状況の熱帯妖精が簡単に退かないことをふたりともわかっている。

 顔を見合わせた後、やれやれといった風に身体を起こす女魔法使いと忍び。

「その言い方からしますと、あなたにはいるのですね?」

 仕方ないなって顔をして、苦笑気味に問いかける女魔法使い。

「いるぞ。ウチの村の長老だ!」

 我が意を得たりとばかりに、局所鎧ローカルアーマーに包まれた形の良い胸を逸らして言い切る熱帯妖精。

 聞きたいか? 聞きたいよな? なら仕方ないなと、まくし立て返事も聞かずに怒涛の語りが始まった。

 要約すれば、四百年以上前、熱帯妖精の住む魚村の沖に海洋魔獣が現れ大暴れ。漁が出来なくなり村は貧窮し存亡の危機に。

 立ち上がったのは若き頃の長老。小舟に乗り込み沖へ出て愛用の槍を手に七日七晩戦い続け、片足を失いつつも海洋魔獣を見事討ち取ったとのこと。 

 身振り手振りを交え熱のこもった話っぷりは見事なもので、適当に付き合えばいいか程度に思っていた忍びもつい前のめりになるほど。

「でな、ウチも長老みたいになりたくて槍使ってる」

 自慢の英雄譚を語り終え、ベッドサイドに立て掛けていた愛用の槍を手に目を輝かせて言う熱帯妖精。

 ジワリと胸の奥に熱い昂ぶりを覚えるが、熱帯妖精こいつの話に感動したなどと悟られたくなく、極めて平静を保とうとする忍び。

 そんな忍びの様子に微笑を浮かべる女魔法使いへと、

女魔法使いねぇさんはどうだ? 誰かいないのか?」

 無邪気に問いかける熱帯妖精。

 話を振られた女魔法使いは、いつもの読めない微笑を浮かべたまま少しだけ思案して、

「わたしのは――面白くないですよ?」

 そう前振りしてから感情を乗せない口調で語りだした。

 生まれ育った辺境の村、兄のように慕った五つ上の幼馴染、学問に目覚めた自分、魔法使いを目指すも猛反対する両親……。

「親との仲をとりなしてくれたのが彼。……困っているときには手を差し伸べて、どんなときも味方をしてくれる彼は……わたしにとって物語の英雄そのものでした」

 淡々と語られる田舎の英雄物語は恋愛譚ロマンスにしか聞こえず、耳にする側にも妙な熱がこもる。

「――そっ、それから、どうなったんだ?」

 ゴクリとのどを鳴らして熱帯妖精が続きを急かす。口にはせぬが彼との関係の結末を知りたがっているのは忍びも同じ。

「……なんにも。なにもありません。――学院を卒業して村に帰ったら、彼は家庭を持ってました」

 可愛らしいお子さんも居ましたよ、と影のある笑みを浮かべて女魔法使いは告げる。

「わたしは――彼にとって対象ではなかったんですよ。面倒の見甲斐がある妹分、それだけ」

 どう言葉をかければよいものかと口ごもる熱帯妖精と忍び。

 そんなふたりに柔らかな笑みを向けて、

「想いは届かず気付いてももらえませんでしたが、それでも――それでも彼はわたしにとって憧れヒーローです。これからも、ずっと」

 迷いなく言い切る女魔法使い。

 その姿に熱帯妖精に感じたものとは違う熱い何かが胸にくる忍び。

 感極まって涙目でグスグスと鼻をすする熱帯妖精を困ったように笑って、

「あなたは?」

 忍びの番だと振ってくる女魔法使い。

 "いつもは感情を読ませないくせに、どうしてこんな時はわかり易く伝えてくるんだ? あなたって人はもう!" 心の中で愚痴る忍び。

 目は口ほどに物を言う。女魔法使いが視線で伝えてきたのは、

  "自分の語りでしんみりとしてしまった場の雰囲気をどうにかして?"  

 憤慨しつつも、女魔法使いが照れる姿を恥じらっている様を晒していることを、ちょっと嬉しく感じてる忍び。

 謎めいたところのある女魔法使いが胸襟を開いてくれている。自分を頼ってくれている。

 熱帯妖精あのバカ込みだろうが受け入れてもらえていることに、自分も応えねばならない。

 ならばとる道はひとつ。と、忍びの中で覚悟が決まる。

 とっておきの英雄譚を、自分の最高のヒーローを語ってやろうじゃないか。

「――故郷に伝わる古い伝承だ。都のはずれに怪しげな宗教がはびこって、それを信じぬものは恐ろしい祟りに見舞われた。邪教の謎を探るため為政者は影の里から最高の忍びを呼び寄せた。――影をお呼びか? 影はここに!」

 幼き頃に何度もせがって聞かせてもらった伝承。その冒険譚に何度胸をときめかせたことか!

 忍びの中の忍び、窮地に在ろうがあわてず騒がず、常に自信にあふれた最高の存在。

 不敵な笑い、きらりと光る涼しい目、赤い仮面の謎のひと、どんな顔だか誰も知らない。

 徐々に熱を帯び出してくる忍びの語り口。

 熱帯妖精はぐずるのを止め耳を立て、女魔法使いは愉しげに聞き入る。

「仲間の絶体の危機、疾風はやてのように現れ、敵を見下ろしながら堂々と、赤い仮面の忍びは叫ぶっ、"セキエイ赤影、参上!"」

 盛り上がりながら、夜は更けていく。

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