第27話 チリクラブとフィッシュヘッドカレー


 海沿いを行くタクシーから外を見ればもう陽は海にしずんで、代わりに街の灯りを浪は映し、ひるに劣らず綺羅々々しい。遠く無数の高層ビルの耀きがぼやけて瞬くようなのは、生暖かい海風の所為だろう。整然とした近代都市のよそおいについ忘れがちだが、ここは赤道直下、其処彼処そこかしこに熱帯雨林のしるしがある。それは嘗て永遠の夏を謳歌したジャングルの栄華の残滓なのか、それともいずた人類を凌駕し緑の帝国を築こうとする萌芽なのか。

 ビルの陰に、道路の脇に、無機物如きに屈服するとは思いもよらぬ永劫無窮の生命たちが、人工物の浸食など知らぬ顔で思い思いに枝葉を伸ばしている。今にもそれはジャングルへと育って、熱帯雨林の近代都市を飲みこみそうだ。猿と鳥との啼き声の向こう、鬱蒼と茂る密林の奥、象と大蛇とにまもられて、無数の蔦を身にまとわりつかせたいにしえのビルディング群は睡りにつくことだろう。

 月も見えぬ夜に白昼夢でもなかろう、ならばこれは狐狸の仕業か。だが宵の幻に化かされたのは私ではなく、寧ろ南国の獰猛で素朴な動植物たちが、突如楽園に現出した摩天楼にたぶらかされているのでないとは如何どうして断じられよう。


 カボチャの馬車が連れてきてくれたのは海鮮レストラン。舞踏会のお城とはいかないが、ありとある窓から煌々と光の零れるさまは、海に泛ぶ不夜城のようだ。

 席に案内された我々はチリクラブとフィッシュヘッドカレーを頼んだ。

 先ず運ばれてきたのはチリクラブ。殻を割られた蟹が一匹まるごと、チリソースの中に浸かっている。蟹は沼地にでもいそうな重厚な躰つきだ。如何にも堅そうな甲羅は鮮やかな朱の地に白い斑点。チリソースにまみれた殻から身を取り出すのには難儀するが、味はその労苦に酬いるに十分だ。

 蟹と格闘するうちフィッシュヘッドカレーも届いた。マレーシアとも共通の、マレー・中華・インド三民族の味が融合した傑作料理だ。魚のカシラをメインに煮込んだカレーと云えば想像戴けるだろうか。無論、カレーにはココナツミルクがたっぷり注入されている。


 日本へ発つ前の最後の罰に、アイスカチャン(マレー風かき氷)を頼んだ。氷の中にはカチャンを始め、ゼリーに果物、ナッツなどが一面に入って、色とりどりと賑やかだ。いささか賑やか過ぎて、このかき氷は日本の夜祭りには似合いそうにない。だが彼らは風流などは歯牙にも懸けずに、南の島では幾らあっても餘るということのない水気とエネルギーを摂取する。


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