第26話 シンガポールとマレーシア


「晩御飯にしましょう」

 フライト迄はまだ十分な時間があると、ポーリィさんは勢いこんで云った。私は今夜の便で日本へ発つが、彼女は此処で一泊してシンガポールを満喫するそうだ。美しい街並みで旅行者たちを魅了する東南アジア随一の近代都市は、隣国マレーシア人をも魅了するらしい。華僑が圧倒的多数を占めるこの国は、同じく華僑であるポーリィさんに近しく感じられると云う事情も後押ししているのかも知れない。


 斯様にマレーシア人にとってシンガポールは近しく慕わしい国ではあるが、実は無邪気にいだき合えない一面もある。

 英国からの独立をマレーシア連邦の一員としてスタートさせた此の島は、だがその僅か二年後にマレーシアと袂を分かつ。しかもそれはマレーシアからの追放と云う形だった。理由は此処でも民族間の問題だ。連邦の進めるマレー人優遇政策にシンガポール州は反対し、華僑が優勢のこの島を、連邦政府は危険因子と見た。独立後二年にしてついに両国はわかたれた。時の首相リー・クアンユーは人目を憚らず落涙したと云う。


 世紀をあらためた今も両国民はさながら離婚した元夫婦の如く、そのおもいには愛憎が半ばする。三行半みくだりはんを叩きつけたマレーシアの人々は、嘗ての伴侶が世界有数の富裕国へと発展していくのを、どのような気持ちで見たのだろうか。



 領土を接していれば、衝突の材料に事欠かないのは何処いずこも同じだ。

 例えばシンガポールでは水の自給は望めず、マレーシアからの供給に依存しているが、その価格の高いやすいで度々揉める。揉めはするのだが軍事的解決を持ち出すことはない。或いは、領海の拡張を互いに目論み紛糾したこともあったが、これも両国外相の直接協議で解決している。

 前述の通り、両国の間に遺恨がない訳ではないのだ。それでも領土やライフライン確保のような愛国心ナショナリズムを刺激する微妙な問題でさえも、建設的に武力行使なしに解決を図ることは可能なのだと、隠れもなき実例が雄弁に語っている。それは廿一世紀の人類社会への福音と思えてならない。その根底に両国民の同胞意識が大いにあずかっているにしてもだ。


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