第22話 仕事2


 目覚めたのは二段ベッドの下の段。同じベッドが二つ並んで、定員四人に囚徒は三人。事前情報通りなら、上の段は空席だ。鏡はないが、かおの手触りで私の意識が標的ターゲットの躯のなかにあるのだと判る。

 ときどき手や足を動かす気配から、隣のベッドの囚人のねむりはまだ浅いと知れる。これは慎重を要する、と思った。頸動脈を切れば自らに致命傷を与えることはできるが、しも異変に気づかれ、呼ばれた医師に蘇生を施されれば一命を取り留めてしまうやも知れぬ。うなれば取り返しがつかない。断固として蘇生を受け付けない完全無欠な致命傷を与えねばならぬ。

 覚悟を決め身の周りの爪や金属、薄刃状のものを探っていたところで、管のような妙な物体が窓から垂れているのに気がついた。窓は横長のガラスを数枚合わせたもので、どうしても隙間が残る。決して手抜きの安普請と云う訳ではなく、熱帯雨林の強烈な太陽光に日々抗するマレーシアでは涼をれるため理に適った、ごく一般的な構造だ。無論気密性など期待できない。おかげで虫も小動物も出入り自由だ。現に室内には蚊や蝿が飛び、壁を這うヤモリがそれを捕食する。


 改めて窓から垂れる管を見ると、ずっと固まっているように見えて実は細かく蠕動している。少時しばらく無心に眺めて、漸くそれが蛇だと気づいた。彼は降りるべき新天地を求めて鎌首を左右へと動かした末――私のベッドの上に狙いを定めたらしい。するすると腹を壁に辷らせ、私の足の横に降り立った。


 マレーシアで蛇を見ることは珍しくない。毒蛇も在れば、人をも喰らうほどの大蛇も在る。なかでも最も恐れられているのはコブラで、実際この小さな暗殺者の手にかかる死者は、マレーシアでも百人単位で在るらしい。


 今私のすぐ横を静かに進む者は、見紛いようなくそのコブラだった。地上の凡ゆる人類が忌み怖れ、なかくインド人が怖れるコブラだが、今このタイミングでするりとベッドに入り込んできたのは私にとって僥倖だった。

 素早く首を捕まえると、蛇は残った躯を私の両腕に絡ませ、口を大きく開いて威嚇する。好戦的な姿勢で何よりだ。る気十分な鎌首を左腕に近づけると、コブラは迷うことなく噛みついた。存分に神経毒を注入するがい。役目を果たした暗殺者の首を放してやったが、彼は油断することなく私の腕に牙を立てたままにしている。念入りな仕事姿勢もむべきだろう。その仕事ぶりを証して、私の躯は次第に自由が利かなくなってきている。呼吸が苦しくなるが、同室の者たちに異変を察知されないようなるべくっとする。もはや血清は間に合わないだろう。死に至る迄は二時間前後というところか。


 プトレマイオス朝最後の女王、絶世の美女クレオパトラと同じ死因で生をえることが出来るのならば、此の男には身に余る光栄と云えるのかも知れない。尤も彼がこれを多とするかうかまでは私の責任の埒外にある。

 ナイルの宝石の最後の耀きがローマからの濁流に飲み込まれるように、激しい眩暈に襲われ私の意識はそこで途切れた。


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