旧約聖書のなかで、悪魔に殺された人数は10人程度、
一方、神による殺戮は200万人以上、という説を思い出しました。
人間に殺人を唆すのは、悪魔ではないのかも知れませんね。
ちなみに人数で言うと、神もスターリンやヒトラーには敵わないのだとか。
黒いノートを駆使したあの人が何位につけるか、気になるところです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
意外と、悪魔は殺さないんですね。彼にしてみたら、自ら手を下すよりも、人を堕落させて神に殺させる方がよほど愉快なのかも、とちょっと納得しました。殺人なんて唆したって、この愉しさには勝らないよと嗤ってそうな。。
そんな悪魔も食わない人間同士の殺し合いが、一番数は多いのですね。。
黒いノートでディストピアを築こうとした人は、多少は悪魔のお気に召したのでしょうか??
マレーシアでは麻薬販売人でも死刑なんですね。
厳しいと思いましたが、国によって違いますね。
首斬り人マスルールに正邪を問うという事は、
自分自身にも罪の意識があるのでしょうか。
決断しなくてはいけない時の苦悩、
自由意志を与えられているからこその苦悩が伝わりました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
麻薬が極刑というのは、珍しいですよね。シンガポールも同様です。フィリピンは、法律はともかく、捜査中に殺害したりするらしいので、また極端です。。
同じ処刑人として、マスルールには感じるものがあるようです。
ただ、上からの命令に従っていればよいだけの方が、苦悩は少ないのかもしれませんね。意志の自由を与えられているからこその決断の重さ、感じていただいてうれしいです。
自己の行為に意味や善悪を問う、それこそが自由という概念を生み出す作為なのかもしれませんね。行為そのものは殺すというシンプルなものであっても、そこに制裁や復讐、正義といった意味合いを選択的に付加していく。
もしかしたら、構造上、行為自体にはほぼ選択の余地がないのかもしれない。だからこそ、その軛から逃れようと自らを問う。むろんその問いに答えはなく、生ずるのは苦悩ばかり。でもその苦悩こそが、人を人たらしめているのだろうか、と思いました。
朝から哲学的な問いを頂戴し、ありがとうございました!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
自由とはなんぞや? 自己の行為に意味や善悪を問うことという解釈は興味深いですね。やはり知恵の実を食べた者にこそ与えられる荷なのかもしれません。
そして自由というものさえまやかしではなかろうか、という問いと苦悩。
考え出すと興は尽きないですね!