第20話 依頼と決断


 マレーシアの法事情について観ると、死刑制度は現在も維持されている。麻薬販売人は原則死刑とされているのが特徴的だ。一度は死刑廃止が真剣に検討され、その副産物として死刑執行はここ数年行われていないにせよ、死刑制度維持国と考えてよいだろう。

 三日前の標的ターゲットは、死刑判決を受けていたのだが、何時いつまでも刑が執行されないのに業を煮やした遺族が、仕事を依頼してきたものだ。

 ところが今夜の標的の男に下された判決は、死刑ではなかった。被害者の遺族たちはその判断を不服とした。紆余曲折を経て、復讐は私の手に委ねられた。


 私の基本方針に反して仕事を請けたエージェントには大いに不服なのだが、慥かにその男は悪逆非道と、口を極めてそしられるだけの人物ではあった。

 とは云え殺された者とて善人ではない。それ処か、世の弱者たちを片端から食い物にしては屍を汚溝どぶに投げ棄てる、人非人だった。つまりは加害者も被害者もいずれ劣らぬ悪党だった訳だ。一歩違えば墓場に眠る者と刑に服する者とは逆の立場にあったかも知れぬ。


 この復讐の挙に、大義はあるのか。

 のような問いを掛けること自体、悪い戯談じょうだんだと人は嗤うかも知れない。悪業をかさねに累ねた私の仕事に大義などと云うものは、今迄一片たりとも含まれていなかったではないかと。

 それはうなのかも知れぬ。一つ一つの仕事に私なりのおもいがない訳ではないが、其れを此処でべるのは無益だろう。


 それにいずれにせよ、一度請けた以上は私は此の仕事を完遂せねばならない。

 無論私には思考と行動の自由があり、降りる選択肢があり得る。仮令たとえそれが、組織の命に反し、私の身に不利益と危険を及ぼす選択肢であろうとも。

 その薄い選択肢を指し示して、決めるのはお前だと悪魔が嗤う。人間には選択の自由が与えられているのだ、誰も強制はしない、何方どっちでも好きな方を択んでよいと悪魔が保証して呉れている。同時に自由には責任が伴うのだ、と耳許で囁く。自由と云う重荷を人々に与えた、他ならぬ悪魔が。


 曠野のイェスへも、ヴェーダ林の釈尊へも、悪魔は誘惑を試み退けられた。その肚癒はらいせでもあるのか悪魔は弱い人間たちへの羂索わなを張り巡らせては陥穽に落として悦に入っている。果たして私の選択が彼を北叟笑ほくそえませることになるのかうかは知らない。生きている限り我々は常に選択を迫られ、択ぶことは自由であり同時に義務だ。


 バグダードの教王カリフハールーン・アル・ラシードにき従った首斬り人マスルールに、問うてみたい。彼は、罪人を葬るに当ってその正邪に思い悩むことがあっただろうか。神聖なるカリフの命で宰相ジャアファルの首を斬ったとき、彼は罪の意識にふるえたろうか。


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