第19話 刑の制度と仕事の流儀


 日本で私が仕事をすることは殆どない。その理由は、日本には死刑が制度としてあり、且つ現に執行されており、則ち死刑が有効に機能しているからだ。刑罰の目的が懲罰であるか、更生であるか、治安維持であるか、た復讐であるかは人により意見が異なるだろうが、濃淡はあるにせよ多くの人々に共有されているのは正義の実現ではなかろうか。

 そしてハンムラビ法をひもとくまでもなく、腕を斬り落とされればその代償に、相手の腕も斬り落とされて初めて正義が此の世に実現されたと納得する者は、相当数在るものだ。

 現在多くの国では廃止されている死刑制度の是非を論じるつもりは今更私にはないが、死刑制度のない国の司法制度が、大切な者を喪った者たちが正義を求める気持ちに応えきれていない一面があることは否めない。

 その点、日本では死刑制度が実体を伴って存続している以上、私が介入する理由はほぼ、ない。仮に死刑判決に至らなかったとして、仮令たとえその判決に遺族が納得いかなかったとしても、少なくとも死刑の可能性を排除せず慎重に吟味された結果が否であるなら、つつしんでその結論にしたがうべきだと思う。私が日本での仕事を原則として請けないのは、う云うことだ。


 ところで、私刑は法治国家では通常、禁じられている。沙漠の神が禁じたように。

 それは禁忌であるよりも、人々への恩沢であり、愛であったかもしれないと思う。私刑がそこなうものは、刑される者のみではないからだ。その毒は刑を執り行った者をも蝕まずにおかない。私刑へと彼を駆った衝動が憎しみであろうと義憤であろうと、一朝正義の復讐を果たしてしまえば、甘美な達成感の先に芽を出すのは人を我が手にかけた罪悪感だ。如何に正義の確信を抱いての行為であろうと、一人の人間を殺めれば心に重石おもしを背負わずに居られない。冷たい海に沈むような暗い感情を抱え気がふさぐこともあるだろう。その重荷から人々を解放し、神や国家が肩代わりして呉れると云うのだ。復讐するは我にあり。天から発せられたこの言葉は、福音だと思う。

 或いはこの世には復讐を果たして一片の悔いもなし、天にじず地に畏れず、血にまみれて高らかにわらう者も在るかも知れぬ。はかり難きは人の心。だが仮令たとえ人の心がそのようであったとしても、いやだからこそ、人を修羅道へといやらぬため犯罪被害者たちをして私刑から遠からめる。それが仁たる政道の要諦との考えにも一分の理はあるだろう。


 神や国家が復讐の代理人たる聖務を放棄しつつある現代に於いて、私にその責務を負わせたいと云う者が出てくるのは、むを得ざるところかも知れない。

 今夜は仕事だ。


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