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2022年5月17日 19:24 編集済
日本には死刑制度があるので殺し屋さんは不要、というロジックにどこか違和感を感じて、なんでかなと読み進めるうちに、正義の置きどころの問題なのだと気づきました。合議の上で死刑を廃止した社会であれば、議論の余地は残されるにせよ、その結論は尊重すべきと思いますが、殺し屋さんの論理ではそういう世俗の決めごとを超越した「正義」が存在していて、自分はその代理人であると言っているように聞こえる、、そうなのでしょうか?と、なんだか批判めいた物言いになってしまってすみません、考えさせられました。私も、死刑制度自体は残したほうがいいと思ってます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!日本の制度でも、被害者が一人の場合は死刑になることは滅多にないので、実際は歯噛みする遺族も多いのだろうと想像します。悩ましい問題は尽きないですね。殺し屋も考えが定まっているわけではなく、ただ人が人を殺すのは許されざることだとは強く思っていて、一方その理不尽な目にあった当人や遺族の想いは償われなくよいのか、、と二つの間で葛藤しているのだと思います。最も戒めているのは天の審判であるかのように思い上がって罪人の命を奪うことで、その予防のための一つの線が、死刑制度のある国で死刑回避の判断が下された者には手を出さない、なのだ、、とご理解いただければ、と。
2022年5月17日 19:02
もし自分の大切な人が殺されたら、同じやり方で自分の手で犯人を殺したい、と私なら思うだろうなあ……。でもそれが出来ないから、小説でも漫画でも復讐ものって流行るんでしょうね。
応援ありがとうございます!自分の手で殺してやりたい、と思うのは自然な感情だと思います。それができないならせめて司直の手で、というのも。。復讐ものが流行っている限りは、人の心は死刑賛成の側なのかな、とも思いますね。
2022年5月17日 09:14
『目には目を、魂には魂を』『復讐するは我にあり』色んな事を考えてからの仕事に向かうシーン。いいですね。ドキドキしてきました!
応援ありがとうございます!聖書の一節からお借りしました。日本でも、「神様が罰を当ててくれる」となんとなく期待してますよね。でもそれが信じられなくなったら、彼に出番がやってくるのだと思います。さあ、今回はどんな仕事になるでしょうか?
2022年5月17日 01:30 編集済
復讐するは我にあり。それでも私刑が存在し続けるのは神や国家が裁いてくれないからでしょうか。自分を貶めても復讐したいという気持ちもまた人間の業ですね。
応援ありがとうございます!全ての人を納得させる制度は難しいですよね。。国家や神に任せず、自分で復讐しないと気が済まない、という人もなかにはいるでしょうし。大多数の人にとって容認できる制度の下で、そこからこぼれた人をどうするか、なのかなあと思います。
2022年5月17日 00:53
コメント失礼いたします。殺し屋が死刑を語ると、これまた重いですね。そこから、今夜は仕事だ、に繋がる展開が巧みです。
応援ありがとうございます!殺し屋は、何度もこんなことを考えてきたんでしょうね。思い迷いながら、考えにケリをつけたところで、仕事へ。展開が巧みとのご評価、うれしいです。
2022年5月16日 23:07
死刑や私刑に対する主人公の思いを見つめ直したところでのお仕事。これは一つの美学にも見えます☆
応援ありがとうございます!やっぱり仕事は気が重いので、その前はいろいろ考えてしまうのかもしれませんね。考えた分、仕事へ向かう時は、心を決めています。そこに美学が見えるのかな、と思います。
2022年5月16日 22:57
殺し屋さんの死生観や仕事への姿勢が語られるパート、すごく好きです。職務内容的にはアウトローですが、誰かの私怨を肩代わりする彼なりの矜持と責任を感じます。
応援ありがとうございます!旅日記からはちょっと脱線しましたが、好きと仰っていただいて、ほっとしました。ジレンマに迷いながらも考え続け、自分なりに出来ることをする、という姿勢に矜持と責任感を感じていただいたのだとすれば、彼も喜ぶと思います。
編集済
日本には死刑制度があるので殺し屋さんは不要、というロジックにどこか違和感を感じて、なんでかなと読み進めるうちに、正義の置きどころの問題なのだと気づきました。
合議の上で死刑を廃止した社会であれば、議論の余地は残されるにせよ、その結論は尊重すべきと思いますが、
殺し屋さんの論理ではそういう世俗の決めごとを超越した「正義」が存在していて、自分はその代理人であると言っているように聞こえる、、そうなのでしょうか?
と、なんだか批判めいた物言いになってしまってすみません、考えさせられました。
私も、死刑制度自体は残したほうがいいと思ってます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
日本の制度でも、被害者が一人の場合は死刑になることは滅多にないので、実際は歯噛みする遺族も多いのだろうと想像します。悩ましい問題は尽きないですね。
殺し屋も考えが定まっているわけではなく、ただ人が人を殺すのは許されざることだとは強く思っていて、一方その理不尽な目にあった当人や遺族の想いは償われなくよいのか、、と二つの間で葛藤しているのだと思います。
最も戒めているのは天の審判であるかのように思い上がって罪人の命を奪うことで、その予防のための一つの線が、死刑制度のある国で死刑回避の判断が下された者には手を出さない、なのだ、、とご理解いただければ、と。