応援コメント

第18話 三種のカレーと三種の信仰」への応援コメント


  • 編集済

    珈琲に砂糖や牛乳を入れることは果たして珈琲に対する冒涜とはなり得ないだろうか?眼前の景色にそんな馬鹿馬鹿しい思いが湧き上がることもありますが、『飲食の許容こそが他者許容の実践に他ならない』という教えを思い出し、心の中で急ぎ謝罪したりしております。
    そんな愚かで学ぶこと山盛りの僕にとって、宗教とは本当に!解らない奴です。
    生きるとはなんだろう?という問いとも密接でぐるぐるするばかりですっ

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    珈琲はブラック派なのですね。何が正統なのかは分かりませんが、人により国により正義が異なるように、珈琲の正義も変化するようです。
    であればこそ、『飲食の許容即他社許容』となるのでしょうね。
    他者の宗教の許容も、実に難しい話だと思います。おそらく本来的に宗教とは、真面目に信じる者ほど他宗教を許容するのが難しいような・・・
    答えを容易に出せないですね・・・。

  • カレーはどの国でも好まれる人気のある食べ物なのですね。

    一神教あるあるですね。
    信仰の自由が絶対的善ではないって考えは、メリットとデメリットが
    あるんだろうなって思います。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    カレーは偉大な料理ですね。日本でも大人気ですが、マレーシアでもカレーが日常に溶け込んでいます。
    3つの一神教が同居するヨーロッパだからこそ、信仰の自由という考えが成熟したんだろうと思います。絶対的正義と思われていることが、置かれた場所や時代が異なると、揺らいでくるということは時々ありますね。

  • コメント失礼いたします。

    前半のカレーの話もさることながら、後半の宗教の話も興味深いです。
    宗教が国の中心って感じがしました。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    日本では大半の人は宗教を意識しないと思いますが、海外に出ると考えさせられますね。
    まさに、宗教が国の中心、根っこにあると感じることもけっこうありました。

  • 三つのカレーは味が混ざり合うとどんな感じなんでしょう。意外と溶け合うのかな。宗教ではそうはいかないですね……
    「信教の自由は絶対的善ではない」なんか厳しいですね。よその宗教を尊重することは、自分の宗教をないがしろにすることになってしまうんでしょうか。信仰のない者には理解の及ばないところです。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    三つのカレーはそれぞれ微妙に風味が異なりますが、混ぜても美味しそうです。宗教も、そうなればいいんでしょうけど、信仰している当事者にとってはそうはいかないんでしょうね。
    仏さまと日本の神さまを習合して平気だったのは、おそらく多神教ならではのことで、一神教では難しいかなと思います。

  • 華僑のカレー、マレーのカレー。
    いっぺんに食べ比べてみたいものですねぇ☆

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    食べ比べ、魅力的ですね。
    マレー人の店はハラルで、華僑の店はほとんどがノンハラルなのでなかなか同時にというのは難しいのですが、ホテルとかなら一緒に置いてあることもあるようです。